第1回大会報告 パネル1

7月2日(日) 9:30-11:30 18号館4階コラボレーションルーム1

パネル1:日本芸能史における〈女性的なもの〉

遊女をめぐって――古代・中世を中心に/沖本幸子(日本学術振興会特別研究員)
男性芸能集団「猿楽」における女性性――稚児および天皇をめぐって/松岡心平(東京大学)
出雲の阿国をめぐって/小笠原恭子(武蔵大学名誉教授)

【司会】横山太郎(跡見学園女子大学)

本パネルでは、横山太郎氏の司会のもと、日本芸能史における〈女性的なもの〉をめぐって発表と討議が行われた。日本の芸能が起源としては女性(的なもの)の存在を抱えながら、それが後に排除されてきたことの意味を考察することが目的であった。

初めに沖本幸子氏は、13世紀頃までの宮廷では、女性の身体が露呈すること、つまり舞うことや歌うことが忌むべき行為とみなされながらも、貴族の邸宅などへは専ら女性芸能者が出入りしていたことを述べた。「歌女」としての遊女や傀儡子が、山などの境界的な場で歌うことを神に許された特権的な存在である一方、12世紀末に登場する「舞女」白拍子が男装したことの意味について、武士が勢力を拡大する時代性や、稚児や平家の公達の女装などと併せて考えていく必要性を指摘した。

次いで松岡心平氏は、男性芸能集団「猿楽」において女性性を確保する存在として稚児をとらえ、それが13世紀頃成立の翁猿楽の段階ですでに見られたことを述べた。その上で、童子として表象された聖徳太子などは庇護されるべき中心としての存在であり、このような稚児を含む童への偏愛が、日本芸能史のみならず天皇制を含む社会心理の問題としてとらえられることを報告した。

最後に小笠原恭子氏は、沖本氏、松岡氏の議論を受け、世阿弥が明示するように「歌舞」と「物まね」は分けて考察することが必要であること、女性が担ってきたのは基本的に「歌舞」であったことを指摘した。その中で、出雲の阿国が、女性でありながら、かぶき者に扮して「物まね」を行ったことが大きな特徴であるとした。また、稚児の存在については、稚児が本当に女性の代替であるのか、それとも、少年そのものの美しさが稚児に求められていたのかは議論の余地があると述べた。以上を通じて小笠原氏は、「女性的なもの」という枠組みを設定する手前で、より具体的に用語、概念、対象を検討していくことの必要性を全体的な問題として指摘した。

引き続いて小笠原氏による指摘をふまえながら、発表者同士の討議がおこなわれた。しかし、進行がおしていたために、〈女性的なもの〉の消長をめぐる総括的議論が十分に展開されるだけの時間がなかったことは残念であった。

会場には多くの参加者がつめかけ、本パネルのテーマに対する関心の高さが伺えた。会場質疑では、松岡氏に対して、中沢新一氏の近著『芸術人類学』を引き合いに出しつつ新羅の「花郎」と猿楽の稚児との関係についての質問があり、こうした関心の一端を示した。従来は国文学や芸能史といったディシプリンが扱ってきた分野に関する最新の研究成果を、専門外の多くの参加者たちと共有するという試みそれ自体は、一定の成功を収めたと言えるのではないだろうか。パネル進行の問題など、いくつか改善の余地はあるものの、今後も学会内に日本文化をめぐる知の共有と相互触発の場が継続的に設けられることが期待される。

井戸美里(東京大学・院)

パネル概要

日本芸能史は、ある意味で女性の排除の歴史である。明治における女優の誕生が軋轢を伴ったこと自体に、公的な視線の場に〈女〉の身体をさらすことを避忌する「伝統芸能」の性格が現れているとも言えよう。にもかかわらず、日本の有力な芸能ジャンルのいくつかが、女性(的なもの)を起源とし、あるいはそれを媒介として形成されたことを、私たちはどう理解すべきなのだろうか。中世的な歌や舞は、遊女と総称される女性芸能者を抜きにしては成立しえなかった。能楽は男性の芸能として制度化されつつも、女装の稚児や女性芸能者の歌舞を自らの根底に抱えている。歌舞伎が出雲の阿国に起源するとされていることは、言うまでもないだろう。本パネルでは、このように起源として〈女性的なもの〉を抱えながら、それをのちに排除することを繰り返してきた日本芸能の歩みの検討を通じて、日本文化史のなかで作用する重要な「性の政治」の一局面を浮かび上がらせ、その意味について考察する。(パネル構成:横山太郎)

「遊女をめぐって――古代・中世を中心に」
沖本幸子

古代から中世にかけて、芸能者として大きな活躍をしていたのが「遊女」と呼ばれる女性達である。元々は「歌」のプロだが、平安末期、白拍子の登場に至って「舞」の要素も加わった。当時の「歌」「舞」の持つ意味と、女性芸能者の役割について考えてみたい。

「男性芸能集団「猿楽」における女性性――稚児および天皇をめぐって」
松岡心平

能楽の源流にあたる翁猿楽(13C成立)では、翁と稚児がペアーとして出、老・若の対比軸を形成するとともに、男・女の対比軸をも形成していると考えられる。美少年の稚児において、女性性が確保されるのである。このような男性芸能集団のあり方は、芸能集団が天皇をめぐる体制の反転であるかぎり、天皇制の問題に深くリンクするであろう。そうした観点も含め、猿楽の集団や芸における女性性を問い直してみたい。

「出雲の阿国をめぐって」
小笠原恭子

歌舞伎の創始者といわれる出雲の阿国は、この国の女性芸能者のガリバー的存在と認識されている。だが、いったい彼女がどのような芸能を演じたがゆえにかくも巨大な存在となったのかは、かならずしも完全な理解がなされているとは思えない。女性芸能者の歴史において、阿国は特異な存在であったようにも思える。そういった観点から阿国を通して芸能と女性の関わりを眺めてみると、なにか違った道筋が浮き上がってくるかもしれない。