現代日本文化のネゴシエーション ファッション

Future Beauty
――日本のファッションの過去と現在

石関 亮

原宿のロリータ・ファッションが海外でも注目され、世界各地でアニメやゲームのキャラクターに扮したコスプレイヤーたちが集うイベントが開催される。一流ブランドのデザイナーが東京のストリート・ファッションから影響を受けた衣服作品をデザインする。2000年頃から、流行のスタイルや自己表現のツールとして日本のサブカルチャー的なファッションがグローバル化してきたことは論を待たない。日本政府も、2009年に外務省が「ポップカルチャー発信使」を新設、ロリータ・ファッションなどで有名なモデル3名を通称「カワイイ大使」として海外の関連イベントに派遣。経済産業省も、2005年の立ち上がりから「東京発 日本ファッション・ウィーク」の開催を支援、2010年には、製造産業局に「クール・ジャパン室」を設置し、デザイン、アニメ、ファッションなどの「文化産業」の海外進出を後押しする姿勢を強めている。
官民挙げて日本のソフト・パワーの強化とその持続可能性に期待が高まっている中、気になる現象も出ている。朝日新聞の別刷「Globe」57号(2011年2月7日)では、「クール・ジャパン」の主要コンテンツと考えられているマンガ産業について、「MANGA、宴のあとで」と題した特集を組み、最近海外での売り上げが減少しつつある現状が報告されている。海外でも人気が高い「ナルト」や「ワンピース」といった作品が10年を超えるロング・セラーとなっている一方、後継となり得る作品がなかなか現れないことが大きな要因として挙げられている。これはファッションについても同じ状況であると言える。ゴスロリやロリータが持っていた目新しさは既に薄れ、それに続く独自性の強いスタイルがストリートで広がる兆しも今は見ることができない。さらに、海外の愛好者たちの知識も増え、情報に対するリテラシーも徐々に高まっている。

今日、日本のファッションに対する理解はある種の成熟期に入っていると言えるだろう。そのことを間接的に示す2つの大規模な展覧会が、2010年、ほぼ同時に開催された。ニューヨーク州立ファッション工科大学(F.I.T.)付属美術館の「Japan Fashion Now」展と、ロンドンのバービカン・アート・ギャラリーでの会期を終え、2011年3月よりミュンヘンのハウス・デア・クンストに巡回した「Future Beauty: 30 Years of Japanese Fashion」展である。

「Japan Fashion Now」展は、デザイナー・ブランドからストリート・ファッション、コスプレに至るまで、日本のファッションの〈今〉を一堂に展覧しようとする意欲的な展示である。展覧会は、1980年代の三宅一生、川久保玲(Comme des Garçons)、山本耀司らの作品から始まる。彼らはパリコレなどの海外コレクションに進出し、その独創的なデザインと素材使いで注目を集め、その後のファッション・デザインに大きな影響を与えた。
続く本編では、川久保、山本の近年の作品や、渡辺淳弥、栗原たお、高橋盾(Undercover)ら後進のデザインが展示される他、堀畑裕之と関口真紀子(Matohu)、阿部千登勢(Sacai)など次世代のデザイナーにも目を配る。彼らは、シーズンのトレンドを作り出すことよりもむしろ、特殊素材(渡辺)、日本の伝統的染織技法(Matohu)、ストリート・ファッション(渡辺、高橋)、未知の造形(川久保)といったテーマを服作りの中心に据えている。
職能としてある種の独自性や創造性を求められる(もしくは有するとされる)デザイナーの作品だけでなく、ロリータやゴスロリ、特攻服、さらに姫系、デコラ系、森ガールまで網羅したストリート・ファッションの多様なスタイル、アニメのキャラクターやヴィジュアル系バンドのコスプレも多数展示され、日本のサブカルチャーで見られるアイテムやイメージの特異的なブリコラージュ、衣服表現の独自性を際立たせる形となっている。
さらに、男性ファッションについても、宮下貴裕(Number (N)ine)、柳川荒士(John Lawrence Sullivan)、尾花大輔(N. Hoolywood)、三原康弘といった国内において評価が高いデザイナーの作品が紹介されている。大澄剛史(Phenomenon)、相澤陽介(White Mountaineering)等のまだ数シーズンしか発表していないデザイナーも取り上げられている。まとまった形で日本の男性ファッションのデザイナーが紹介されるのは国内外問わず初めてである。
これまで断片的に紹介されることが多かった日本のファッションであるが、ハイ・ファッションからサブカルチャー、男性ファッションまで取り扱う本展の射程の広さは、その全体像を把握することに大きな貢献をしている。また、新世代のデザイナーや最新のストリートのスタイルをいち早く拾い上げ、情報をアップデートしていることも意義深い。これらはみな、展覧会キュレーターである同美術館ディレクター、ヴァレリー・スティールの数年に渡る集中的なフィールド・ワークの成果である。
本展は開始後に3か月の会期延長が決まった。このことは、展覧会の意図が評価されたこと、少なくともアメリカにおいて、日本のファッションが未だ興味の対象であることをある部分で示しているかもしれない。

F.I.T.の「Japan Fashion Now」が、包括的に日本のファッションを取り扱い、その現象面に注目したのとは対照的に、「Future Beauty」展は日本人デザイナーの作品に対象を絞り、現代のファッション・デザインの方法論において、彼らの作品とそこに意識的、無意識的に現われる日本的美意識や思考の影響について考察している。また、本展の企画は私の所属する京都服飾文化研究財団(KCI)が行っており、日本人、さらには当事者であることのバイアスが多少なりとも含まれてしまうであろうことは先に付言しておきたい。
本展は、副題からもわかるように、1980年代から現在までの30年間を対象としている。80年代の三宅、川久保、山本の作品から展覧会が始まることは、前述の「Japan Fashion Now」と同じである。それは、80年代を、日本のファッションの創造性が世界に強く意識された最初の時代とする認識が、ファッション研究者において共有されていることの証左でもある。
川久保や山本が80年代前・中期に発表した作品には、黒、白、紺、グレーのような彩度の低い色、不規則な明きやレイヤード、ノッティング、ドレーピング、裁ち切りによる不定形なデザインが多用されている。また、三宅は当初から一貫して平面的な「一枚の布」から作られる多様な三次元的造形に注目し、さまざまなデザイン実験を行っている。色彩や形態の調和、立体裁断による身体線の強調を伝統的に重んじる西洋とは徹底して異なる彼らの衣服制作の態度は、当時の欧米のファッション関係者に衝撃を持って迎えられた。しかし、その衝撃を積極的に評価する者は、彼らの色彩感覚に、谷崎潤一郎が追慕したあの陰翳に対する鋭敏な日本人の認識力を看取し、平面的なデザインと着用によって生じる衣服と身体との間合いに、着物との関連性を見出そうとした。展覧会の構成においても、「陰翳礼讃」と「平面性」の二つは主要なテーマとなっている。
「伝統と革新」も、世界における日本のファッションのイメージを語る上で重要な要素となるだろう。日本は、一方で、非常に高度な工芸美術の技術と洗練された伝統芸能を絶やさず今でも受け継いでいる歴史を重んじる国であり、他方で、先進的なテクノロジー分野において華々しい成果を収め、強い経済力を手にした技術立国である。ファッションにおいても、70年代の高田賢三(Kenzo)や三宅、初期の川久保や90年代の山本、近年ではMatohu等、着物のモチーフや伝統的な日本の染織技法を意識的に取り入れた作品は多い。同時に、「テクノ・クチュリエ」と称される渡辺の作品、三宅の「プリーツ・プリーズ」や「A-POC」は、「合繊」で世界を席巻した高い技術力を持つ現代日本のファッション産業の象徴でもある。
そして、現在、伝統や革新といったイメージに続く日本の第3のイメージが、アニメやストリート・ファッションなどのサブカルチャーが高度に発達し、良質のコンテンツを多数生み出している「クールな日本」である。かつて裏原宿系のデザイナーだった高橋盾に代表されるように、デザイナーもサブカルチャーからの影響を多分に受けている。勝井北斗と八木奈央(Mintdesigns)や高島一精(Né-net)、坂部三樹郎など、主に次世代のデザイナーに多い。彼らにとって、マンガやアニメ、ファッションはもはやサブカルチャーではなく、日常生活の一部であり、表現手段の一つである。
本展は、バービカン・アート・ギャラリー(ロンドン)、ハウス・デア・クンスト(ミュンヘン)と、現代アートの展示で評価の高い美術館を巡回している。私たちがこの展覧会を通して考察した内容が、衣装美術館ではなく、現代アートの美術館に受け入れられているということは、そうした現象がファッションのみに留まるものではなく、現代アートも含め、より広範に認められることを少なからず示しているのではないだろうか。

最後に、今回取り上げた二つの展覧会に共通することは、日本のファッションが「Future」という言葉と結びついていることである。「Japan Fashion Now」展の展覧会カタログにおいて、スティールは「Is Japan still the Future?」という論考を書き、「Maybe; it definitely still looks like the future.」と締めくくっている。「Future Beauty」展はタイトルが表している通りである(ちなみに、このタイトルを付けたのはハウス・デア・クンストのディレクター、クリス・デルコンである)。彼らを含め、80年代におけるファッション界の動きを知る世代にとって、日本のファッションは、それまでの欧米のファッション・スタイルとは一線を画した、オルタナティブな美意識を提示するものとして深く記憶されている。
ファッションのみならず、当時の人々にとっては「Japan as Number One」であり、日本は世界が進むであろう未来の姿を多分に想起させる国であった。そして、いまだに、新しい文化が日本から発信されると、そのイメージと結びつけて考える傾向がある。オリエンタリズムの議論を踏まえれば、そうしたイメージに合致するものが日本的なものとして取り上げられているとみることも可能だろう。
現在の日本のストリート・ファッションに対する評価にもこのイメージが大きく働いていることは言うまでもない。とすれば、絶え間ない〈未来〉のイメージの刷新が、世界に対する影響力を保つためには必要になってくるのかもしれない。

石関亮(京都服飾文化研究財団)



Installation view of Japan Fashion Now, courtesy The Museum at FIT, New York.





Future Beauty: 30 Years of Japanese Fashion, Haus der Kunst, 4 March – 19 June, 2011. Photo: Dirk Eisel.