> 表象文化論学会ニューズレター〈REPRE〉:新刊紹介:『三人称の哲学――生の政治と非人称の思想』
新刊紹介 編著、翻訳など 『三人称の哲学――生の政治と非人称の思想』

岡田温司(監訳)佐藤真理恵ほか(訳)
ロベルト・エスポジト(著)『三人称の哲学――生の政治と非人称の思想』
講談社、2011年2月

現代イタリアの政治哲学者、ロベルト・エスポジトは、マキアヴェッリ研究から出発しつつ、近年は、共同体や生政治をめぐる考察によって、同じくイタリア出身のジョルジョ・アガンベンやアントニオ・ネグリらと並んで、世界的に知られるところとなった。日本でも、2009年に久しぶりに邦訳書(『近代政治の脱構築――共同体・免疫・生政治』)が刊行され、2011年には来日講演も実現するなど、その思考に注目が集まりつつある。

本書は、そのエスポジトが、「人格=人称」を意味する「ペルソナ」という概念に正面から取り組んだ、2007年発表の重要作である。エスポジトによれば、「ペルソナ」とは、たんなる概念上のカテゴリーにとどまらず、それをめぐってつねに選択と分離の効果が発生せざるをえない、いわば行為遂行的な「装置」である。すなわちそれは、たとえば、精神と身体、人間性と動物性というかたちで、本来ひとつのものである生を分割し、さらには、この分割線にしたがって、一方に包摂されるものを、他方に排除されるものを生みだすことになる。

こうした認識をふまえて、本書においては、この「ペルソナの装置」の系譜学および脱構築が試みられる。すなわちエスポジトは、まず、この装置の神学的、司法的な起源を見据えた緻密な分析を行ったうえで、さらに、「三人称」という「非人称的なもの」の探究を通じて、それを根本的に問いなおすのである。三人称が非人称であるというのは、一人称と二人称とがとり結ぶ鏡像的な関係に対する、三人称の決定的な外在性に由来する。とはいえそれは、いわゆる「反人称」のように、たんに人称に対置され、それを否定するものとも明らかに異なっている。むしろ、人称をその境界の外へとおしひろげるような力、本書でエスポジトが志向するのは、こうした力としての三人称なのである。(武田宙也)