新刊紹介

佐藤 嘉幸ほか(訳)
ジュディス・バトラー『自分自身を説明すること——倫理的暴力の批判』
月曜社、2008年08月

『ジェンダー・トラブル』、『問題/物質である身体』でジェンダーの「系譜学」(フーコー)を提示したバトラーは、本書で「倫理」の問題を扱っている。しかし、バトラーの言う「倫理」は、私たちは他者に応答する責任を有する、という(今や人口に膾炙した)レヴィナス主義に留まるものではない。むしろ、私たちが他者に応答する責任を有するとすれば、それはいかなる理由によるのか、という問いが本書を貫いている点に注意すべきである。主体が自分自身の主体形成について「説明」しようとしたとき、そこにはつねに説明不可能な部分が残り続ける。バトラーは、そのような説明不可能性こそが、社会的規範、他者からの「呼びかけ」によって主体が形成されることの証左だと考えるのである。

バトラーはフーコー、アドルノ、ラプランシュ、レヴィナスなどの多様なテクストを分析しつつ、社会的規範と他者の二つの概念が緊密に連関していることを指摘する。なぜなら、フーコー=アドルノ的意味での「社会的規範」は、レヴィナス=ラプランシュ的意味での「他者」の呼びかけを通じて、主体を形成し、服従化するからだ。その意味において、バトラーの言う「倫理」とは極めて政治的なものである。そして、そのような「倫理」は、社会的規範の暴力性の批判、自己そのものの暴力性の解体、そして自己の再創造へと、直接つながっているのである。(佐藤嘉幸)