新刊紹介 単著 『ディドロの唯物論――群れと変容の哲学』

大橋完太郎『ディドロの唯物論――群れと変容の哲学』
法政大学出版局、2011年2月

18世紀フランスにおける最大の百科全書派ドゥニ・ディドロを論じた本書は、従来の啓蒙思想家ディドロという図式を覆し、徹底した唯物論的様相のもとに世界を見据える怪物的な眼差しの主としてのディドロを鮮やかに提示する。合理化による首尾一貫性の虚妄を退け、質的変容を遂げ続ける微細な諸力の「群れ」として世界を読み解くディドロ――同時代の知と協働しつつも異質な光を放つこの「群れと変容の哲学」を、ヴィーコ、ラヴォアジェ、ラ・メトリ、コンディヤック、ルエル、そしてビュフォンを始めとする18世紀近傍の科学者、哲学者たちの広範な仕事を見渡しながら描き出す筆者の手法は重層的で巧みだ。だが本書がその高い専門性の枠を越えて読者に問いかけるのは、学的対象として自足したディドロ思想ではなく、ディドロを通じ触発と変容のダイナミズムとして暴かれた唯物論的世界のなか、留保なく解体されてゆく「人間」という概念にほかならない。諸感覚の「糸束」にまで還元された「人間」は、種としての規定と完成の形を取り払われて、物質的な「潜在力nisus」の際限ない作用と反作用だけが存在する世界に「怪物」として放り出されている。そこにおいて、徹底的な唯物論における「人間中心主義」というディドロ思想のパラドクスは一つの可能性として再考されるだろう。「自然史」の物質的運動へと「人間」を容赦なく解体・相対化しつつ、世界の質的な差異に触れ、その触発によって自己と世界が新たな変化を遂げる喜びのうちに「人間」を再発見すること――著者が「あまねくものに対する啓蒙=複数の光(リュミエール)の可能性」として読み解くこの新しい「啓蒙的」知の営みを、「人間的」と見るか、はたまた「怪物的」と見るか。ディドロ研究においてはもちろんのこと、ポスト・ヒューマンの問いを再考する上でも、本書はクリティカルな問いかけと、それを考察するための豊かな材料を提供するだろう。(大池惣太郎)