新刊紹介 | 編著、翻訳など | 『絵画をいかに味わうか』 |
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岡田温司(監訳)喜多村明里(訳)大橋完太郎(訳)松原知生(訳)
ヴィクトル・I.ストイキツァ(著)『絵画をいかに味わうか』
平凡社、2010年11月
ルーマニア出身、現在はスイスを拠点として国際的に活躍する美術史家の研究論考集である。京都大学岡田温司教授との交流により冒頭章として添えられた半生録は、欧州における美術史学研究の雰囲気を伝えるとともに、冷戦時代末の薄闇をくぐり抜けてきたストイキツァの、曇りなき知の光の輝きを感じさせる。次章では東側諸国における偶像破壊の現象を古代・中世美術史と文化人類学の視点から見つめ、第3章では古代のエクフラシスと画家ティツィアーノを論じて、絵画《ウェヌスの祝祭》が言語テクストと同じく、視覚のほかあらゆる感覚値を喚起する表象でもあったことを明らかにするが、ストイキツァはこうした論考を通じて、ひたすら視覚的に「見る」ことや象徴を「読み解く」ことに没頭してきた近代の美術史学をそれとなく批判する。さらに、目が眩むような光の過剰、火炎を描いた16-17世紀画家たちの企図とその課題とを探り(第4章)、18世紀絵画にみる廃墟と美術館ギャラリーという対照的な表象のうちに近代の芸術をめぐる自意識を看取して、マネとドガの自画像に至っては、自意識の「集中」と「蒸発」、凝縮と昇華・消滅をみる(第7-8章)、とする論考が実に興味深い。
美術史学が花と咲かせてきた多様な研究方法を総括し、いったん忘れ去るかのようにして、ストイキツァは絵画をじっくりと味わい、ひたすら思索する。「美術史学の終焉」の予感と実感のなか、新たな可能性を探し求めている私たちにとり、その豊かな思索と論考は大いなる示唆を与えてくれる。(喜多村明里)
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