第10回大会報告 企画パネル:『重力の虹』を読む

企画パネル:企画パネル:『重力の虹』を読む|報告:佐藤良明

2015年7月5日(日) 16:30−18:30
早稲田大学戸山キャンパス32号館1階128教室

企画パネル:『重力の虹』を読む

佐藤良明
門林岳史(関西大学)
武田将明(東京大学)

【ディスカッサント】麻生享志(早稲田大学)

トマス・ピンチョンの『重力の虹』(1973)新訳出版を契機に、専門を異にする読み手が、それぞれの読みを披露するという、例年とは趣向の異なる企画パネルである。

第三部「イン・ザ・ゾーン」の舞台を訪ねてドイツを回ってきた訳者(佐藤)自身のイントロダクションは、写真による報告会となった。本作は、主人公スロースロップのペニスに関する荒唐無稽な設定から語られることが多かったのに対し、終戦直後の無統治ゾーンをスロースロップがゆく第三部に照準を合わせると、ホロコーストを核とする(歴史に忠実な)国際政治ホラー小説としての側面が見やすい。難解さが強調され、ポストモダン小説の極北とされる作品だが、ペーネミュンデでのロケット開発とミッテルバウ=ドーラ収容所およびトンネル内で製造のようす、米英ソによるミサイル技術の収奪の過程が、いかなる小説技術によって表象されているのかを知るには、「歴史的現実」とのベタな接触も、やはり効果的である。

『重力の虹』はメニピアン・サタイア(人間の思考の様態を風刺する文学)としても読まれてきたが、この点、240年ほど前に出版された『ガリヴァー旅行記』との比較は有用だろう。スウィフトとピンチョンが、それぞれ近代小説がまさに始まろうとする時代と「小説の死」がよく語られた時代に、近代小説とは種類の異なるナラティブを書いたことは意義深く思われる。『「ガリヴァー旅行記」徹底註釈』の註釈者のひとり武田将明氏の発表では、過去に繰り返し悪評の対象となった第三篇(宙に浮く島ラピュタ等への旅を描く)を取り上げ、パラノイア的世界像、科学と政治への熱狂の共存のありさまといった点で、ふたつの作品が類似する箇所が示された。『ガリヴァー』第3篇第五~六章におけるラガード大研究院における各種の研究の描写は、その発想のスケールといい、百科全書的な広がりといい、豊饒な知識から引き出される馬鹿馬鹿しさといい、その筆致は、『重力』第一章におけるPISCES( “降伏促進” のための心理・心霊研究所)を描くピンチョンに、受け継がれているといえる。両者はまた、マニアックな工学的想像力を共有しており、それがリアルな世界を超えて飛躍し、この世界を根底から揺さぶる強度を獲得して「未知の小説」の可能性を窺わせるという特質を共有している。

門林岳史氏はナイジェル・スリフトの「技術的無意識 Technological Unconscious」の概念を援用。技術的な与件が反復を通じて、私たちの認識や行動のフレームの深い層にまで沈み込んでいるという(それ自体は穏当な)スリフトの立場を、ピンチョン一流のパラノイアックな認識の中に取り込むことで、読みを深める可能性に挑んだ。前置きとして、ベンヤミンからロザリンド・クラウスに至る「光学的無意識」と、ジェイムソンの「政治的無意識」が、精神分析の概念だった無意識の概念にどのような加工を施したかをあとづけ、その延長上で「技術的無意識」を拡張的に捉え直す。すなわち心の深層に宿るというより、むしろ技術として外在化した無意識的過程を想像すること。それにより、技術という非人称的な過程が西洋文明を突き動かしている様態を、作品に即して見ていくことができるだろう。分析のツールとして氏が持ち出すのは、グレマスの「意味の四角形」で、対立二項を縦横に組み合わせた四極には、秩序、混沌、非混沌、非秩序の四項をマップ。それぞれに(決定論的)古典力学、(確率論的)熱力学、(コントロールの学としての)サイバネティクス、(リアリティの再編をもたらす)高分子化学を配することで、作品の構造的理解を深めることができると論じ、適応例としてライル・ブランド(アメリカ産業界の影の立役者でスロースロップの伯父、フリーメイスン)が関わったピンボール修理のエピソードが分析された。

コメンテーターの麻生享志氏は長年のピンチョン研究の実践から多くの引き出しを持っており、氏のリードでフロアからも活発な質問が飛んだ。『ガリヴァー』に関しては、第四篇のフヌイヌムの社会にも話は及び、一方でカウンター・カルチャーの作家としてのピンチョンのスタンスに関する説明もあった。ラブレイとピンチョンの類似性についての質問もあり、シェイクスピアとの類似を考えるのも意味があるとの意見も出たが、ルネサンス期を代表する文学的知性とピンチョンとの比較も、いまだ十分な研究成果を見ていない領域である。いかにも時間不足とはいえ、「各国文学」を扱う諸学会ではなく、人文学全体への見通しを保つ本学会でこのようなパネルが持てたことの意義は小さくない。これに終わらず、哲学や映画の専門家を交えて継続していったら、もっと面白いことになるだろう。

佐藤良明

【パネル概要】

詳註つき新訳(新潮社、2014)の登場で読書環境が一変したピンチョンの 代表作「重力の虹」(1973)に対し、多分野に亘る研究者を擁する本学会で、学際的な議論に弾みをつけべく企画されたパネルである。翻訳者佐藤による包括的なイントロダクションに続けて、二つの「読み」が披露される。スウィフトの研究で知られる武田は、『ガリヴァー旅行記』(特に第三篇)と『重力の虹』が、いずれも科学とオカルトと権力とのパラノイア的三位一体を暴くために妄想・狂気と紙一重の過剰な世界を幻視する様を分析する。一方ポストヒューマン研究の先端に立つ門林は、「技術的無意識」(N. Thrift)を鍵概念とした『重力の虹』読解の可能性を提示する。近代の始まりと終わりをつなぐ視座から、人間的限界も踏み越えて、近代の根底にある匿名の欲望と、それに肉薄するテクストのありようを示すことができたらと思う。最後にピンチョン研究が専門の麻生氏からコメントを頂いた上で、フロアに議論を開きたい。