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国際シンポジウム「グローバル・アジアにおけるアジア美術の想像力」報告
2015年6月27日(土)、東京大学駒場キャンパス学際交流ホールにて、国際シンポジウム「グローバル・アジアにおけるアジア美術の想像力(Imagining Asian Art in Global Asias)」が開催された。このシンポジウムは、森美術館、ニューヨーク大学グローバル・アート・エクスチェンジ(GAX)、東京大学大学院博士課程教育リーディングプログラム「多文化共生・統合人間学プログラム(IHS)」の共催による2日間のシンポジウム「日本およびアジア地域におけるグローバル・アートとディアスポラ・アート(Global Art and Diasporic Art in Japan and Asia)」の2日目に相当するものであり、前日に六本木ヒルズで開催された1日目に続き、100名を超える来場者を集め、活発な議論が交わされた。
午前中のパネル1「東アジアと東南アジアにおける領域横断」では、加治屋健司氏(京都市立芸術大学)の司会のもと、鄭然心(韓国・弘益大学校)、パトリック・D・フローレス(フィリピン大学)、片岡真実(森美術館)、王春辰(中国・中央美術学院|遠隔参加)の各氏による発表が行なわれた。各氏とも、研究者であるとともに(あるいはそれ以上に)アジアを中心とする現場の前線で活躍するキュレーターであり、現在の東アジアおよび東南アジア地域における現代美術の状況が多角的に検討された。各氏の発表に対しては稲賀繁美(国際日本文化研究センター)、ミリアム・ワトルズ(カリフォルニア大学サンタバーバラ校)両氏のコメントが続き、本シンポジウムの基調となる幅広い議論が展開された。
午後に行われたパネル2「日本をイメージする──論争の場としての現代美術」、およびパネル3「トランスナショナルなアジアにおける移動性と地域性」では、中島隆博(東京大学)、内野儀(東京大学)の両氏の司会のもと、計8名の発表が行われた。午後の2つのパネルには、事前の公募によって選ばれた世界各地からの発表者が集い、過去および同時代の作家の実践に照準を合わせた作家論的なアプローチから、今日の芸術の消費と教育のあり方を論じる社会学的なアプローチまで、さまざまな角度から今日の「アジア」美術の状況が検討された。とはいえむろん、本シンポジウムではそのような括弧つきの「アジア」を再考することにこそ主眼が置かれていたのであり、そこに「アジア」を過度に強調ないし本質化するようなアプローチは存在しなかったことを(特に)付け加えておく。パネル2においては蔵屋美香(東京国立近代美術館)、井戸美里(東京大学)の両氏が、パネル3においてはワン=リン・ウィー(シンガポール南洋理工大学)、今村有策(トーキョーワンダーサイト)の両氏がディスカッサントを務め、理論・現場・実践を横断するさまざまな論点が提示された。
ここでは個々の発表・コメント内容にまで立ち入る余裕はないため、全体の総括のみを述べたい(日・英のプログラムについては本報告末尾のURLを参照のこと)。前述のように、本シンポジウムでは、研究者、キュレーター、アーティストをはじめとするさまざまな立場の登壇者が混在していたこともあり、フロアとのディスカッションも含め、いわゆる「学会」的な儀礼には終始しない本質的な議論が数多く展開されたことが印象的だった。参加者の拠点も、東アジアにとどまらず、アメリカ合衆国、ブラジル、イスラエル、カザフスタンなどの多様な地域にまたがっており、本シンポジウムがテーマに掲げた「グローバルな(複数形の)アジア」の現状が、参加者の多彩な顔ぶれによっても裏づけられる格好となった。
また、冒頭でも述べたように、本シンポジウム「グローバル・アジアにおけるアジア美術の想像力」を含む計2日間のシンポジウムは、森美術館、ニューヨーク大学、東京大学の三機関の協働と、国際交流基金ほか関係機関の支援によって実現したものである。今回、微力ながら運営に携わった筆者の印象としては、美術館と大学、あるいは研究者、キュレーター、アーティストがともに議論の場を持つことのできるこのような機会は、(困難も多いが)きわめて有意義かつ発展性のあるものであるように思われた。これをひとつの契機として、今後、さらなる協働の機会が持てることを楽しみに待ちたい。(星野太)
【プログラム(本シンポジウムに関わる共催各機関のURL)】
・森美術館
・ニューヨーク大学
・東京大学