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上海・華東師範大学における夏季セミナー「大都市と文化理論」
森田 團
2007年6月22日から28日にかけて、上海の華東師範大学にて、「大都市と文化理論」と題された夏季研究セミナーが開催された。主催者は、ニューヨーク大学比較文学科・東アジア研究科、ならびに華東師範大学「中国思想伝統と文化変遷」国家COEであり、ニューヨーク大学からは、張旭東(比較文学科教授)、リチャード・シーバース(Richard Sieburth、同教授)が、華東師範大学からは、許紀霖(歴史学部教授)が代表者として参加した。「大都市と文化理論」と題されているものの、セミナーの中心はヴァルター・ベンヤミンの『パサージュ論』であった。張旭東を中心とするグループによって『パサージュ論』が中国語に翻訳されるというプロジェクトが進行中であるからである。
東京大学からは小林康夫(総合文化研究科教授)、中島隆博(同准教授)、大橋完太郎(表象文化論コース教務補佐員)、橋本悟(総合文化研究科博士課程)、森田 團(総合文化研究科博士課程)が参加し、王前(東京外国語大学非常勤講師)が同時通訳担当として同行した。また華東師範大学に留学中の池田智惠(早稲田大学大学院文学研究科博士課程)も同時通訳の補佐として参加してくれた。
東京大学グループは、25日の午前中のセクションに参加、以下のような順番でベンヤミンについての発表を行った。
1. 中島隆博「都市の言語と大都市の言語」
2. 森田 團「近代におけるイメージ経験――ヴァルター・ベンヤミンにおける「永遠回帰」と「新しさ」の概念」
3. 大橋完太郎「生存の美学とその終焉から」
4. 橋本悟「沈黙した声を聞く――ベンヤミン、ブルトン、朱光潜」
5. 小林康夫「イメージと交換――張旭東へ」
表題からも読み取れるように、それぞれのベンヤミンのテクストへのアプローチは非常に独特なものであり、多様な読みの可能性がこのセクションでは提示されたと思う。
セミナーの参加を通して問題の焦点として浮かび上がってきたのは、資本、労働、生産、消費、価値、交換といった資本主義を分析するための基本的なカテゴリーが、『パサージュ論』においては最も広義における〈イメージ〉を介して連関していることである。ここで〈イメージ〉とは商品の「現われ」でもあるし、資本主義の舞台とも言える大都市の相貌でもあるし、モードでもある。また、『パサージュ論』の〈登場人物たち〉――ルンペンプロレタリアート、労働者、賭博家、蒐集家、遊歩者、革命家、芸術家など――も都市生活者の類型として固有の〈イメージ〉をもって現われる。
『パサージュ論』は近代における都市経験をよく記述しており、遊歩者などは現代の都市論に不可欠な概念となったが、大都市におけるイメージ経験が資本の自己増殖プログラムのうちに組み込まれていることを忘れてはならない。いわば資本は私たちがファンタスマゴリーに眩惑されることを計算に入れているのである。資本は利益を生み出すためにさまざまなものに変容するが、その変容態のひとつである商品は自らの価値を目に見えるものとすることによって〈感性〉にまず訴える。〈ファンタスマゴリー〉とはいわば資本と感性との関連を生み出すため大掛かりな装置なのである。この意味で『パサージュ論』において生産や労働などの〈下部構造〉についての問いを維持しようとしていたあるセミナーでの張旭東の姿勢は印象的であったし、ベンヤミンの試みの内実をいま改めて問うときに必要不可欠なものであると言えよう。
実は、このことは上海という都市の経験と深く関係してもいる。現在急速な勢いでその相貌を変えつつある上海であるが、ここには世界でも類をみないファンタスマゴリーと、個体のたんなる集団ではないアモルフな〈大衆〉とその力、剥き出しになった肉体労働と貧困が並存しつつ存在している。この都市を歩くことは、『パサージュ論』の記述を現実の体験のうちに再読するような経験なのである。セミナーではどのセクションでも多くの学生が出席し、極めて大きな関心とともにベンヤミンが読まれていることが伝わってきた。『パサージュ論』が読まれる必然性がいま上海にはある。
森田 團(東京大学・院)