現代日本文化のネゴシエーション | インタビュー2 イェンチン研究所 | 2 |
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インタビュー
ヴェネチア・ビエンナーレ日本館 束芋展「超ガラパゴス・シンドローム」をめぐって
植松由佳(国立国際美術館主任研究員)
聞き手=門林岳史
——束芋さんは一方ではいわゆる「日本的」なるものを題材として作品を作ってこられたのですが、他方ではむしろ早い段階から国際的な評価を受けてきています。つまり、日本の固有性を作品に盛り込みながらも、そのことによってガラパゴス化するというよりは、それがグローバルなアートシーンに受け入れられていくための戦略にもなっている。その点では村上隆さんとも通ずるところで、そうした戦略こそがまさに「超ガラパゴス・シンドローム」ということなのかもしれません。そこで束芋さん自身のキャリアとの関連についても伺えるでしょうか。
植松 村上隆さんは海外の市場を非常に意識していて、ご自身で戦略的に作品を打ち出しているのですが、束芋の場合は国内と海外の違いは自分の意識としてはないんですね。日本の現代社会を辛辣に描いた作品「日本の台所」(1999年)は大学の卒業制作作品ですが、描かれた内容においても、日本的な技法を用いたアニメーション作品という点からも、海外から大きな評価を獲得しました。2001年の横浜トリエンナーレではいろんな作家たちと肩を並べて最初の国際展出品を果たしています。その後の大きな転換点としては、2003〜2004年の1年間のロンドン滞在があります。束芋にはもともと、アーティストというよりはグラフィック・デザイナーになりたいという大学時代から抱いていた夢があって、ロンドンではデザイナーのスタジオで修行していたのですが、グラフィック・デザイナーに向かないと自覚してアーティストとしてやっていくという覚悟を決めたところがあったようなのです。海外に滞在する日本人としての自分を見つめる時間が得られたこともあり、帰国後は作風も少しずつ変わっていくんですね。それまでは「日本の台所」「日本の通勤列車」と日本を象徴するモチーフを描いてきたところが、帰国後はより自分自身を見つめる作風になっていきます。その後もロンドン、パリで個展が開催され、さまざまな国際的なグループ展にも招待されますが、それまで束芋の作品に向けられてきた「日本社会を映し出しているもの」に対する興味からは少しずつ評価のされ方が変わってきていて、束芋という作家が創り出す作品そのものへの評価が現在得られるようになってきていると私は考えています。
——束芋さんは2006年から2007年にかけて連載された吉田修一の新聞小説『悪人』の挿絵を手がけていましたね。昨年横浜美術館と国立国際美術館を巡回した展覧会「束芋:断面の世代」ではその原画も展示されていて、とても感銘を受けました。僕自身が興味を持ったのは、ある種おぞましいものでありながら、セクシャルな含意も帯びているような対象がバラバラに寸断されて描かれる表現です。つまり、精神分析の用語で言うと、欲動が固着された「部分対象」が寸断され、なおかつ増殖されていくような印象を受けたんですね。同じような印象は例えばルイーズ・ブルジョワや草間彌生の作品にもあると思います。それを安易に「女性性」と関連づけることは問題があるかもしれませんが、そういうふうに捉えたくなるところがある。そして、そういった側面から振り返ってみると、同じ展覧会のいわゆる「日本的」なイメージを扱った作品にも、そのように部分対象が増殖して展開していくような表現があったようにも思うのです。
植松 ロンドン以前と以降という私の分け方で言いますと、それ以前の「ニッポンの〜」シリーズは、彼女がどのように外を見るかというところから導き出されてきたシリーズだと思います。それ以降の作品は「断面の世代」展のものも含め、外から客観的に自分自身を見つめるというか、彼女自身の言葉では「個」への執着がでてきた。それは自分自身の「個」でもありますが、もっというと細胞レベルの「個」にいたるまで、ひとつのものに執着するところがでてきたんです。そういう視線の送り方がロンドン以降かなり変わってきたという印象を持っています。コンテクストは違いますが、ブルジョワや草間とも執着の仕方においてはつながってくるかもしれません。もっとも、今の段階では束芋の作品に「女性性」が顕在化しているとは私は捉えていません。ここ数年、少しずつそういう側面が出てきてはいますが、表皮に覆われたものが時々パラっとめくれて出てくるという程度です。それがもっと顕在化してきたときに次のステップになるかもしれません。『悪人』の場合、最初に吉田修一さんの原文があったので、例えばエロティックな場面展開に触発されたり、小説の表現を借りることによって、今まで自分自身の表現からは導き出されなかったものが顕在化されたというところはあると思います。
——今回ヴェネチアに出品する作品にもそういう側面はあるのでしょうか。
植松 まだ制作中ですが、今の段階では女性性に直接つながるような内容ではないですね。