第10回大会報告 パネル2

パネル2:今日のLes immatériaux|報告:馬定延

2015年7月5日(日) 10:00−12:00
早稲田大学戸山キャンパス32号館1階128教室

誰が「非物質化」を恐れているのか──リオタールとLes immatériaux
星野太(東京大学)

非物質的物質──Les immatériauxと情報技術環境
原島大輔(東京大学)

アートと科学コミュニケーション
奥本素子(京都大学)

【コメンテーター】小林康夫(青山学院大学)
【司会】門林岳史(関西大学)

哲学者のジャン=フランソワ・リオタールとパリのインダストリアル・デザイン・センター(CCI)のデザイン史家・理論家のティエリー・シャピュと共同企画により、1985年3月28日から7月15日まで、ポンピドゥー・センターで開かれた実験的な展覧会「Les immatériaux(非物質的なものたち)」。ここでは、マルセル・デュシャン、ジョセフ・コスース、ダン・グラハム、ジャコモ・バッラ、エドワード・マイブリッジ、ジャン=シメオン・シャルダンらの作品が、古代エジプトのリリーフ、オリオン星座、細胞、カプセルホテル、株式市場などの様々なイメージと並置されていた。さらに、材料、元型、物質、原料、母性などの意味を持つ「m」ではじまる5つのキーワードに属する60個以上の「サイト」を、無線レシーバーを装着した観客が自分で動線を決めて歩きまわるようになっていた。カタログは、ダニエル・ビュラン、ダニエル・シャルル、ジャック・デリダ、ブルーノ・ラトゥールら26人が自宅に設置したマイクロコンピュータとセンターの間のコンピュータ通信によって集められた「エクリチュールのテスト」および展覧会の資料編と、リーフレットの形をしている視覚的なイメージの目録(ダウンロード可)の2冊組で構成されていた。

その30年後、2015年の観点から「Les immatériaux」展を回顧し、現在におけるその意義を検討したのが第2パネルの試みだった。星野太は、本展に関する近年の研究動向を丁寧に整理して紹介しつつ、展覧会のタイトルになっている「非物質」という概念について、それと前後するリオタールの著書との関係のなかで分析した。その一方、原島大輔は本展の全てが「メッセージに還元されうる」と指摘し、物質ゾーンを抜け出た後に「言語の迷宮」と名づけられたゾーンに辿り着く構成から「物質を言語に還元するプロセス」を見いだした。星野と原島がともに注目した「抵抗」という概念は、当時リオタールが構想していた本展に後続する展覧会のタイトルでもある。「Les immatériaux」展で提示されたような、科学技術によって与えられた外部の非物質性に対するある種の「抵抗」を可能にするのが、リオタールの芸術論のなかで展開されていた第2の非物質性であるというのが星野の解釈。その反面、原島は展覧会のなかから非物質的物質、非物質化への「抵抗」としての非物質というキーワードを指摘し、そのポテンシャルを強調した。

二人の発表の軸となる「非物質性」と「抵抗」に関するコメンテーターの小林康夫の分析は会場を圧倒するものだった。小林は「メッセージ性」に注目する原島の観点に同意しつつ、人間の主体があってメッセージを出すのではなく、主体も自己も単なる無数の関係性、応答性のつなぎ目にすぎないとみることに新しい哲学的な転回があるという。リオタールが「différence」「déconstruction」の「de」に対して「im/in」のことを問い直しているとみた氏によると「immatériel」「inhuman」における「非」は「新しい」という意味でもある。そして「抵抗」とは情報を配信するつなぎ目としてしか存在しないほんの瞬間にしかありえず、われわれにはそれを振動する言語として励起させ、展開させる倫理的な義務があると、小林は力説した。フィリップ・パレノは、「Les immatériaux」展でいう「抵抗」とは、社会政治的な意味ではなく、電子回路のなかで熱を発する「抵抗」のことを意味していると指摘し、リオタールがこの言葉を通して、物理学などの純粋理論を現実世界に持ち込む時に起こる予想外の「難関」、ある種の「摩擦」について言及しようとしていたと述べた(PARRENO, Phillip, "In Conversation with Daniel Birnbaum//2007", in Exhibition, Lucy Steeds (ed.), Whitechapel Gallery and The MIT Press, 2014, p.57)が、これは小林のコメントと一脈通じるところがあるように思えた。

「Les immatériaux」展そのものからは一歩距離を置いて、その背後にある「科学の絶対性」に関する論争と、科学に対する社会一般認識の変化を目的にするサイエンス・コミュニケーションの歴史を踏まえ、現在でも進行中であるご自身の実践を紹介したのが、最後の奥本素子の発表である。奥本は、1960年代、原発の父と呼ばれた物理学者フランク・オッペンハイマーが設立したエクスプロラトリウムを紹介し、科学博物館における「科学を可視化するアート」「科学の転換点におけるアートの利用」について話した。二人と差別化できる新鮮な観点とユーモアに満ちた奥本の発表は聴衆を引き寄せる魅力的なものではあったが、ここで使われている「アート」という言葉に関してはやや「抵抗」を感じた人が、他にもいたのではないかと思う。肩書きが「アーティスト」である個人や集団が、科学博物館、デパート、博覧会場、イベント会場などで「展示」という形式で制作物を並べ、観客に体験と知識を提供するからといって、その全てを「アート」として受け止める必要はないのではないだろうか。ハンナ・アーレントの労働(labor)、仕事(work)、活動(action)概念に言及しなくても、生活者としてのアーティストによるそれぞれの活動の切り分け方には研究する側ももう少し意識的になる必要があると考えられる(これはいわゆる「メディアアート」のみならず、現代アートシーンで公論化されてきた問題でもある。誌面の関係上割愛するが、例として取り上げられた岩井俊雄とクワクボリョウタというアーティストを理解するために重要な点であるということは記しておく)。

科学を伝えるのではなく、科学者の視点を伝えるため、科学コミュニケーションにおける「アート」の活用を感性的側面から検討するというのが奥本の趣旨だったとすれば、代わりに「アートにおけるコミュニケーション手法」と言い換えることを提案したい。1960年代、コンピュータを用いた作曲や作画制作の背後にある情報美学の貢献のひとつは社会における芸術作品のあり方を情報コミュニケーションとして捉え直した点にある。さらに複数の作品を選んで並べることで成立する展覧会も、それ自体コミュニケーションであると、リオタールは強く意識して「Les immatériaux」展を企画したのでないだろうか。情報美学者マックス・ベンゼの「Look into computer!」というアドバイスに触発された歴史的な展覧会「サイバネティック・セレンディピティ(Cybernetic Serendipity: The Computer and the Arts, ICA, 1968)」(カタログと音源ダウンロード可)の2度目の巡回先が、エクスプロラトリウムの開館展であったという歴史的な事実は示唆に富む。当時からキュレーターのヤシャ・ライハートが強調したように、既存の芸術の範疇を超える新しい創造性の前では「これがアートなのか?」という質問が意味を持たなくなるのだ。

星野が、本展に触れた当時の日本語文献で確認できるのは『美術手帖』1985年8月号に掲載された山口勝弘の記事のみだと発言したが、確かに坂根厳夫が執筆と日本人の作家選定に関わった、パリ市立近代美術館の「Electra」展(1983)に比べると「Les immatériaux」展に関してはあまり国内の記録が残っていない。その理由として、山口が記事の中で繰り返し指摘しているように「Les immatériaux」展が美術展ではないということを取り上げることができるだろう。実際、リオタール自身も「manifestation」「non-exhibition」という言葉を使って本展の本質を説明していた。それにも関わらず、「Electra」展の「次」を意識的にリオタールがしたと考えていた山口は、その背後にフランスの文化政策のバランス・オブ・パワーが働いていると分析する。そして、哲学と美術を通して検証するフランスの状況とは対比的な様相を呈する日本の状況、すなわち軽薄短小というエレクトロニクス・テクノロジーの方向性に産業界を誘導するイデオロギーを、すぐファッションのように消費する状況を指摘した。山口が中心的な役割を果たした一連の「ハイテクノロジー・アート」展から名古屋国際ビエンナーレARTEC(1989-1997)への流れの背後に、このような状況に「抵抗」しようとする意識が働いていたのはないだろうか。

リオタールの哲学がどのように展覧会という形で実現できたのかという会場からの質問があったが、明確な答えは得られなかった。その意味では、少なくとももう3つの観点からの発表があれば、さらに有意義な議論が可能ではなかったかと考えられる。最初に、リオタールの概念と必ずしも一致するものではなかったとはいえ、イヴ・クライン、クリストから概念芸術に至るまで1960年代後半以降の美術のなかで行われた「非物質(dematerializationからの訳語と混用)」に関する様々な言説の検証。次に、明文化はしていないとはいえ「Les immatériaux」展との関係性から論じられる実験的な展覧会。国内から例を探すのであれば、ICC(NTT InterCommunication Center、1997年開館)のプレ活動「電話網のなかの見えないミュージアム」展(1991)と「脱着するリアリティ」展(1992)の再評価も興味深い発表になったのだろう。最後に、司会ではなくパネリストとしての門林岳史の観点が示されたら、議論の幅はなおさら広がったはずだ。

上記の実現されなかった「ポテンシャル」も含めて、パネル「今日のLes immatériaux」は、同時代の研究課題の提案に成功したと評価できるのではないだろうか。まず、新たな研究領域としてみることのできるのは、星野の引用したアントニー・ヒュデックらが関わっている近年の「展覧会史研究(exhibition histories)」という研究動向である。複合的な文化事象として展覧会を捉え直すこの試みは、エポック・メーキングな展覧会のみならず、当時は理解されなかった展覧会の現在的な意義を読み直す契機を提供している。冒頭で門林が羅列した「Les immatériaux」展と関連のある展覧会、例えば前述の「サイバネティック・セレンディピティ」展やユダヤ美術館の「ソフトウエア」(1970)展などは、今日「調整中アート」という皮肉を言われるような技術的なトラブルの連続のため非難を受けていた。技術的な限界寸前における実験であるという前提で許されることだともいえるが、その背後に美術館という制度と環境そのものの限界と制約があることも指摘しておく必要がある。そして、門林が冒頭で指摘したように「Les immatériaux」展がメディアアートの先駆的な展覧会として言及されることも多いという事実は、本展の再評価が、例えば、『OCTOBER』の批評家たちによって綴られた「20世紀の美術」という「主流」からはほぼ無視されてきたもう一つの美術史の記述へと発展する可能性を秘めているということだ。パネルが参照していた『30 Years after Les immatériaux: Art, Science and Theory』(meson press, 2015)は、とりわけメディアアートで知られるキュレーター、アーティスト、研究者の観点が色濃く反映されている書籍である。例えば、本書のなかで「Les immatériaux」展の出品者でもあるジャン=ルイ・ボワシエが、リオタールの影に隠されていたシャピューの貢献を強調する場面が、外縁のベクトルから美術の中心に向けて働きかけてきた表現の系譜への意識を象徴的に表していると読むこともできなくはない。

われわれの世界に対する理解を支える自然科学の発見とそれを再構成するテクノロジーの最先端で「科学の絶対性」が問われている現在、それに対して人類がどのように答えるべきかという問題は、まさに表象文化論学会が引き受けるべき課題であり、その意味でこのパネルから「希望」を見いだすことができたという小林康夫の言葉は、このパネルの意義をもっとも明確に示していた。

馬定延(東京藝術大学)

【パネル概要】

「Les immatériaux(非物質的なものたち)」とは、哲学者ジャン゠フランソワ・リオタールが共同企画し、1985年にポンピドゥー・センターで開催された展覧会のタイトルである。芸術作品が、さまざまな科学的イメージ、そして工業製品やポピュラー・カルチャーなどと無差別に並置され、定まった順路のない会場を鑑賞者は無線レシーバーを装着して歩きまわる、という構成のこの展覧会は、芸術と科学技術の関係を問う大規模な展覧会として大きな話題を呼び、現在ではメディア・アートの先駆的な展覧会として言及されることも多い。タイトルが示唆している通り、本展覧会は、後期資本主義社会における情報技術の浸透とともに、私たちの生活の大きな部分を占めるようになりつつある非物質的な次元を批判的に考察するものであり、この点において、今日ますます大きな意義を持つようになってきていると捉えることができるだろう。

本パネルでは、本展覧会を歴史的に回顧し、リオタールの哲学の文脈において再考するとともに(星野)、サイバネティクスや情報理論、ポストヒューマニズムの系譜のなかで批判的に読解し(原島)、さらに、芸術と科学の関係を問う今日的な試みへとどのように展開しうるかを検討したい(奥本)。そのことによって、本展覧会の再読を、開催から30年経過した現在の状況を問う生産的な議論へと結びつけていくことが本パネルの目的である。(パネル構成:門林岳史)

【発表概要】

誰が「非物質化」を恐れているのか──リオタールとLes immatériaux
星野太(東京大学)

本発表の目的は、1985年に開催されたLes immatériauxの意義および背景を、その前後に発表されたリオタールのテクストを手がかりにしつつ詳らかにすることである。20世紀後半の先端科学と情報技術の発展を重要なモティーフとする同展では、リオタールがその6年前に発表した『ポストモダンの条件』(1979)が明示的な参照項とされていた。だが、その展覧会のタイトルにも含まれている「(非)物質」という概念を理解する上では、むしろ1980年代に発表されたリオタールの芸術論にこそ照準が合わせられるべきだろう。後に『非人間的なもの』(1988)や『ポストモダンの寓話』(1993)などにまとめられるこの時期のリオタールのテクストには、「崇高」「インファンス」「非人間的なもの」などとともに、「物質(matière)」や「非物質的なもの(l’immatériel)」というキーワードが重要な局面においてたびたび登場する。本発表では、以上のような複数の著作から「(非)物質」をめぐる議論を抽出することで、Les immatériauxそのものにおいては前景化されていなかった同展の理論的基盤をリオタールの哲学に即して探り出すことにしたい。それによって本発表が示そうとするのは、リオタールが同時代文化における「非物質化」というプロセスに見ていた──肯定的および否定的な──二重の側面である。

非物質的物質──Les immatériauxと情報技術環境
原島大輔(東京大学)

本発表では、Les immatériaux展の意義をいまあらためて考察するにあたって、「非物質的なものたち」を、ポスト物質や脱物質として理解するよりは、物質的なるものの理解を問い直す創造的な行為=思考として意味をつくりだすことを提案したい。それは、実体や項およびそれらのあいだの関係を客観的に脱物体化したり数値化したり目的をもって効率的に制御することではなく、環境の拘束のなかで自律的に自己創造する活動としての身体の非物質的物質性である。こうした両義性がサイバネティクスや情報通信理論から抜け落ちていることは繰り返し指摘されてきたが、今日のグローバルな情報技術環境においても依然としてこれが見過ごされがちな状況は続いている。実際、「非物質的なものたち」は、その後30年間で地球規模のネットワークを形成するにいたったが、それは、非物質的物質としてではなく、表象的で指示的で計算的で論理実証主義的なデータやオブジェクトとしてだけではなかったか。Les immatériaux展は、この世界のその後30年間の展開の萌芽であったと言えるが、その進歩のなかに穏やかにおさまりながらも、しかし、いまなおいっそう批判的な問いを投げかけ続けている。本発表は、非物質的物質についての近年の思考のいくつかを補助線にしながら、現行の情報技術環境をとらえなおす問いかけとしてのLes immatériaux展の読解を試みる。

アートと科学コミュニケーション
奥本素子(京都大学)

科学技術の進歩により、自然科学はますます専門性を増し、その活動内容は難解になっていく。他方で、その活動の規模の巨大化により、国の援助なしには進行しないという状況に陥る。その結果、国民への科学活動への啓蒙が熱心に行なわれるようになり、それを科学コミュニケーションと言う。科学コミュニケーションとアートとの関係は1960年代まで遡る。原爆の父と呼ばれた物理学者オッペンハイマーが1969年にシカゴに建設した科学館、エクスプロラトリウムでは、アートを用いて科学を体験することを目指している。科学館側にとってアートはあくまでも啓蒙に用いるツールであり、アートの指摘するポストモダニズム的価値観が科学に反映されることはなかった。

しかし近年、自然科学の世界における文化的要素の影響が認識され始め、ようやく自然科学の世界にもポストモダニズム的発想が取り入れられるようになった。また、近年の科学に対する不信感を受け、科学への支持を得るためには啓蒙活動のみでは限界があるということも指摘されるようになる。そのようななか、アートが自然科学にどう向き合い、自然科学はアートの視点を自分たちの活動にどう反映していくのかを、自然科学の側も検討する時期を迎えている。本発表では、科学コミュニケーションにおけるアートの活用を感性的側面から検討した事例を紹介する。