第4回研究発表集会報告 研究発表 4

研究発表4

2009年11月14日(土) 13:30-16:00
東京大学駒場キャンパス18号館4階コラボレーションルーム2

研究発表4:表象の近代とネーション

『日本風景論』の三大美的範疇 ── 「瀟洒・美・跌宕」とその典拠
岩崎真美(東京大学)

うつされた歴史 ── 絵巻、絵画における明治期事跡表現の遷移と転移
研谷紀夫(東京大学)

終わりのない博覧会 ── 全ソ連邦農業博覧会と民族パヴィリオン
本田晃子(東京大学)

【司会】宇野瑞木(東京大学)

最初の発表者である岩崎真美氏は、「『日本風景論』の三大美的範疇 ── 「瀟洒・美・跌宕」とその典拠」と題して、志賀重昻(1863~1927)の『日本風景論』(1984年の初版以降、第四版まで本文の修正・追加を加えている)を取り上げ、明治前半期のナショナリズムの中において、志賀が日本の「風景論」を立ち上げていく過程で、どのような西洋の書物から着想を得たかという点を中心に考察した。

その際、特に着目したのが「瀟洒・美・跌宕」という三つの美学的概念であるが、まず書誌学的・伝記的側面の検討から、当時中国経由で入ってきた漢訳洋書を基に日本で編纂された字典類との関わりを調査し、特に『修辞及華文』が志賀の風景論に影響したのではないかという新しい見解を示した。それを基に、さらに三つの美学用語の美学的な検討において、19世紀初頭のラスキンの「寄生的崇高=ピクチャレスク」の議論に引き付けて、同時期の伊東忠太のラスキン読解を介しながら同時期における日本の風景論の生成の文脈を検討した。

最後に『日本風景論』の挿図について紹介しながら、名所図会的に日本伝統絵画と西欧由来の科学的見地に基づく描写の両方が採用されている点を取り上げ、視覚的イメージにおいて志賀の理想的な日本の風景イメージと三つの美学概念との一致と問題の所在を示した。

質疑では、志賀の『日本風景論』における「瀟洒」「跌宕」について、西欧からの美学的概念の移入の問題だけでなく、中国の山水に関する絵画や言葉の蓄積の問題も視野に入れて、その間でいかに日本の風景を立ち上げようとしたのか、を考えるべきではないかといった指摘があった。その他にも、馬琴の『椿説弓張月』の漢語とその読み方をめぐって、江戸時代からの漢語の流れについての質問などがあった。こうした中国及び日本の文脈については、岩崎氏自身今後の課題とするということであったが、西洋からの美学概念の受容と日本の風景論の立ち上げとの接点について、いくつかの用語に絞ってていねいに分析された発表であった。

次に研谷紀夫氏は、「うつされた歴史 ── 絵巻、絵画における明治期事蹟表現の遷移と転移」と題して、明治初期の岩倉具視による「岩倉使節団」の横浜からの出港を描いた「岩倉大使欧米派遣」という画題を中心に取り上げながら、近代の「事蹟画」の特徴を分析した。
この画題は、昭和前期の山口蓬春による明治神宮聖徳記念絵画館の壁画が有名であるが、明治期以来何度も絵画化され変遷を遂げてきた。これを踏まえ研谷氏は、山口蓬春が先行する下図・本図や写真をいかに参考にし、取捨選択を行ないながら作図したかを見極める作業を行なった。その過程で明らかになったのは、同じ場面を描きながらも、主題が岩倉の事蹟画から明治天皇の事蹟画へと変化した点であった。

さらに研谷氏は、近代の事蹟画とは何かについても言及した。氏によれば、特定の人物の顕彰を目的とする事蹟画の特徴は、その人物を主体とした重要な出来事について固定的場面が繰り返し描かれる傾向にある一方で、主体がその出来事に関連する別の人物に移転し分散化することがしばしば起こる点にあるとし、その好例が本画題であると結んだ。

質疑では、近代の事蹟画の特徴についての質問が相次いだ。まず、聖徳太子絵伝といった近代以前の事蹟画と近代の事蹟画の違いは端的に言えば何なのか、という質問については、近代の事蹟画は、科学的な歴史や情報が溢れた中で同時代の出来事を描くため、あまりに史実から離れてしまっては機能しない一方で、神話化する必要もあるとし、この葛藤が特徴であると述べた。さらにこれに関連して、研谷氏の「ファンタジーと史実の中間」と言う表現についても詳しい説明が求められた。それに対して、研谷氏はドラマティックであること、特に構図や描写の問題が重要であるとし、ある出来事を描くにしても、どのように立っていたか、どちらを向いていたかといった点は自由に描写する余地があると説明した。

最後は、本田晃子氏の「終わりのない博覧会 ── 全ソ連邦農業博覧会と民族パヴィリオン」と題された発表であった。本発表は、1930年代のソヴィエト・ロシアにおける社会主義リアリズムの形成過程について、その理念が実現されたパヴィリオン建築とそれを取り巻く言説(構想段階における言説も含む)の分析をとおして考察を行なうものであった。 本田氏は、その過程において重要な役割を果たしたのは、35年にスターリンから認可され、39年に一般公開を開始した全ソ連邦農業博覧会のパヴィリオンであるして、その特徴に、1)その開催まで度重なる遅延とそれに伴う改装があった点、2)社会主義リアリズムの諸民族同権の理念に基づき、民族的表現の重要性が唱えられたにもかかわらず、その民族的表現がロシア・パヴィリオンにのみ不在であった点、3)本来一過的なイベントであるはずの博覧会が永続的な定着化をみた点を挙げた。

さらにこれらの特徴から、ロシアが自らの民族共和国としての表象を否定することで、他の共和国をメタレベルで束ねるソ連のイメージと等しく映るようなメカニズムがみてとれると指摘した。また、このような農博という空間全体が、ソ連邦という共同体の理想的なミニチュア・モデルとして提示され、そのフィクションにしたがって現実が建設されることが要請された意味において、農博は社会主義リアリズムの権力装置の縮図であると同時に、まさにその力が発動する現場であったとも言えるとして、総括した。

質疑においては、1)社会主義リアリズム以来のシステムが現代まで機能しているといえるのか否か、2)ロシア建築における社会主義リアリズムの位置づけ・評価について、が論点として挙がった。まず1)については、本発表は現代までを視野に入れているが、主に1930年代の問題を扱っている点を強調した形で応答した。2)については、社会主義リアリズム建築の特徴を「民族的」かつ「社会主義的」にある点とし、当時のソ連邦の統治の概念に密接に結びついていていた点を再度確認した。

「表象の近代とネーション」と題された本セッションでは、それぞれフィールドは異なっていても、主に20世紀前半における「ネーション」の自己像の形成過程をていねいに分析する発表が揃ったように思われた。そうした意味では、ロシア民族とそれ以外の多民族によって成り立つソビエト・ロシアと日本という、大きく異なる状況下における自己像のあり方が対比的に浮き彫りにされた興味深いセッションであったといえるのではないだろうか。

宇野瑞木(東京大学)

【発表概要】

『日本風景論』の三大美的範疇 ── 「瀟洒・美・跌宕」とその典拠
岩崎真美(東京大学)

明治27年10月に出版されてから9年間のうちに15版を重ねる大ベストセラーとなった志賀重昂による『日本風景論』は、国粋主義的に日本の風景を称揚するのみならず、自然環境保護を訴えた啓蒙的地理書、近代的登山への手引き書などの多側面を備えている。文明開化に当たり当時の知識人が直面した海外の思想受容は、剽窃をはじめとして問題化されてきた。志賀はいわゆる科学と美学の融合を目指し、まず「瀟洒・美・跌宕」という三大範疇論を掲げ、それらを地理学的に根拠づけていく。先行研究では「跌宕」が「崇高」に相当すると論じられてきたが、「瀟洒」については十分議論が尽くされていない。そこで本発表では、「瀟洒」を「ピクチャレスク」と関連付け、志賀の定義しようとした美学的範疇が、あくまでも国家という枠組みに囚われた理念であったことを指摘する。まずは当時の字典に三概念の典拠を求め、次に内村鑑三が志賀について「日本のラスキン」と称し、両者の著作を比較した英国の美術批評家ジョン・ラスキンの議論を手掛かりとする。ラスキンは「ピクチャレスク」を定義づけるにあたり、ターナーの図像を恣意的に用いたが、志賀の場合、数人の職人に依頼して図版の提供を受けている。名所図会のような既成の風景が、特定の地域に限定されることなく、日本全土に存在することを実証しようとした志賀もまた、理想化された国土を念頭に置きながら風景を論じているのである。

うつされた歴史 ── 絵巻、絵画における明治期事跡表現の遷移と転移
研谷紀夫(東京大学)

明治の中期より、明治天皇や明治維新で活躍した元勲達が死去した際には、幕末から明治にかけて本人が関わったさまざまな歴史的場面が絵画化され後世に伝える事業が続いた。それらの代表的な例として、明治中期に三条実美の事蹟を絵図で表現した「三条公履歴」や、明治天皇の死後、その天皇の事蹟を一連の壁画として残そうとした神宮外苑絵画館の設立事業、昭和期における明治天皇紀の附図作成事業などがあげられる。これらの各事業では、同じような歴史的な場面が描かれているため、図が参照関係にあり類似しているものもあれば、まったく別のイメージを描いている作品もある。

本発表では、これらの中から複数のモチーフに着目し、明治期に描かれた絵巻、大正期における聖徳記念絵画館設立のために作成された二世五姓田芳柳による考証図の下絵と考証図の本図、さらに、大正末期から昭和期にかけて、写真なども活用して描かれた聖徳記念絵画館の各揮毫画、そして昭和期に再び二世五姓田芳柳によって描かれた明治天皇紀の附図という一連の流れの中で、同じモチーフを描いた絵の参照関係とその相違点を明らかにする。その上で、本研究では同じ画題でありながら、様式や、描き手、描く目的、参考とする資料と描かれた時代の違いによって、これら三つのモチーフがどのように変化したかを「写される」「移される」「映される」という三つの観点から比較考察し、近代における“同時代史の表象”のあり方について考察する。

終わりのない博覧会 ── 全ソ連邦農業博覧会と民族パヴィリオン
本田晃子(東京大学)

1930年代にソヴィエト・ロシアで開花した社会主義リアリズム建築は、社会主義という内容の器として、連邦内各民族共和国・自治共和国の伝統的な民族建築様式を擁護した。モダニズム建築=インターナショナル・スタイルのグローバルな空間の均質化や、資本主義市場経済による民族文化の抑圧・搾取に対する批判の下に生み出されたこのようなテーゼは、しかし現実にはいわばもうひとつのインターナショナル(超民族)・スタイルとして機能することになった。

本発表は大祖国戦争(独ソ戦)の前後の時期にモスクワにおいて開催された全ソ連邦農業博覧会に見られる各民族共和国のパヴィリオンのデザイン、およびそれらに対するオフィシャルな批評言説の分析を通して、社会主義リアリズム建築における(超)民族的性格の形成メカニズムを検討するものである。また各民族パヴィリオンに対するロシア・パヴィリオンの不在という現象にも注目し、ロシア的なるものの建築表現をめぐるタブーと、その構造的な表象不可能性を指摘していく。そしてこれらのパヴィリオンの関係性の検討を通して、本来一過性のものであるはずの博覧会が永続するテーマパーク的空間へと変容していった背後にある、循環的イメージからなる共同体としてのソ連邦像を読み解く試みを行なっていきたいと考える。

岩崎真美

研谷紀夫

本田晃子

宇野瑞木