新刊紹介

芳川泰久ほか
『ドゥルーズ キーワード89』
せりか書房、2008年07月

研究とは、特に哲学・思想と呼ばれる分野の研究とは、いったい何のために行われる営みなのか? 本書を読んだ評者の脳裏に浮かんだのはこの単純な問いだった。

本書は、ドゥルーズの思想に触れるにあたっての手引き書として、最高の出来であると言っていい。一つ一つの項目が、きちんとその対象を理解して書かれている。その理解は、二人の筆者によって独自に構成された諸問題の連鎖によって導かれたものだ。たとえば、「器官なき身体」の項は、「「わたし」の身体と、他の身体=物体が区別されない状態とはどのようなものだろうか」という問いから開始され、「無−意味」の項は、「ある語Aについて調べることを想像してみよう」という状況設定から開始される。二人の筆者は、ドゥルーズがこう言っている、ああ言っているといった言辞の単なる収集ではなく、どうしてこのような概念が必要になったのか、その必然性を明らかにしようとする。ドゥルーズが言及した哲学者や思想家の名前は極力排され、諸問題の地図の作成と一概念の位置測定が淡々と明晰に続けられる。

89個あるキーワードのセレクションもすばらしい。「潜在的なもの」で始まって、「内在性」で終わると言うと、ありがちなドゥルーズ論が思い描かれてしまうかもしれないが、その中にちりばめられた「習得」、「視点」、「戦争」、「発散」、「自然」、「簡素さ」といった項目は、それらが項目として立てられているという事実だけでも、読む者のドゥルーズに対する視線に変更をもたらさずにはおかない。筆者は、「ドゥルーズの思考の全体に、しかもどこからでも入ることができるような本」を目指したと言うが(「この本をとる人に」)、それは端的に成功していると言うべきだ。二人で書かれたことも、その成功の一因かもしれない。この本は二人の筆者による共著だが、その中には、どの部分をどちらが書いたという指示はない。彼らはおそらく、補い合い、触発し合い、二人で書いた。

この本を読んでいると、これまでドゥルーズについて書かれてきた論文の多くが、この本のどこかのページを適度に薄めたものに思えてきてしまう。同じくドゥルーズの思考に関心を抱く者として、評者は、本書に対し、嫉妬の念を禁じ得なかったと言えばここに書いていることを本気で受け取ってもらえるだろうか。

もちろん、論文が大量に生産されてきたお陰で、この本の明晰な著述が可能になったのかもしれない(巻末に付された見事なビブリオグラフィーには、これまでの研究に対する筆者の敬意がはっきりと読み取れる)。ならば、こうして読解され、解説された概念群を前にして、読者は何を為すべきであろうか? 薄まった論文をもう一度書くのか? キーワード集の作成を続けるのか? 単に「理解した」という満足に浸るのか? ここまで明晰な解説書が出てくると、何のために研究するのか、あるいは、何のために勉強するのかという基本的な問いに向き合わざるを得ない。その軽やかなスタイルとは裏腹に、本書は、愚直で重たい問いを突きつけてくる書物である。(國分功一郎)