第2回大会報告 パネル3

7月1日(日) 13:00-15:00 18号館4階コラボレーションルーム1

パネル3:開化と啓蒙――近代日本における知の変容と再配置

国家理性、啓蒙、敵――丸山真男の福沢諭吉/金杭(東京大学・院)
仮構される内発性と国民文学――漱石の18世紀英国小説論を読み返す/武田将明(法政大学)
二つの啓蒙――『百科全書』と『百科全書教導説』/大橋完太郎(東京大学)

【コメンテイター】李孝徳(東京外国語大学)
【司会】松浦寿輝(東京大学)


本パネルは、日本の近代化を規定する二つのキーワードである「開化」、「啓蒙」から明治期の、あるいはより広くは近代日本の言説編成を再考するという企図から構成された。三つの発表はそれぞれ、明治期の啓蒙、翻訳のプロジェクト、開化の内発性/外発性、明治期ナショナリズムの解釈をめぐって行なわれ、テーマ上も内容上も互いに緊密に連関しあうものであり、互いが互いの問題を浮き彫りにしあう密度の高いパネルであった。


大橋完太郎(以下、敬称略)による最初の発表「二つの啓蒙――『百科全書』と『百科全書教導説』」は、明治期の啓蒙を二つの異なる「百科全書」プロジェクトを通して考察するものである。彼は前提として、近代的な啓蒙概念をドイツ的啓蒙Aufklärung(カント「啓蒙とは何か」)、フランス的啓蒙Lumières(ディドロ=ダランベール『百科全書』)に分け、理性の公的使用を担保しつつもその伸張を啓蒙専制君主による統治へと送り返す前者の啓蒙を官製啓蒙、個人の中に見出される複数の啓蒙の光(Lumières)に基づき、理性を働かせる者としての「フィロゾーフ」が担い手となる後者の啓蒙を民製啓蒙と規定する。その上で、諸学の体系化の試みである西周の「百学連鎖」説を分析し、歴史学を中心(「普通学」)として構築された諸学の体系化、その科学的歴史性に対して、文学の持つ固有の歴史性=物語性が諸学の体系性を脅かすという図式を析出する。さらに、箕作麟祥による「百科全書教導説」が「自己教育」としての啓蒙という理念を提示した点に注目しつつ、それが最終的に、同じ箕作の起草する学制の理念、つまり「富国強兵」のための「自己教育」という理念につながっていく、という観点を提示する。大橋の発表は、二つの辞書編纂の理念が、近代日本における西欧的学問の摂取と移植=学問の体系化がはらむ困難と、近代国家の編成のための国民教育の問題へと繋がっていく点を明らかにした点で興味深いものであった。ただ、前半の「民製啓蒙」、「官製啓蒙」の図式と西、箕作の試みとの関係については一言明確な言及が必要であったと思われる。

大橋 完太郎


武田将明の「仮構される内発性と国民文学――漱石の18世紀英国小説論を読み返す」は、夏目漱石が提示した有名な「開化の内発性と外発性」という視座を、彼の18世紀英国小説論(『文学評論』)から謂わば逆照射して読み直すという意図からなっている。漱石は「現代日本の開化」において、西洋の開化が内発的(「内から出て自然に発達する」)であるのに対して、日本の開化が「外からおっかぶさった」外発的なものであるという見解を示したが、武田はこれに疑義を呈し、すべての近代化は(形成途上の)ネイション外部と内部の間の相克から生まれてくるものであって、それはイギリスも例外ではないと考える。例えば、標準的な文学史によれば、いわゆる「英文学」は18世紀に大きく発展し、それがヨーロッパ諸国に影響を与えたことになっているが、実際のところ、18世紀における「英文学」は当時イギリスで流行していたフランス文学の翻訳への対抗意識から生まれたものであり、決して「内発的に」生まれたものではない。そこから武田は『文学評論』における漱石のデフォーとスウィフトへの評価を扱う。漱石によれば、デフォーの描写は「実用」を重んじ「損得」を行動原理とする経済至上主義的なもの(「神経遅鈍」な俗物)であり、それはイギリス帝国主義の姿そのものである。この評価はジョイスの有名なデフォー論(ロビンソン=イギリス帝国主義の原型)と極めて近い。対して漱石は、そうした「開化」の喧騒から生まれた18世紀文学の中で、例外的に厭世的な文学を描いたスウィフトを高く評価する。ここから武田は、文明、開化を疑い、つねにその外部に立とうとする姿勢を漱石の文学的倫理として抽出する。つまり、『文学評論』を通して「開化」を考えた場合、単に一国の開化を「内発的」、「外発的」というタームで捉えることが問題なのではなく、そうした開化=啓蒙の外部に身を置き、それを批判的に描き続けることが問題なのである。武田の発表は、人口に膾炙した「開化の内発性と外発性」という問題を『文学評論』から迂回して考察することで、「開化」に対する漱石の態度を開化=啓蒙そのものへのメランコリックな批判として明確化した点で、極めて刺激的な発表であった。

武田 将明


最後の金杭による「国家理性、啓蒙、敵――丸山真男の福沢諭吉」は、丸山の福沢論から丸山のナショナリズム論を析出し、そのナショナリズム論がいかなる点で破綻を迎えるかを論じたものである。まず金は、丸山の政治学が「個人は国家を媒介として具体的定立をえつつ、しかも絶えず国家に対して否定的独立を保持する如き関係に立つこと」をその課題としていたと指摘した上で、丸山が福沢を称揚したのは福沢の中に上のような国家と個人の間の美しい「均衡」を見たからだとする。そこから金は、丸山のナショナリズムを国民が国民たろうとする「決断的行為」であると定義する。つまり、丸山の理想とするナショナリズムとは、国家を決して実体化せず、個人の実存的(existential)決断――個人が国民へとex-istすること――の連続によって絶えず国民を形成しつづけることなのである。こうした命題が福沢に読み込まれたとき、福沢のナショナリズムは、状況の中で国民たろうとする決断を繰り返すものとして定式化される。丸山が「複眼主義」、「惑溺批判」と名指す福沢の思考は、絶え間なき決断の連続によって、自らの決断を絶対的なものとしない(自らの立場に「惑溺」しない)ことを重視するものである。しかし、金によれば、そのような丸山=福沢の決断主義は、日清戦争をめぐる福沢の立場変更と、それを正しく捉えられなかった丸山の福沢への「惑溺」によって崩壊してしまう。戦争という非常事態において、つまり日清戦争を文明対野蛮の戦いであると規定することによって、福沢のナショナリズムは国家の「敵」を固定化し、自己の立場に「惑溺」してしまう。そのとき、決断の反復という丸山=福沢ナショナリズムの理念は崩壊してしまうのである。金の発表は、丸山のナショナリズム観を国民たるという決断の連続として明確化し、それが福沢の戦争をめぐる言説を批判的に受け止められなかったがゆえに破綻していくさまをまざまざと明らかにした点で、興味深いものである。しかし、同時に丸山=福沢のナショナリズム論をルナンのナショナリズム論と明白に同一視している点には疑問も残る。ルナンの外挿によるのではなく、丸山、福沢両者のテクストを内在的かつさらに繊細に読解することによって、議論はより説得力を増すであろう。

金 抗


三者の濃密な発表の後、コメンテーターの李孝徳は「Japanesenessの立ち上げとしてのナショナリズムと、日本人がどのように向き合うのか」という問いが全員の発表を貫いていると指摘した。実際、大橋と金の発表は、まさに「Japaneseness」の立ち上げの試みという意味でのナショナリズムを主題としており、大橋の場合、その外部としての文(学)=エクリチュールの位相を析出し、また金の場合、その破綻をもたらす「戦争」の介入=国家による決断の固定化という要素を析出することで、それに批判的視点を提示している。また、武田の発表は、そのようなナショナリズムへの「惑溺」を疑い、それをメランコリックに批判することを一つの倫理として提示するものであった。

李 孝徳


また、司会の松浦寿輝からは、戦前の日本は国家装置が強力であった半面、「戦争機械」(ドゥルーズ=ガタリ)が脆弱であり、それが国家総動員体制につながった、という指摘がなされた。関連して会場からは、森鴎外における文人=軍人という立場の特異性に注目するべきである、という指摘のほか、ナショナリズム論におけるルナン=シュミットというカップリングは国民国家の立ち上げと戦時=非常事態の持続という戦前日本のあり方を示すものでもある、という指摘がなされた。

佐藤吉幸(筑波大学)

パネル概要

近代とは自己自身によって外部を絶えず再我有化する運動である、と仮に定義することが可能であったとしても、それでもなお、近代それ自体への問いは、単なる弁証法的なプロセスの図式的理解にとどまらず、複数的な秩序へ向けて開かれなくてはならない。「開化 civilization」と「啓蒙 enlightenment」という二つの理念は、複数の弁証法が同期した時代の解析へと向けられた鍵概念である。両者は、相対的でローカルな価値の確立と、合理的で技術的な知の体制とを目指す二つの異なるノモスとして、近代を読み解く参照項となる。

本パネルは、検討する共通のフィールドとして、近代初期の日本、正確には明治期の日本の諸言説を設定した。近代日本における言説空間は、文学・政治・学問(あるいは芸能なども含まれよう)の混交によって形成され醸成されてきたものではあるが、そこにおいては既に、様々なる外部(もちろんこれは、単なる「外国」にはとどまらない)が封入され、混じりあっている。こうしたものの読解においては、諸言説を常にある種の緊張関係の内で読み解く試みが必要とされるだろう。言わばこのパネルは、明治期の表象空間を現出させる前段階として、その頑迷固陋な言説空間に分け入りつつ、いくつかの文脈からそれを解きほぐそうという試みである。自ら開きつつ閉じていく開化の原理と、照明を目指しつつ消えていく啓蒙の原理との関係を複数の言説の交錯から読みとりつつ、近代日本を理解するための補助線を思考することを、発表や議論を通じて探求してみたい。(パネル構成:松浦寿輝・大橋完太郎)

「国家理性、啓蒙、敵――丸山真男の福沢諭吉」
金杭

青年期から最晩年に至るまでの福沢諭吉解釈において、丸山真男の基本的関心は福沢の 「啓蒙」だったと言える。そして丸山によると、福沢諭吉の啓蒙は何よりもまず国家の独立を目指すものだった。儒教批判や文明開化など福沢諭吉の思想を彩るさまざまなテーマは、すべて日本の 「独立自尊」 に収斂されるというのである。だが福沢諭吉は単に国家の独立のみを声高に主張したのではない。福沢は「個人主義者たることにおいて国家主義者だった」からだ。丸山の福沢解釈はまさにこの一言に縮約されていると言って良い。つまり丸山は、福沢の思想に現れた個人と国家の弁証法的相関に、近代日本における啓蒙の一展開を汲み取ろうとしたのである。こうした丸山の解釈はさまざまな批判に直面してきた。日本の植民地支配と侵略を肯定し、帝国主義的な世界秩序を不可避のものとしているのではないか、という批判である。だがこうした批判のなかで、丸山による近代日本への容赦のない解剖は、彼の思想に内在する論理的な回路によって位置づけられることなく、ナショナリストという価値判断から下される外在的な嫌疑によって裁断されてきた。それゆえ丸山真男の福沢解釈を論じる際に必要なことは、彼の近代日本批判のなかでいかに福沢解釈が論理内在的に位置づけられるか、ということであろう。今回の発表ではこのような作業を通して、丸山が見出そうとした明治期啓蒙の系譜とその限界を明らかにしたい。

「仮構される内発性と国民文学――漱石の18世紀英国小説論を読み返す」
武田将明

漱石によって提示された近代文化の内発性と外発性という概念によれば、必要に迫られて急速に近代化を推し進める日本の開化は外発的であり、自然に反しているが、必然的な手順を踏んで近代化を成し遂げている西欧の開化は内発的ということになる。漱石は日本の開化における問題をこのような論理で指摘したが、漱石が留学して学んだ英文学にしても、それ自体内発的に発展したものとは言い難い。

一般に英国近代小説の祖と目されているダニエル・デフォーの時代、実際にはフランスをはじめとする大陸から深い影響を受けた小説がイライザ・ヘイウッドなど女性作家によって多数書かれ、広範な読者を得ていた。しかるに、19世紀初めから現代に至るまで、デフォーを祖とする内発的な「英国小説史」が作られ、英米の言説を支配してきた。それは決して同時代的な根拠をもつものではなく、後の時代に捏造されたものである。

近代日本文化の外発性に屈折した思いを抱いた漱石は、他方で英国文化の内発性を仮構したデフォーの作品に厳しい評価を下している。それに対し、他者との出会いを大きなテーマの一つとするスウィフトの『ガリヴァー旅行記』には肯定的なのは興味深い。本発表は、内発性の仮構というイデオロギーを軸に、英国近代小説史と比較しつつ、近代日本で小説が国民性と接続される過程に一つの見通しを与えることを目指す。

「二つの啓蒙――『百科全書』と『百科全書教導説』」
大橋完太郎

「啓蒙」は複数存在する。その最も単純な区別は、例えばドイツ啓蒙の標語となった Aufklärung と、フランス啓蒙を総括して言われる Lumièresとの違いに見出される。開明的な君主の資質を期待しつつ、いわば「官製」で行われる訓化を目指すことがカントの提示した啓蒙だとすれば、大革命を準備することになったフランスの啓蒙思想は、弾圧を被りかねない思想家たちが、地下的なものも含めたネットワークを構築しつつ作り出した、「民製」のものだと言えるだろう。おそらくこうした差異は、啓蒙の後に到来する国民国家の成立にまで影響していることが予想される。

啓蒙思想と国民国家との関係を考える上で、「百科全書」という言葉をキーワードにした啓蒙活動が歴史上少なくとも二つの国において存在している、ということは注目に値する。18世紀半ばのフランスにおいては、英国人E.チェンバースが編纂した『サイクロピーディア』を元に、ディドロとダランベールが『百科全書』の編纂を企てた。他方で、幕末から明治にかけての日本では、明六社の箕作麟祥によって、『百科全書教導説』と題されたW.チェンバースの辞典項目の翻訳が刊行されている。ディドロとダランベールの『百科全書』の思想を敷衍しつつ、共通の基盤とでも言うべき「百科全書」という理念を解析する事で、日本の啓蒙思想の特徴を浮彫りにする事を本発表では試みる。

松浦 寿輝