第1回大会報告 「変容する表象文化論」

変容する表象文化論 ――第1回大会に参加して 山口裕之

「表象文化論学会」がこれで正式に一つの学会として立ち上がることになった。これまで「表象文化論」という制度的な枠組みとして存在しているものに直接的にかかわってきた人たちにとっては言うまでもないことだが、例えば私のように制度的には必ずしも「表象文化論」そのものの名称を伴わないにせよ、そのような方向での研究を行うというかたちで表象文化論の形成にかかわってきた多くの者にとって、この表象文化論学会の発足は、すでに着実な歩みをもっていたものがそれにふさわしいかたちを与えられたことによる、ある落ち着いた晴れやかさをもって迎えられたのではないかと思う。このことは、2日間のプログラムからも感じ取れたように思う。第1回大会としての祝祭的な性格を示すものとして企画されていたであろう初日のプログラムは、会場を埋めた参加者の反応からも、これはこれで成功を収めたといえるだろう。しかし、それ以上の晴れやかさを与えていたのはむしろ、充実した発表とコメントによって、聞き手をどんどん引き込んでいった2日目のパネルディスカッションであったのかもしれない。(私自身は、スクリーンをめぐるパネルにしかいなかったが。)自画自賛になってしまうが、表象文化論の落ち着いた充実ぶりをあらためて目にした印象だった。

しかし、この晴れやかさが決して手放しのものとならないある種の距離感が、表象文化論にはつねにつきまとっているようだ。さまざまなかたちをとって現れるこの距離感の一つの原因は、既成のアカデミックなディシプリンに対して表象文化論がいわばゲリラ的な地歩をしばしばとってきたということとかかわっているかもしれない。そういったスタンスからすれば、学会というきわめて制度的な機構の立ち上げに対して何らかのアイロニーの身振りが伴うことは自然なことでもある。初日の対談で浅田 彰氏が、「表象文化論」の創設者がひとつの「パラダイム」を作り上げ、表象文化論はそのもとで言説を再生産しているにすぎないと批判的なコメントをしたとき、そこには表象文化論がますます制度化されたものとなるというある種の自己矛盾に対する揶揄が、部分的にではあれ、含まれているように感じた。

しかし、仮に表象文化論の「パラダイム」なるものが存在するとして、それがあたかも規範化され同質のものとして引き継がれているかのように語るとすれば、誤解を招くことになるだろう。表象文化論というまだ成立してそれほど年月を経ていない学問上の領域においても、すでにいくつかの世代を区別することができる。最初の2世代、あるいは3世代が、伝統的なディシプリンの下での訓練を受けながら、それをゲリラ的戦略のために用いていったとすれば、それ以降の世代は初めから表象文化論というゲリラ的な枠組みの内部あるいは周縁で訓練をつんだ(つみつつある)人たちということになるだろう。そのようにして、表象文化論という制度の姿自体が、その下で訓練を受けたゲリラたちによって、刻々と変えられていくことになるのではないか。学会という組織は、ゲリラを擁し育成する制度であるとともに、その訓練を経た彼らの活躍によって表象文化論自体を変容させる制度でもあるだろう。私が表象文化論に対して、特に私よりも若い世代の研究者に対して期待するのは、ますます身軽にゲリラ的に立ち回ること、そしてそのために(当然ながら、素人のゲリラではなく)武器を扱うプロとしての訓練を決しておろそかにしないということである。そのような意味で制度化されたゲリラにとって、初日のパフォーマンス(とりわけチェルフィッチュとKATHY)も、例えば文化的コンテクストのレベル、身体的・技術的レベルにおいて、そこで提示されているものを感じ取ることのできる、楽しい場であったのではないかと思う。

山口裕之(東京外国語大学)