第5回大会報告 シンポジウム報告

シンポジウム

2010年7月3日(土) 12:30-15:00
青山学院アスタジオ地下多目的ホール

シンポジウム「現代日本文化のグローバルな交渉」

【パネリスト】
内野儀(東京大学)
住友文彦(キュレーター)
ジャクリーヌ・ベルント(京都精華大学)
松井みどり(美術評論家)

【司会】
加治屋健司(広島市立大学)

現代日本の文化は、世界各地で受容されてさまざまな関心や解釈を生んでいる。展覧会や公演、出版物などによって流通し、現地で新たな生産を生み出すというハイブリッドな状況も生じている。しかし、日本国内にいるとその様子は見えにくい。現代日本文化の海外受容にはどんな問題が生じているのか。グローバル化は文化的交渉に何をもたらしたのか。近代的諸前提はどのように変容したのか。ナショナルな概念はどのように関わっているのか。そして、こうした状況に対してどのような理論的視点を持ちうるか。本シンポジウムは、これらの問題について考察するために、美術、上演系芸術、マンガの分野で、文化的交渉の現場に関わっている、あるいは、それを研究している4名の研究者を招いて行われた。

表象文化論学会は、設立趣意書にもあるように、生産・流通・消費といった、文化的事象の社会的な過程も考察の対象としているが、カルチュラル・スタディーズの勢いと比べると十分ではないという印象を受ける者もいるだろう。そして、グローバル化によって、日本における人文系研究や批評が、海外の動向との同時代的なつながりを強めることに必ずしもなっていないことを懸念する声もある。グローバルな文化的交渉を考察する本シンポジウムが企画されたのは、こうした状況を鑑みてのことである。

まず、パネリストから、それぞれの活動分野のグローバルな状況に関する報告をしてもらった。

美術評論家の松井みどり氏は、1990年代から2000年代にかけて開かれたベネツィア・ビエンナーレやドクメンタといった国際展覧会の動向を分析し、大きく4つの方向があることを指摘した。(1)ネオ左翼的視点からのグローバル化への抵抗、(2)情報や交通の流動性や可動性を生かした表現、(3)急激な社会変化を体験した地域の現実を反映する表現、(4)西欧中心的な視点から非西欧文化を取り込もうとする「グローバルモダニズム」の4つであり、こうした欧米の図式があることをきちんと踏まえた上で、日本の現代美術に関する言説を構築して、海外のオーディエンスの理解を深める必要があると述べた。

次に、キュレーターの住友文彦氏は、日本の現代美術を紹介する海外の展覧会で、自ら企画に関わった「RAPT!」展(06年)と「美麗新世界」展(07年)について報告した。オーストラリアで行った前者では、展覧会だけでなく、レジデンス、ワークショップ、レクチャーなども行い、一望できない場の創出を目指した。それは、ある地域の文化全体を紹介しようとする従来の展覧会形式とは異なる試みであった。後者では、主催の国際交流基金の域内交流(多対多の交流)の方針に沿って韓国のキュレーターも交え、一方向的な文化の紹介にならないように努めた。最後に、「特殊日本」を逃れて自らの位置づけを攪乱する作家として、小沢剛を論じた。

東京大学の内野儀氏は、上演系芸術は、モビリティーが低く、常に既に遅れを伴っていることを指摘した上で、美術の国際展と異なり、国際的な演劇祭は全体を見渡す場とはなっておらず、カタログ化の欲望は放棄せざるをえないと論じた。表象文化論学会第1回大会における浅田彰氏のチェルフィッチュ批判に対する応答として、内野氏はブレヒトやベケットを参照しつつ、今や欧米で熱狂的に支持されるチェルフィッチュを、規律=訓練されていない身体による演劇の可能性を問うものとして評価した。

最後の発表者である京都精華大学のジャクリーヌ・ベルント氏は、まず、マンガのトランスナショナルな受容を指摘することによって、「日本文化」を海外に紹介して受容をうながすという図式を考え直す必要性を述べた。日本の「マンガ」を一枚岩化して海外の「コミックス」と区別した上で、そのグローバル化を論じることは多様な文化的交渉を隠蔽してしまうと批判した。マンガ研究においては、作家や作品を中心とするアプローチあるいは現代社会を批評する文化論が採られることが多いが、ベルント氏は、読者の活動に注目することが同様に重要であるとし、メディア(媒体)としてのマンガの特質が読者のあいだにヴァーチャル・コミュニティーの形成を促していることを指摘しつつ、最もグローバル化している種の日本マンガは、そのメディアとしての特質において従来の芸術観を考え直す契機になりうると論じた。

パネリストによる報告の後、ディスカッションを行った。住友氏は、グローバル化によって現代美術のカタログ化が進行する中で、美術とは何かを問う作家が取り上げられなくなったと指摘した。内野氏は、トランスカルチュラルまたはトランスナショナルな動向を認めつつも、同時に、イントラナショナル(国内的)な問題にも目を向ける必要があると主張した。ベルント氏も、海外における日本の現代美術の紹介と同時に、それが日本国内にもたらすインパクトについても考えていくべきであると述べた。松井氏は、日本の現代美術は、海外で、その歴史的文脈への理解を伴ったかたちでは評価されていないことを強調し、戦後日本社会の急激な変化(グローバル化)への反応として台頭した日本の前衛美術の独自性や必然性を海外に向けて説明していくとともに、現代の日本の芸術表現も、その大きな流れのなかで位置付けていく必要があることを述べた。

パネリストの報告はいずれも、現場で生じている問題を理論的に考察したきわめて興味深いものであった。ディスカッションが白熱し始めたところで時間切れとなってしまった点が惜しまれる。2時間半の長時間にわたるシンポジウムだったにもかかわらず、100名ほどの聴衆が集まり、会場の席はほぼ埋め尽くされた。グローバル化は、芸術文化の諸分野で長らく話題となってきた重要な問題であるが、異なる分野のあいだで議論する試みはこれまで少なかったのではないか。表象文化論学会は、現代思想や批評の印象が強いせいか、グローバル化した文化のアーキテクチャをめぐる今回の議論は、新鮮な驚きをもって聞いた者も多かったようだ。表象文化論学会がインターディシプリナリーであることのメリットを十分に活かしながら、芸術文化の研究の現状を示すと同時に、表象文化論という学問分野の新たな可能性を探ることができたのではないだろうか。

加治屋健司(広島市立大学)

松井みどり

住友文彦

内野儀

ジャクリーヌ・ベルント

加治屋健司