トピックス 2

シンポジウム
「會舘の時代 中之島に華開いたモダニズムとその後」
日時:2015年3月14日(土)・15日(日)
会場:東京大学駒場Ⅰキャンパス18号館ホール

3月14日(土)
シンポジウム:「會舘」という文化装置―『會舘藝術』と大阪朝日会館

パネリスト:
・岡野宏(東京大学博士課程):朝日会館の歴史概観
・前島志保(東京大学准教授):『會舘藝術』の定期刊行物としての特徴とその意義―主に1941年までを中心に―
・高山花子(東京大学博士課程):折々の混在―雑誌『會舘藝術』に描かれる「大阪」
・ヘルマン・ゴチェフスキ(東京大学准教授):「文化」(Kultur)の定義
・山本美紀(奈良学園大学):朝日会館から大阪フェスティバルホールへ アウセイ・ストローク―文化装置のデザイナーとしての音楽マネージャー

コメンテーター:渡辺裕(東京大学教授)

レコード・コンサート:再現・「レコード鑑賞会」―1938年10月13日

選曲と進行:毛利眞人(音楽評論家)
電蓄提供:株式会社シェルマン


3月15日(日)
参考上映会:「映画アーベント」―朝日会館における映画興行

司会進行:紙屋牧子(早稲田大学演劇博物館招聘研究員)、白井史人(東京大学博士課程)
協力:東京国立近代美術館フィルムセンター

シンポジウム:「會舘」文化の諸相―映画・演劇・音楽・文学

パネリスト:
・紙屋牧子(早稲田大学演劇博物館招聘研究員):大阪朝日会館における映画上映(1926~1962):その「モダニズム」と「ナショナリズム」
・大森雅子(東京大学講師):朝日会館と新劇―ゴーリキー作『どん底』の上演とその受容について
・茂木謙之介(東京大学博士課程):雑誌『會舘藝術』および『厚生文化』における「文芸」について
・中村仁(桜美林大学講師):大阪朝日会館における洋楽公演
・山上揚平(東京藝術大学講師):『朝日会館』誌に於ける音楽―同時代音楽専門誌との比較から
・長木誠司(東京大学教授):朝日會舘と日本のオペラ/歌劇

コメンテーター:朴祥美(横浜国立大学准教授)


ここでいう「會舘」は、1926年から1962年まで大阪の中之島に存在した大阪朝日会館(以下、「会館」)のことを指している。東京大学駒場キャンパスの音楽学研究者を中心に、関西に縁の深かった音楽家・貴志康一を研究するプロジェクトが終わった後、たびたび関西の音楽動向との関連で言及があるものの、総体が定かではなかった会館とその機関紙『會舘藝術』についての「朝日会館・会館芸術研究会」が2011年冬に新しく立ち上がった。2013・2014年度は科学研究費の助成を受け、何度も名前を変えながら1931年から1953年まで存続した雑誌のデータベースを整理する一方で、多岐に渡る会館での催しとその関連記事、資料を半ば掘り起こす形で各分野の担当者が研究を進めていった。ところが、一次資料が当初想定していた以上に膨大かつ複雑で、たとえば詳細な演目は雑誌や新聞の広告などからたどり直す必要があった。結果、全体像を把握するための基本情報の精査に多くの時間が費やされ、それゆえ、シンポジウムでは途中経過報告の感が少なからずあったことは否めないが、会館の骨子は明確になったと言えるだろう。

一日目は、会館と『會舘藝術』の概略を半ば時系列に確認することが行われた。朝日新聞社が経営母体だったが、内部での運営主体は入れ替わる。「友の会」という会員制度が確立する。雑誌は薄いながらもやがて総合雑誌の性格を持ち、時局の変化に伴い、名称も内容も変化する。国政を反映する記事が増加し、一方で「大阪」の文化の再考が進む。そこには「芸術」と「文化」という言葉の使用法の変化の問題も関わってくる。もともと新聞社が海外芸術家を呼び込んでいたつながりは、のちに大阪国際フェスティバルを目指すことにも結びついている。そうした幾層にも込み入った性格は、単純に東京対大阪、中央対地方という構図で見ることができるようなものではなく、翻って日本における近代化じたいを問い直す具体的な視点を提示してくれるものなのではないか、といったことが確認、共有されたように思われる。

シンポジウム「會舘の時代 中之島に華開いたモダニズムとその後」

二日目にそれぞれのパネリストが提示したのは、集客の目玉としての映画事業、大阪の新劇運動と深くかかわった上演活動、プロレタリア文学や女性作家により彩られた文芸におけるコント形式と編集方針の連動、来日演奏家に限定されない各種演奏会と大阪中心の洋楽界の可能性、『會舘藝術』の音楽関連記事に裏付けられる「関西」への意識、会館で上演された日本の歌劇の状況であった。各種催しの入り乱れるいわば「雑多」な様子は、必ずしも訪れる客層が一定でなかったことを暗示する。雑誌紙面が打ち出すある意味で高貴なイメージに回収されないようなひとびとの活動の様子が浮かび上がる。また、単純に年号によって戦中・戦後などと変遷を区切ることに違和感を覚えるような、ひとつづきのものが当時あったことを伝えてくる。ディスカッションでは、すでに他所で言及があるようなアメリカのギルトシアターや宝塚歌劇団など、同時代の他国・他地域の劇場組織との比較の必要性が指摘されたほか、いわゆるインテリ層と左翼的なものの新しさのつながりが垣間見えるものの、それ以上に演目が「盛りだくさん」である印象の強さなどが話題に上がり、この「多様性」をどう掘り下げることができるかといったことが問われた。また、今回のシンポジウムでは十分カバーできなかった美術、写真関連の調査が課題として浮上した。

当時の電蓄を用いたレコード鑑賞会、ニュース映画や前衛映画、傾向映画を取り上げた参考上映会も賑わった。両日ともに、関西方面をはじめ、遠くから足を運んでくださった方も少なくなく、貴重なご指摘を数多くいただいた。不足していた側面を補強し、企画を支えてくださった多くの方々のためにも、今後につながるよう研究成果を残し開いてゆくことが研究会の目下の課題である。(高山花子)

【関連URL】
イベント報告記事(東京大学教養学部報)
研究会ホームページ

シンポジウム「會舘の時代 中之島に華開いたモダニズムとその後」