第5回大会報告 研究発表 8

研究発表8

2010年7月4日(日) 16:30-18:30
東京大学駒場キャンパス18号館4階コラボレーションルーム

研究発表8:初期アメリカ映画のストラテジー

アメリカにおける映画前史としてのムービング・パノラマ興行と『ポトマック川下り』
渡部宏樹(東京大学)

アメリカ初期/古典映画における情動のコンテクスト
── 『国民の創生』を題材に
難波阿丹(東京大学)

Edwin S. Porterによる「アメリカ」映画の発明と世紀転換期アメリカ像の再創造
中垣恒太郎(大東文化大学)

【コメンテーター】板津木綿子(東京大学)
【司会】畠山宗明(東京大学)

編集という映画独自の話法が未発達であるために、初期映画は長らく、映画が映画になる以前の「プリミティヴ・シネマ」として考えられてきた。近年の研究はこうした見解に対し、初期映画をそのオリジナルなコンテクストのうちに置き直すことで異議を唱えてきた。そこで明らかになったのは、ごく大雑把に要約してしまえば、(1)編集という話法を発達させ、物語映画(ハリウッド映画)へと至るという、従来の単線的な映画史には還元されることのない、初期映画を形成する多様な想像力であり、(2)編集という話法によって観客を物語化のプロセスに巻き込んでいく物語映画とは異なった、初期映画と観客の関係である。こうした初期映画研究の成果を視野におさめつつ、各発表は独自の視点から初期アメリカ映画にアプローチをした。

渡部宏樹氏の「アメリカにおける初期映画前史としてのムービング・パノラマ興行と『ポトマック川下り』」は、表題のとおり、エディソン社が1917年に製作した『ポトマック川下り』の起源を、映画前史としての「ムービング・パノラマ」のうちに位置付けるという試みであった。まず渡部氏は、一般的なパノラマとの比較において、ムービング・パノラマの特徴を描きだした。すなわち、一般的なパノラマは360度の円筒型のスクリーンを使って空間的イル―ジョンを作り出すことを志向するのに対し、ムービング・パノラマは数百メートルに及ぶ横長な画布をスクロールすることによって時間性を導入しているのである。この時間性の導入という点で、ムービング・パノラマは一般的なパノラマよりも映画に近いと言うこともできるが、さらに『ポトマック川下り』とムービング・パノラマは、時間の流れとともに風景を推移させているのであって、両者の親近性はより明白であるだろう。渡部氏はこのように、映画話法という観点からは後進的と言わざるをえない『ポトマック川下り』を映画前史との関連で積極的に評価したのであるが、これは同フィルムにまったく物語性が欠けているということを意味しているのではないと続けた。すなわち、『ポトマック川下り』はその行程で、独立戦争や南北戦争で重要な役割を果たした地を訪れるのであり、アメリカのナショナリティーが喚起されているのである。筆者の知る限りであるが、パノラマに比べて、ムービング・パノラマの研究はそれほど進んでおらず、渡部氏は重要な指摘をおこなったと思う。

難波阿丹氏の「アメリカ初期/古典映画における情動のコンテクスト ── 『国民の創生』を題材に」は、ポンピドゥー・センターが開発したコンピュータ・ソフト「タイムライン」を活用しながら、一般的には「物語映画の嚆矢」として考えられている、D・W・グリフィスの『国民の創生』(1915年)を分析した。まず難波氏は、ショット間の分節を自動的に検出するという「タイムライン」のソフトとしての特徴を説明し、続けて、「物語」、「キャラクターおよび舞台設定」、「大記号(モンタージュ)」、「小記号(身振り)」、「照明などの肌理」という五層からなる映画表現の構造を分析のための枠組みとして示した。その上で、「タイムライン」はソフトの性質上、「大記号(モンタージュというショット間の組み立て)」の層を分析するのに適しているとし、いくつかのシーンの分析結果を提示した。混血黒人ガスが恋慕する少女を追いかけるシーンでは(このシーンは『国民の創生』でもとりわけ有名で、グリフィスの人種主義が露わになっているばかりか、ガスと少女のそれぞれのショットが交互に示されるという、グリフィスの名にその発展が帰せられるクロス・カッティングが使用されている)、少女がガスに追いつめられるにつれ、ショットの持続時間が長くなることが、「タイムライン」によってきわめて明瞭に示された。結論として難波氏は、物語の進行とともに、映画表現の層が「大記号」から「小記号(身振り)」へと重心が移行していることを明らかにし、映画話法の複雑さに注意を促した。映画分析にあたってコンピュータの有用性は疑う余地はなく、難波氏の発表はその方法と射程についてあらためて問いかけたプレゼンテーションだったと思う。

中垣恒太郎氏の「Edwin S. Porterによる「アメリカ」映画の発明と世紀転換期アメリカ像の再創造」は、表題にもあるが、一般的には「物語映画の父」とされるグリフィスの前段階といえる、ポーターの作品を扱った。グリフィスが1910年代前半のアメリカ映画を代表しているのだとしたら、ポーターは1900年代を代表していると言えるだろう。中垣氏は、以上のようなポーターの映画史的位置づけを手短に説明した後、よりアメリカ史に引きつけて、いくつかの作品を分析した。1906年の『チーズトースト狂の夢』では、アルコールで酩酊した紳士の主観的世界が、トリック撮影を活用した、街灯の揺れや家具の乱舞によって表象される。また、より初期の『ヨーロッパの休暇』(1904年)と『ニューヨーク23番街に何が起こったか』(1901年)については、当時のアメリカにおける観光産業および「ニュー・ウーマン」(『ニューヨーク23番街』では通気口からの風圧によって女性のスカートがめくれる)との関連が指摘された。映画史でポーターというと、初期映画から物語映画への過渡的段階を代表する人物として考えられがちである。それに対し、中垣氏の発表はポーターを同時代のアメリカのコンテクストのなかで捉えようとする試みであったと言えるだろう。

アメリカ史を専門とする板津木綿子氏がコメンテーターとして迎えられた。渡部氏に対する板津氏のコメントは、『ポトマック川下り』の1917年という製作年についてはどのように考えるのかというものだった。パノラマ映画はこの時代、一種のジャンルとして人気を博していたのだが、その最盛期はより精確には1910年あたりまでである。とすれば、遅れてきたパノラマ映画としての『ポトマック川下り』の特異性とは何か。難波氏と中垣氏の発表に対しては、1900年代から1910年代にかけてのアメリカ社会の特殊性について補足的な説明が加えられた。とりわけグリフィスの作品に反映されているように、この時代のアメリカには人種主義的な言説、あるいはヴィクトリア朝的女性像、さらにはポーターの作品に見られるようなアルコールや狂気に対する嫌忌があったのである。

その後、聴衆との質疑応答の時間が設けられた。渡部氏に対しては、鉄道の車窓から眺められたパノラマ映画と蒸気船のそれとの相違点についての質問、ニューヨークなどの大都市圏以外での受容についての質問などが、難波氏に対しては、バリー・ソルトやユーリ・ツヴィアンによって推進されている、同じくコンピュータを使った解析プロジェクト「シネ・マトリックス」との相違点についての質問などが、中垣氏に対しては、ポーター映画におけるマイノリティーの表象についての質問などが寄せられた。

本パネルは、各発表がそれぞれ刺激的であったのみならず、渡部氏(映画)、難波氏(情報学)、中垣氏(アメリカ文化)という専門を異とする三人の研究者が一堂に会し、学際的に意見を交換するという表象文化論学会にふさわしい場であった。最後ではあるが、畠山宗明氏の司会者としての活躍も付記しておきたい。

滝浪佑紀(シカゴ大学)

【パネル概要】

70年代末から80年代にかけて、初期映画史の書き直しが行われ、20世紀初頭の映画の見世物的な側面に光が当てられるようになった。映画は作品として自律的に受容されていたのではなく、観客の合唱のための補助ツール、あるいは生身のパフォーマンスの合間に挿入される見世物として、多様な受容のコンテクストの中で様々な機能を果たしていた。

このような特質は、映画の「プリミティヴ」な段階とみなされ、物語る装置としての映画と対立的に位置づけられてきた。しかし、物語るという機能にとって非本質的であるとみなされてきた外部的・文化的なコンテクストや編集以外の遊技的要素は、物語の傍らで物語とともに表象を構成し、積極的に観客を巻き込んでいる。そうした複雑な表象のプロセスは、古典的な意味での演出ともメディアの自律性を保証する技法とも異なる、フィルムに書き込まれた「戦略=ストラテジー」と捉えることが可能である。

とりわけアメリカの初期映画は、固有の歴史的コンテクストと切り離して考えることはできない。映画の登場から物語映画の生成期にかけてのアメリカは、工業国への転換を経て大規模な消費社会を実現しただけでなく、フロンティアの終焉を契機に国家の時間的・空間的境界線の意識を大きく変容させつつあった。本パネルは、そのような歴史的コンテクストを一種のプリズムとして重ね合わせることで、編集技法に留まらず、身振りの演出や映画前史的なメディア形式にまで浸透している、複雑なストラテジーを浮上させることを目的としている。

アメリカにおける映画前史としてのムービング・パノラマ興行と『ポトマック川下り』
渡部宏樹(東京大学)

本発表では1917年の『ポトマック川下り(Down the Old Potomac)』を具体的な検討の対象として、映画の表象の中に流れ込んでいる19世紀の視覚文化の影響を明らかにしたい。

『ポトマック川下り』はワシントンDCにそそぐポトマック川を下る船からの光景を提示する単調なフィルムであり、モンタージュを初めとする物語る技巧の洗練という観点から考えたときに重要なものであるとは言えない。だが、船上からの光景という主題は19世紀にアメリカで流行したムービング・パノラマと呼ばれる視覚文化装置に顕著なものである。ムービング・パノラマとは高さ2〜3メートル、横幅数百メートルの画布に描かれた絵を額縁型の枠の中で横方向にスクロールさせながら少しずつ提示するものであり、興業形態という観点からは映画の先行者の一つであると言える。このような水平方向の移動に特化したメディアにとって船上からの光景は非常に適したものであり、初期の映画製作者の想像力がムービング・パノラマの主題に負っていたものは少なくない。

このようにムービング・パノラマの興業形態・メディア的特性・主題との連続性という観点から『ポトマック川下り』を検討することで、この一見凡庸に見えるフィルムがいかに戦略的にアメリカの歴史を提示していたのかを明らかにし、映画前史と映画史の接続の試みの一例としたい。

アメリカ初期/古典映画における情動のコンテクスト
── 『国民の創生』を題材に
難波阿丹(東京大学)

本発表では、D・W・グリフィス『国民の創生』を題材に、アメリカの初期および古典映画と、大衆の想像力を煥発する、情動喚起の技巧について考察する。同作は、編集技術の高度な達成によって、古典的ハリウッド映画の文法、すなわち、映画が演劇を始めとする他の隣接媒体の影響に拠らない、自律的な語りのシステムを獲得した作品と考えられている。特に70年代末から80年代に活発に行われた映画史の書き直し作業では、初期映画から古典映画への単線的な発展ではなく、初期映画の歴史・文化的なコンテクストおよび、非物語的な要素に注目し、編集技法の有無に集約されない複雑多様な視聴覚の回路が検討されてきた。

しかしこれらの試みは、1910年代以降の映画作品群に関して、「注意喚起の映画」を抑圧する「古典映画」の「物語性」の目的論的発展を温存しているともいえるだろう。本発表は『国民の創生』を「物語映画」の文脈でとらえるのではなく、観客を積極的に映画の時空へと巻き込んでいく、微細な身振りの演出や、アメリカ大衆文化史および社会史的背景を反映する、映画の複雑なストラテジーを浮上させることを目指したい。よって、第一に第一次大戦下のアメリカ社会が内包する諸問題を検討することで、『国民の創生』が喚起する情動的反応の社会的・文化的なコンテクストを明らかにし、第二に、細かな情動喚起の技巧が、いかにして大衆の想像力を形作っていったかを焦点とする。

Edwin S. Porterによる「アメリカ」映画の発明と世紀転換期アメリカ像の再創造
中垣恒太郎(大東文化大学)

Edwin S. Porter (1870-1941)は、『アメリカ消防夫の生活』(Life of an American Fireman, 1903)、『大列車強盗』(The Great Train Robbery, 1903)において、「クロスカッティング」「クロースアップ」の手法を導入し、新しいメディアである映画、中でも物語映画の表現技法とその可能性とを飛躍的に発展させた功績により、アメリカ映画史におけるパイオニア的存在に位置づけられる。とりわけ『大列車強盗』は、西部フロンティアの想像力を、映画のジャンルに定着させ、西部劇というジャンルを産み出す原動力となったことからも、Porterは初期アメリカ映画を象徴する存在であり、カメラに向かって強盗が発砲する有名なショットは、見世物と虚構/物語との間の境界線に対する自覚、当時の映画を取り巻く状況をも端的に示している。本発表ではアメリカ文化史におけるPorterの位置を再定義すると同時に、彼の作品が物語映画のアクチュアリティを模索していく背後において記録しえた世紀転換期アメリカの時代思潮を読み込んでみたい。世紀転換期アメリカはまさしく映画技術を含むテクノロジーの変革期であり、アメリカが国力を増していく只中であり、新旧の価値観が混在する混沌の時代でもあった。過去に対するノスタルジアと未来に対する明るい希望とが交錯していく中で、映像の原風景とでも称すべき、20世紀アメリカ大衆文化のエッセンスがどのようにして生成していったのか、フィルムの背後に見出せる様々なイデオロギーを媒介に、世紀転換期アメリカの姿を再創造してみたい。

渡部宏樹

難波阿丹

中垣恒太郎

板津木綿子

畠山宗明