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第2回表象文化論学会賞受賞者

下記の通り第2回表象文化論学会賞受賞者が決定されました。
各賞の受賞理由および選考委員のコメントは、授賞式(7月2日(土)開催予定)の報告とともに
「REPRE」次号に掲載する予定です。

  • 学会賞:平倉圭 『ゴダール的方法』(インスクリプト、2010年12月)に対して
  • 奨励賞:橋本一径 『指紋論――心霊主義から生体認証まで』(青土社、2010年10月)に対して
  • 特別賞:なし

[選考委員]

  • 桑野隆
  • 佐藤良明
  • 松浦寿夫
  • 和田忠彦

[選考過程]

2011年1月上旬から1月末まで、表象文化論学会ホームページおよび会員メーリングリストにて
会員からの学会賞の推薦を募り、以下の作品が推薦された(著者名50音順)。

  • 石橋正孝『大西巨人――闘争する秘密』
  • 今村純子『シモーヌ・ヴェイユの詩学』
  • 江村公『ロシア・アヴァンギャルドの世紀――構成×事実×記録』
  • 中村秀之『瓦礫の天使たち――ベンヤミンから〈映画〉の見果てぬ夢へ』
  • 橋本一径『指紋論――心霊主義から生体認証まで』
  • 原克『美女と機械――健康と美の大衆文化史』(『気分はサイボーグ』、『身体補完計画 すべてはサイボーグになる』と合わせて)
  • 平倉圭『ゴダール的方法』
  • 増田展大「写真的身体鍛錬術 世紀転換期の身体表象について」(『SITE ZERO/ZERO SITE』第3号)

これらの候補作のうち、江村公氏の著作は、発行日が2011年1月と記載されていた。
したがって、学会賞の規定に基づき、この著作は今回の選考対象から除外することを選考委員のあいだで確認した。
具体的な選考作業は、各選考委員がそれぞれの候補作について意見を述べたのち、全員の討議によって各賞を決定していくという手順を取った。

ジャン・ジュネを再発見する
――ジュネ生誕100年記念シンポジウム報告









撮影:清水俊洋

3月26日・27日の二日間、京都芸術劇場・春秋座(京都造形芸術大学内)で、ジャン・ジュネ生誕100年記念シンポジウム『変貌するジュネ』が開催された。ジュネが生まれたのは1910年。本学の舞台芸術研究センター(所長:渡邊守章)は、大学院(院長:浅田彰)、比較藝術学研究センターと連携しつつ、この企画を昨年秋に実行すべく準備を進めていた。諸般の事情により当初の日程は延期せざるをえず、100周年の年度末になんとか間に合うようにスケジュールを組み直したのだが、考えてみれば、2011年4月15日は、同じ作家の没後ちょうど25年目でもあった。昨年の『シャティーラの四時間』(インスクリプト)、『花のノートルダム』(光文社古典新訳文庫)、『女中たち/バルコン』(岩波文庫)に続き、年が明けてからは、長年邦訳が待たれていたジュネ生前の貴重なインタヴューを集めた『公然たる敵』(月曜社)も刊行され、日本でこの作家を読み直すための基本的条件がようやく整いつつあるタイミングで実現できたことは幸いであったが、同時にそれはまた、未曾有の大震災の直後というタイミングとも重なっていた。

原発事故の影響で、フランスからのゲスト招聘は断念せざるをえなかったが、明らかな時代の転換点に、鵜飼哲、宇野邦一、鈴木創士、根岸徹郎、岑村傑の各氏を迎え、日本を代表するジュネ研究者とともに、作家の全貌を見直す機会を得たことは貴重であった。本学・舞台芸術研究センターでは、2006年から08年にかけて、ダンサー/コレオグラファーの山田せつ子が中心となり、ジュネのエクリチュールを、ダンスと映像制作の現場へ接続することを試みた『恋する虜・ダンスプロジェクト』を実施したが、その成果をあらためて大きな文脈から検証することもできた。フランス人ゲストに代わって行われた渡邊の基調講演「再び見出されたジュネ」からはじまって、「ジュネにとっての〈書くこと〉」、「劇場のジュネ」、「ジュネにおける〈政治的なもの〉」というパネル構成は、≪異端の作家≫というもはや色あせた神話とはきっぱり訣別し、小説家、劇作家、エッセイストというこの作家の多面的な顔を、できるかぎりトータルに見極めることからはじめようという配慮に基づいていたが、もとより時間的な制約からすべてを十全に議論し尽くすことは不可能だったとはいえ、概ねその試みは成功したといえるように思う(全てのパネル・映像上映会に参加してくださった熱心な観客にも恵まれた)。なお、議論の内容は加筆修正などを適宜施した上で、今秋からリニューアル予定の雑誌『舞台芸術』(京都造形芸術大学舞台芸術研究センター発行、角川学芸出版発売)に収録予定である。(報告:森山直人)

長谷正人トーク・ショー「映画を見るという経験とは何か?」

学会員である長谷正人氏の著書『映画というテクノロジー経験』(青弓社、2010年)が刊行されたことを記念し、トーク・ショー「映画を見るという経験とは何か?」が、2011年2月22日18時より京都のMEDIA SHOPにて開催された。

今回のトーク・ショーでは、著者である長谷氏に話を伺うに際して、増田展大氏、岩城覚久氏、本報告者である林田が聞き手として参加し、「映画を見るという経験とは何か?」という、本書の主題でもある根源的な問いを巡って議論が展開された。

議論の糸口となったのは、本書において繰返し言及される触覚的・律動的・時間的な映画経験、すなわち映画と「私」との相即的な出会いの内に生起する身体性であった。ただし、それは、娯楽的な消費や内容の読解という映画経験に対して、身体性をことさら強調し本質化するということでは無い。議論の中で明らかになったのは、身体性、あるいはそれを重視する言説が、各時代の映画を巡る視聴環境・視聴機器の変化や映画研究・批評の趨勢と決して無関係ではないということであり、長谷氏の思索が、まさにこうした映画を巡る様々な力学のただ中で、自身の身体的な経験を手掛かりとして紡がれているということである。今回のトーク・ショーはこうしたハードな内容であったにも関わらず、終始和やかで笑いの絶えないものであった。それは、長谷氏の映画に対する語り口が、決して衒学的、思弁的なものではなく、まさに身体的な映画経験に裏打ちされたものであったからだろう。(報告:林田新)