第2回大会報告 パネル6

7月1日(日) 15:30-17:30 18号館4階コラボレーションルーム1

パネル6:身体・映画・絵画にみる大日本帝国――ナショナリズムとジェンダー

ふたつの御前会議――敗者/勝者のためのせめぎあう記憶/北原恵(甲南大学)
エスノセントリズムの“善意”――表象としての沖縄/宜野座菜央見(明治大学・非常勤)
戦中期日本における「母性」イメージの系譜学/千葉慶(千葉大学・非常勤)

【コメンテイター】坂元ひろ子(一橋大学)
【司会】香川檀(武蔵大学)


本パネルは、アジア太平洋戦争の時代を中心に、歴史的事件を描いた絵画やナショナル・シンボルの図像、沖縄の記録映画などヴィジュアル・カルチャーをとりあげ、ナショナリズム/エスノセントリズムとジェンダーの視点から分析していくものである。


パネル企画者でもある北原惠氏の発表「《御前会議》の表象――『マッカーサー・レポート』と戦争画」は、戦争終結を決めた1945年8月の「御前会議」を描く2枚の油彩画に着目する。天皇の裁断を仰ぐ鈴木貫太郎首相を描く白川一郎の絵は日本人によく知られているが、他方、寺内萬治郎の筆になる天皇を焦点化した絵のほうは、アメリカで編纂された公的戦史である「マッカーサー・レポート」(1966年刊行)に掲載され、占領期研究者には基礎文献であったにも関わらず、掲載の絵画に注目されることはなかったものである。発表者はこの「マッカーサー・レポート」に多数の日本人画家による「戦争画」が掲載され、そのうちかなりの点数にのぼるものが戦後に描かれた可能性がたかいことを指摘し、日本の敗北を象徴する「御前会議」をはじめとする戦争の記憶が、戦後いわば「日米合作」のかたちで製作されていたことを明らかにした。

北原 恵


宜野座菜央見氏の発表「エスノセントリズムの善意――表象としての沖縄」では、戦時下の沖縄を描いたドキュメンタリー映画《海の民 沖縄島物語》(1941)を取り上げ、そこに内在する日本人のエスノセントリズムを批判的に検証していく。映画を製作した日本人の村田達二は、沖縄県民に対する差別に義憤を感じ、彼らがれっきとした皇国の一員であることをポジティヴに紹介しようとした。この映画はいわば、本土の日本人観客を「啓蒙」する意図で作られた「善意」の産物だったのである。結果的に「海の民」としての沖縄の人々に古代日本の姿を見るロマン主義的な想像力や、中世の琉球王国へのノスタルジーをこめる一方、ローカルな蓄財慣習に日本のジェンダー規範を重ねる強引さなど、さまざまなタイプの歴史の歪曲・抑圧を通じて沖縄を表象しながら、それでいて日本のヘゲモニーを確立していくレトリックを用いた。

宜野座 菜央見


最後に千葉慶氏は「戦中期日本における『母性』イメージの系譜学」と題した発表で、明治から戦中期に至るまでの近代日本において、美術に描かれた象徴的な母性イメージに注目し、それらが「国家を超える」存在として日本の対外的な膨張主義を支える視覚表象になっていった過程を探る。日名子実三のレリーフ《紀元二千六百年》(1940)は、中央に「母」としてのアマテラス、周囲に「子」としての日本・満州・中国の擬人像を配し、母子像として「八紘一宇」を表している。時代を遡ると、明治期の狩野芳崖《悲母観音》において、すでに観音を理想的な母の像とする思想が見られる。なお当初、国家主義的限定性=作為性の意識されていた「母性」思想は、反国家主義思潮の中で限定性=作為性を否定され、やがて超国家的かつ自然化された母性像へと変遷していく。こうして自然化された超国家的母性像は、宗主国日本とその植民地との強固な共同性を表象したのである。

千葉 慶


中国思想文化史を専門とするコメンテーターの坂元ひろ子氏からは以下のような指摘をいただいた。

【北原氏の発表に対して】:戦後GHQとの天皇表象の合作という知見は、朝鮮戦争という「次の戦争」へつながる問題として考えられる。また、中国側から見ると、天皇の表象は抗日戦争期における中国の漫画における天皇の描き方と好対照をなしている。

【宜野座氏の発表に対して】:沖縄ほど外からイメージが作られてきた場所はない。啓蒙的な視線のなかのエスノセントリズムには、ヘーゲル哲学における海洋民族の位置づけもあったのではないか。戦時下の「文化映画」(=記録映画)というジャンルは、中国で撮影されたものが多く、日中不可分なものとして流通していたが、根底には欧米コンプレックスがあった。

【千葉氏の発表に対して】:もともと衆生を救う観世音菩薩は母性とは無関係だったのだが、なぜ理想の母イメージになったのか。人間レベルの「慈母」を超えた、より高次な母性としての「悲母」を超国家的な存在へとおしあげる強引な読み替えがあったと思われる。これを日中戦争の文脈のなかで、たとえば『満州グラフ』に出てくるアマテラスなどと比較すると面白い。

坂元 ひろ子


この他、フロアからは沖縄映画の音楽について、ドキュメンタリーの客観性について、観音像のヴァリエーションとしての騎龍観音についての質問などがあった。ヴィジュアルを中心とした表象の政治性を、近代日本のナショナリズムとジェンダーいう明確な文脈においたパネルとして、充実した内容であった。

香川檀(武蔵大学)

パネル概要

本パネルは、ジェンダーと民族の視点から、表象としての大日本帝国、国体、身体、女性運動を扱う。分析対象は、(1)アジア・太平洋戦争期に製作された沖縄に関するドキュメンタリー映画(宜野座)と、(2)戦争終結を決めた1945年8月9日の「御前会議」を描いた油彩画(北原)、(3)近代日本を通して成立してきた超越的「母性」に関する表象/言説(千葉)であり、時代は、アジア太平洋戦争期とその前後を含む。

誰が国民であり、誰が国民でないのか。これは総力戦下において絶えず変容し矛盾をはらみながらも厳しく求められた定義である。宜野座は、沖縄に関するドキュメンタリー映画がそれぞれ異なったレトリックによって拡大する帝国日本の論理に奉仕したことを検証し、博愛的善意に内在する日本の自民族中心主義が、今日まで続く「日本を相対化して捉え直すための装置として沖縄を用いる思考様式」を形成してきたことを検証している。

北原は、ポツダム宣言受諾を決めた1945年の「御前会議」を描いた2枚の油彩画を取り上げ、それらが勝者(米国)と敗者(日本)の権力者のために描かれた歴史を明らかにし、それらの所有形態と私的/公的な記憶への変容、忘却/国家的記録化へのせめぎあいを検証する。千葉は、戦中期に作成された民族を超越する究極の「母性」表象がいかなる思想的過程で成立したのかを、悲母観音をめぐる解釈史を軸として、系譜学的に論じる。(パネル構成:北原恵)

「ふたつの御前会議――敗者/勝者のためのせめぎあう記憶」
北原恵

本発表は、1945年8月9日の「御前会議」を描いた二枚の油彩画を取り上げ、その表象と記憶の政治学について分析する。一枚は、1960年代に鈴木貫太郎記念館のために白川一郎によって描かれた《最高戦争指導会議》であり、一枚は、GHQが編纂した戦記『マッカーサーレポート』(Reports of General MacArthur)に、アジア・太平洋戦争の挿絵として掲載されている《御前会議》である。鈴木の絵は、昭和天皇の「聖断」を乞うた鈴木の英姿を焦点化しており、主人公は鈴木貫太郎であるのに対して、寺内の主人公は、天皇であると同時に、天皇と日本の閣僚たちによって身体化された国体そのものである。この二枚の「御前会議」は、同じ登場人物と同じ歴史的瞬間を扱いながらも、前者は勝者の権力者のために描かれ、後者は敗者の権力者のために描かれるという決定的な違いがあった。

1966年に出版され占領史研究の中では基本文献である『マッカーサーレポート』は、寺内の《御前会議》以外にも、日本人によって描かれた戦争画が大量に掲載されているが、日本の戦争画研究でこれまで言及されることはなかった。本発表では『マッカーサーレポート』の表象空間を分析して寺内の絵画を歴史的に位置づける。その後寺内の絵画がプライベートな絵画として不可視化・忘却される一方、白川の御前会議が日本国家の公的記録として表象されていく過程と痕跡をたどる。

「エスノセントリズムの“善意”――表象としての沖縄」
宜野座菜央見

この発表は、ドキュメンタリーが“文化映画”と称された時代に製作された2つの作品を取り上げ、沖縄への“善意”に基いて製作されたはずの2作品が、それぞれ異なったレトリックによって、拡大する帝国日本の論理に奉仕したことを検証し、国民‐観客を啓蒙するスタンスに内在した、日本の自民族中心主義を抽出する。

日本映画において、製作の主流はあくまで劇映画であり、ドキュメンタリー製作は劇映画と別個にマイナー領域を構成して活動していた。このマイナー領域が俄かに重要性を見出され注目されたのは、中国との総力戦到来によってである。戦争を遂行する国家から、国民啓発の役割を期待され、文化映画の劇場上映が確保されたからである。

2つの文化映画のうち、『沖縄』(1936年)は、日中戦争の開始前に製作されたのどかな観光映画であり、“島の女”のエキゾティシズムをモチーフとする。一方、『海の民』(1941年)は総力戦の緊張感を伝え、「海の民」に古代日本の姿を見出すロマン主義的なモチーフで構成される。対照的な2作品に共通するエスノセントリズムは、規範的なジェンダー・イメージを効果的に用いながら、観客に日本のヘゲモニーを刷り込み、沖縄を紹介しながら、沖縄である必然のない言説に寄与したのである。

「戦中期日本における「母性」イメージの系譜学」
千葉慶

本発表は、戦中期に作成された民族を超越する究極の「母性」像を出発点として、その表象の成立過程を系譜学的に論じる。日名子実三が1940年に制作したレリーフ「紀元二千六百年」は、中央に「母」としてのアマテラス、周囲に「子」としての日本・満州・中国の擬人像を配している。つまり、母子関係を基軸にして、「八紘一宇」の世界像を理想郷であるかのように表象しているのである。

このレリーフの表現は、近代日本における「母」イメージの系譜において、一つの頂点と位置づけることが出来る。その理由の第一は、「母」が国家を超える神聖な存在として描かれていることにある。近代政治では、生み育てる存在としての「母」に注目し、国策的に利用してきた。しかし、あくまで国策における「母」は、国家内部の存在でしかなく、国家を超えるイメージは破格のものである。

理由の第二は、「母子一体」の表象が、夫の不在によって、女性を生まれながらの「母性」として自然化することにある。そして、「母子一体」のイメージは、かつてヘソの緒で繋がっていた母と子の関係性を幻想上で復活させ、決して解体されることの無い強固な共同性を作り出す。では、このような究極のイメージはいかなる思想的プロセスで成立するに至ったのか。本発表では、近代日本でもっともポピュラーな「母性」イメージの一つである、「悲母観音」の解釈の時代的変遷を軸に追ってみたい。

香川 檀