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パフォーマンス報告
《コドモ身体》の過去・現在・未来
報告 : 畠山宗明
7月1日(土) 18:00-19:30 18号館ホール
「身体の冒険――同時代の身体〈知〉をめぐって」
イントロダクション:
桜井圭介(作曲家/ダンス・キュレイター)+内野儀(東京大学)
パフォーマンス:
チェルフィッチュ、室伏鴻、KATHY
表象文化論学会第一回大会の初日は、「身体の冒険」と題された3組のパフォーマー達による実演によって締めくくられた。上演に先立ち、司会の内野儀氏、ゲストの桜井圭介氏によって日本の身体芸術の状況についての概括がなされた。桜井氏は1980年代の日本のダンス・シーンを西洋のモダンダンスの模倣の失敗として、90年代をその反動としてのコマーシャリズム、お笑い、エンターティメントへの傾斜と跡づけた上で、1990年代末から今世紀に現れた、そのどちらとも異なった奇形的/突然変異的なダンスに現れる身体を「コドモ身体」と呼び、今回の3組のパフォーマーのみならず現在のシーン全体に関わるキー・コンセプトとして位置づけた。
西洋における規範的な芸術のあり方から地理的にも歴史的にも隔絶した日本という「悪い場所(椹木野衣)」で舞踏を行なうことに対して悲観するのでも居直るのでもなく、身の回りにある素材を軽快に疾走させることでいつのまにか組み立てられてしまっているアモルフかつフラットな「コドモ身体」の在処を巡る両氏の議論はしかし、直前の対談で浅田氏によって発された日本文化の幼児退行性に対する強烈な批判(それは今回の演者であるチェルフッチュにも向けられた)を引き受けざるを得ないかたちとなり、やや重苦しさが漂うものとなった。
もちろん桜井、内野両氏は幼児性への退行を無自覚に称揚している訳ではない。そもそも幼児性、幼年期への退行は、とりわけ20世紀において洋の東西を問わず芸術の理念として掲げられてきており、それ自体は目新しいものではない。桜井氏が強い懐疑を向けるのは幼児性そのものというより、それが伝統に裏付けられた語彙による高度な技術的達成によってのみ達成される一種の共同体的なフィクションに過ぎないのではないか、という表現における「オトナ」の次元に対してである。「コドモ身体」は、西洋的な技術的語彙、ハイカルチャーとしての芸術規範を「大人性」と重ね合わせた上でそれに対置されているのである。しかし、そうした語彙を獲得するための修練を経由しない「ふにゃふにゃ」の身体の即自的な価値を肯定しようとする限り、それと単なる幼児退行との区別が一見つかなくなってしまうということもまた、不可避の事態であるように思われる。にもかかわらずこの言葉が採用されたのは、今舞台の現場で生まれつつあるものの運動性を捉える為に、この言葉を出発点とせざるを得ないという、シーンに密着した認識からであろう。「コドモ身体」と名付けられたものの感触は、概念上の決定不能性の中で、あくまで個々の舞台との関わりから探り当てられなければならないだろう(桜井氏は別の場所で現在を「堪え時」と形容していた)。
ここで紹介されたパフォーマーたちもまた、それぞれのやり方で身体に対する批評的なスタンスを維持しているように思われた。それぞれが意識によっては捉えられない体の動きを捉えようとしながら、それに対する意識の「触り」のようなものも同時に身振りに組み込んでいるように思われたのである。
「オトナ―コドモ」とは別の対立軸を使って言うなら、警戒すべき「退行」とは「コドモ身体」の無時間化と、それによる身体の可視性への還元である。「コドモ」は(永遠という時間性のもとであれ)「未だ「オトナ」ではないもの」として生成の途上におかれなければならない。そして、そのように時間化して把握されたとき、身体は可視性の彼方にあるもう一つの身体を指し示す。
チェルフィッチュは明確に分節されない日本語をえんえんとつないで行き、言葉と身振りとのズレを組織して行く。今回上演された『クーラー』では、向き合った二人の人物が相手の発言に答えるでも明確に無視するでもなく、コミュニケーション不全そのものが不全となるような脱臼した対話をえんえんと続ける。身振りも同様に、発話との明確な連関性はもちろん、明確な非連関性とも切り離され、あたかも二つの風船が並んで浮かんでいるように、接触と離脱を緩やかに繰り返す。現代口語のローファイかつルーズな利用がチェルフィッチュの表現の中心にあるのは確かである。しかし、主催の岡田氏が明言しているように、それはブレヒトが異化効果の核と見なした伝聞形式を追求したものでもある。しばしばシクロフスキー的なそれと混同される「異化効果」だが、チェルフィッチュの舞台は、ブレヒト的な異化が最もリテラルなかたちで現代口語の語彙と構造に置き直されたものなのである。しかし、チェルフィッチュの言葉は単に物語からの逸脱を組織しているだけではない。明確な論理性を意図的に欠いたチェルフィッチュの言葉は、フィクションの外部だけでなく、これから語られるはずの物語の存在を指し示す役割をも果たしている。
室伏鴻は、日本的な舞踏の文脈にありながら、日本的な神話性への回帰を自らの身体において厳密に拒絶している特異な存在である。倒れる、這う、壁にぶつかるなどの突発的な要素的運動と静止状態とを瞬時に接合する室伏鴻は、運動の論理を自らの身体以外の何者にも求めようとしない。しかしそのことは、彼の舞踏が何らかのかたちで構造化されているという感覚を妨げはしない。彼の身体の瞬間的な移行に際して、しばしば観客は彼の身体を見失う。彼は、一方で身体のナラティヴ化された読解に強固に抗いながら、瞬時の移行の際に残像として垣間見える不可視の身体に正確に狙いを定めてもいるのである(しかし、身体や舞台空間のフィクション的な生成をあまりにも強烈に拒むせいで、その移行の瞬間がぼやけてしまってもいる)。
もっとも観客を熱狂させたKATHYは、ある意味ではいわゆる「コドモ身体」を最も良く体現していたかも知れない。ショートボブのウィッグに原色のワンピース、顔に黒のストッキングを被って踊りつつ、狙いを定めた観客を舞台に引っ張り上げ、自分たちと同じウィッグとストッキングを被らせ、踊らせる。彼女たちの四方に散乱する肢体は、観客たちのたどたどしい動きと相まって、しばしばゴスロリ調のファッションに担わされるナルシシスティックな精神性をあっさりと吹き飛ばし、ラジオ体操的あるいは体育会的と言っても良いような汗と清々しさを周囲に振りまいていた。
彼女たちは「KATHYという強大な力に突き動かされ、次々と指令をこなして行かなければならない」というコンセプトを掲げている。他のジャンルにも現れているフラットな身体性を素直に体現した集団とも見える彼女たちであるが、このロバート・フリップの妄言めいたコンセプトに基づいてKATHYの舞台を眺めるとき、そうした単純な見方を維持することはできなくなる。観客がKATHYとその前提を共有するとき、運動とその担い手についての自明な感覚は崩壊し、あたかも彼女たちの運動から遡行的に「KATHY」という純粋な文字が立ち現れるかのような、奇妙な感覚が訪れる。より正確に言えば、個々のダンサーの意志が剥奪されはするが、しかし舞台の運動を司る統一的な審級が現前する手前で、担い手も定かでない運動のシュミラークルが無際限に増殖して行くプロセスを目にすることになるのである。
いつの時代でも、見た目より大人びているのがクレバーな「コドモ」というものなのではないだろうか。もし私たちがフラットな可視性に還元されたかに見える「悪い場所」の「コドモ身体」の嘘くささに耐えなければならないのだとしたら、同時に、西洋的な芸術規範や意識的思考も含めた「オトナ」の嘘くささにも耐えなければならないはずなのだ。
浅田彰がほとんど矜持の水準で維持しているのは、こうした今ひとつの嘘くささである。しかし、浅田彰の発言をその内容に透明に還元するのではなく、不透明な「語る身体」によって担われたものとして眺めるとき、彼の発言はかならずしもこれらの演目と対置すべきものでもないことがわかる。
かつて、「大人びたコドモ=ネオテニー」としてはなばなしく登場したのがまさに浅田彰であった。日本の言説空間のなかで「スキゾキッズ」や「リゾーム」といった概念が円滑に流通するためには、あらかじめ老成した「コドモ」の、諦念を含んだ言葉と身体が不可欠であった(「チャート式」とはコドモ化したロゴスである)。浅田彰は対談文化の有効性をしばしば主張したが、ジャパノロジーの文脈において悪しき日本文化の体現と見なされもする「対談」という形式は、西洋の思想をパロールとして身体化するための、一種の「方便」としての舞台装置でもあった。そのように考えた場合、今回、80年代のセゾン文化の遺物である「雑談すれすれの対談」において、一貫した論理で「コドモ」を否定してみせた浅田彰という批評家もまた――日本の知識人たちの悲願であった「書くように喋る」身体の現前というフィクションを自らに課した――「コドモ身体」を持った一人の俳優(それも元祖の)と言えるのだ。チャート化された論理によって、他者の幼児性を容赦なく、そして可能な限り性急に殺害するのが浅田的「コドモ身体」なのである。
4つの演目が行なわれたと考えても良いし、2つのダンスと3つの対談(オトナ、コドモ、ネオテニー)が行なわれたと考えても良い(もちろんその他の組み合わせも考えうる)。いずれにしてもこの日、言葉と身体のこの上なく豊かな交錯の現場に、私たちは立ち会ったのである。
畠山宗明(早稲田大学・院)