第3回大会報告 | 研究発表パネル |
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7月6日(日) 14:00-16:00 東京大学駒場キャンパス 18号館4階コラボレーションルーム1
パネル3:権力者の肖像
変容する皇帝——ルドルフ2世の肖像画をめぐる考察
坂口さやか(東京大学)
複製技術時代のレーニン
河村彩(東京大学)
戦時期及び占領期における昭和天皇の肖像
小山亮(明治大学)
【コメンテーター】加治屋健司(広島市立大学)
【司会】平倉圭(東京大学)
このパネル「権力の肖像」は、平倉圭氏(東京大学)司会、加治屋健司氏(広島市立大学)コメンテイターのもと、坂口さやか氏(東京大学)、河村彩氏(東京大学)、小山亮氏(明治大学)の3名による研究報告が行われた。このパネルでは、さまざまな時代や地域における王や権力者の表象を、肖像画研究という絵画史的なジャンルに捉われることなく、それらが制作された時代の思想の枠組みや社会的・政治的なコンテクストを通してそれぞれの考察が行われた。
まず坂口氏は、プラハ宮廷において芸術庇護・蒐集活動で名高い神聖ローマ皇帝ルドルフ二世のイメージの分析および図像学的な解釈を行い、以下の3つに分類した。1つ目は、古代ローマの帝権を継承する神聖ローマ皇帝としての公的な「美しい皇帝」のイメージであり、それはメダイヨンや貨幣などを通して広く普及されたものであった。2つ目は、ザデラーの2つの肖像に見られる「平和をもたらす勝利者としての強い皇帝」であり、その歴史的背景として14年間に及ぶトルコ戦争を挙げている。坂口氏はこれらの肖像画のターゲットとして、注文主である皇帝自身とともに、描かれた図像の背景に流れる神話などを理解できる少数の政治的エリートの存在を指摘する。さらに、3つ目としてアルチンボルドの《ウェルトゥムヌスとしてのルドルフ二世》が示すような理想的な皇帝像であり、そこには地上の黄金時代を支配し普遍的な平和をもたらすという、ルドルフの理想的な皇帝イメージが創出されていたとする。結果として、ハンス・フォン・アーヘンの肖像のように、知的な仕掛けを用いることなくとも真の皇帝として存在できるルドルフの姿を、変容を遂げていくルドルフの肖像の行きつく先としてとらえる。
次いで河村氏は、1924年のレーニンの死に伴う彫刻・絵画・印刷物等に見られるレーニンの視覚的イメージを、(1)彫刻とアフル、(2)ロトチェンコ、クルツィスらレフ(芸術左翼戦線)周辺という2点から考察した。前者については、イサーク・ブロツキーやアレクサンドル・ゲラシモフなど、写真を元に修正を加えて理想化する手法は、河村氏によれば、類似を前提としたイデアリズムであった。一方後者においては、肖像画が描いた画家の主観の押し付けに過ぎないことが主張されるとともに、スナップ写真の断片性、未完結性を利用した規範的なレーニンのイメージへの抵抗であり、鑑賞者個人がレーニンを想起するための手段であるとする。ロトチェンコによる革命時代を歴史化しようとする試みは、アフルの無時間的な普遍性を志向する絵画とは対照的であった。さらに、クルツィスの作品に見られる《全国の電化》や《子供とレーニン》における写真の加工は、同時代人としてのレーニンを自分の記憶の中で回復させ、自分とレーニンを同一化させる手段であったことを指摘した。結論として、アフルの作業を生産者側からのイメージの一方的な配布に対して、ロトチェンコ、クルツィスは写真の過去性と記憶への干渉という受容における作用に基づくものであると結んだ。
最後に小山氏は、戦前から戦後にかけてあらゆる媒体において表象された昭和天皇の肖像を、特にグラフ雑誌や新聞というメディアに焦点を当て、その変容の意味を考察した。『アサヒグラフ』など戦時期を中心に繰り返し提示されてきた官製の「大元帥」としてのイメージは、終戦間際の御真影や靖国参拝などの際の写真や絵画において結実化するという。しかし敗戦に伴う「適切」なイメージの欠如により、天皇の写真はグラフ誌から姿を消し、マッカーサーとの会見を伝える報道とともに再び姿を現す。また、戦後の新天皇服には「佩剣」見られないことに着目し、小山氏はそれを武装解除を意味するもの、つまり去勢された大元帥として当時の天皇制の危うさを体現するものであったと述べた。さらに、「人間宣言」起草と同時期にGHQ側から提示されたと考えられる‘Suggestions’ という文書が、「民主的」・「家庭的」な皇室イメージへの転換を導いたと結論付けた。
それぞれの扱う対象や時代、地域は異なるが、いずれもそれぞれの分野から制作者やその依頼主のみならず、よりダイナミックにあらゆる受容の場を想定して、イメージの持つ力について議論がなされていた。本パネルの構成の問題提起でもあった、像主と類似することが前提となる肖像画というものが、そこから逸脱したかたちで表象されることの意味を改めて問い直すパネルとなった。
坂口 さやか
河村 彩
小山 亮
加治屋 健司
平倉 圭
井戸美里(東京大学)
発表概要
変容する皇帝——ルドルフ2世の肖像画をめぐる考察
坂口さやか
神聖ローマ皇帝ルドルフ二世(皇帝在位1576-1612年)は、プラハ宮廷での芸術庇護・蒐集活動でその名を馳せた人物ではあるが、そのコレクションに占める自らの肖像画の割合は大きくない。だがそれらは軽んじられていたわけではなく、寧ろ看過できないものだったのだと思われる。本発表では、メダイヨンのデザインや銅版画を含む、ルドルフの肖像画を考察することによって、そのことを明らかにしたい。
ルドルフの肖像画は、主に次の三つに分類される。すなわち、1.ハンス・フォン・アーヘンやメダイヨン作家アントニオ・アボンディオなどによる、ルドルフを美しく知的に描いたもの、2.銅版画家エギディウス・ザデラーなどによる、月桂冠や鎧を身に着けている、強いルドルフを描いたもの、そして3.ジュゼッペ・アルチンボルドの《ウェルトゥムヌスとしてのルドルフ二世》に代表されるような、ルドルフの精神世界を表象したものである。ルドルフは、その時々の状況によって、あるいは彼自身の欲望によって、自らの姿を変容させていたのだ。
本発表においては、この分類に沿って、個々の作品を図像学的に解釈したのち、注文主たるルドルフの意図、および肖像の受け手の特定に迫っていきたいと思う。このプロセスによって、われわれは皇帝ルドルフの肖像の変容の有り様を目の当たりにし、それらの肖像が語りかけるものに耳をすませることになるだろう。
複製技術時代のレーニン
河村彩
ロシア革命の指導者レーニンの肖像画や彫像はソヴィエト時代を通して数多く制作されている。とりわけ1924年のレーニンの死から数年間、熱狂的なレーニン崇拝にともなって、様ざまなスタイルでレーニンを表象することが試みられた。
本発表ではまずレーニンの死をとりまく状況とレーニン崇拝の特徴を考察する。そして、それらのレーニン崇拝を反映したアフル(革命ロシア美術家協会)のメンバーによって制作された、写実的なレーニンの肖像画と彫像を考察する。これらのレーニンの肖像は規範化、理想化を志向するものであり、後の社会主義リアリズムのスタイルのさきがけとなった。さらにこれらの規範化を志向するレーニン像に対抗するものとして提案された、レフ(芸術左翼戦線)周辺のメンバーによる「私的な」レーニンの肖像を考察する。レフによるレーニンの肖像は記憶の喚起やアーカイヴ資料としての写真の特性を利用したものである。
最期に二つのタイプのレーニンの肖像は互いに対抗しているにもかかわらず、どちらとも写真と密接な関係にあることを明らかにする。ロシアにおけるレーニンの肖像をモデルケースとしながら、20世紀の芸術文化の大衆化とそれに続く全体主義化という状況の下で、写生、複製技術、記憶を特徴とする写真が、視覚芸術の枠組みを形成していたことを明らかにしたい。
戦時期及び占領期における昭和天皇の肖像
小山亮
昭和天皇の肖像は、戦前、戦後において様々なメディアにおいて表象された。本発表では、グラフ雑誌を中心としたメディアにおいて表象された昭和天皇の肖像(写真)を分析の中心として、昭和戦時期と占領期における権力と天皇の肖像の変化を探る。
戦時期において、昭和天皇の表象は陸海軍の長である大元帥としてのものにほぼ限定され、グラフ雑誌やその他のメディアにおいて、いくつかの特定の天皇の肖像が繰り返し提示された。この背景には、総力戦の遂行においてその士気を鼓舞する役割を天皇が担っていたという事実がある。このような図像は、1945年8月の敗戦前後のメディアには現れていない。その後、マッカーサー元帥との会見時に撮影された写真の新聞への掲載や、新しく制定された天皇服を着用して行われた伊勢神宮行幸の報道などを経て、1946年1月1日の「人間宣言」と同時に、背広と中折れ帽を身につけ、天皇が自身の娘と同列に写った写真が掲載される。このような、戦時中にはない〈民主的〉な肖像が表象されたのは、占領統治を円滑に行うために天皇制を温存させることを決定した占領軍側からの意図によると考えられる。
本発表では、戦時期から占領期の時期においていくつかのメディアに現れた天皇の肖像について、各時期における特徴や時期による変化を明らかにし、それらがどのような意図によってもたらされたかを考察する。