新刊紹介 | 単著 | 『映画というテクノロジー経験』 |
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長谷正人『映画というテクノロジー経験』
青弓社、2010年11月
「美術館に行くと困ってしまう」。このような告白からあとがきを始める著者は、映画と向き合うことの「困惑」に正面から取り組むことで、「映画を見る」経験そのものを歴史的かつ実証的に解きほぐしていく。
四部構成となる本書は、1995年以来、蓄積されてきた映画論の集成となる。第一部で展開される「リュミエール映画の考古学」は、昨今の初期映画研究を取り入れつつ、前著において提示された映像の「触覚的経験」を、「リズム」を生成するような「細部」に着目するダイナミックな受容経験として浮かび上がらせる。このような考古学的方法論の有効性は、第二部以降における、チャップリン、山中貞雄、宮崎駿作品における身体動作への着目、大正期における検閲の誕生、さらにはグリフィスや小津映画にまつわるフィクション/物語論など、映画(史)の内外を網羅する射程の広さによって証左されるだろう。後半部では、蓮實重彦による映画論の批判的読解のみならず、映画経験における「データベース的消費」への「反抗」が基調となり、それらは決して狭義の映画研究に収まるものではない。こうして詳らかとなる映画に対する「困惑」は、スクリーンやネットワーク上において断片的に映像を消費する現代の「テクノロジー経験」への反省的考察を我々に迫ってもいる。(増田展大)
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