研究ノート | 土山陽子 |
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The Family of Man 展再考
「The Family of Man in 21st Century」シンポジウム報告
土山陽子
2015年6月19日から20日にかけて行なわれたシンポジウム「The Family of Man in 21st Century: Reassessing an Epochal Exhibition」について、この場を借りてご報告させていただきたい。会場はルクセンブルク北部のクレルヴォー城内にあるThe Family of Man 美術館であった。この写真展は冷戦期の西側陣営の政策に結びついたプロパガンダ性において数々の批判がなされてきたが、筆者は初めて同展を訪れた際の鑑賞体験を通して、1950年代とは異なる現在の展示効果について考察するために研究を続けてきた。
よく知られていることではあるが、展覧会について簡単に説明しておく。当時、MoMAの写真部門のキュレーターであったエドワード・スタイケン(1879–1973年)によって企画された写真展The Family of Manは、1955年にMoMAで公開された。それはいくつかの複製によって、世界38ヵ国を巡回した。そのうちの1点がルクセンブルクを巡回した後、1966年にアメリカ合衆国からスタイケンの祖国であるルクセンブルク大公国へと寄贈された。その時、スタイケンはThe Family of Man展がクレルヴォー城内に常設展示されるよう希望していた。しかし、同展はしばらく忘れ去られた後、1974年以降、展覧会の一部が展示されてはいたが、それはMoMAで行なわれたようなスタイケンの展示方法に従うものではなかった。それゆえ、展覧会の構成や展示の仕方が考慮されて、巡回によって損傷していた写真パネルが適切な方法で修復された上でこの場所に復元されたのは、1994年になってからのことである。1994年に開館したこの美術館には同巡回展の写真パネルがすべて保存されているが、MoMAの展覧会に含まれていたような写真のうち、保存状態に問題のある一部を除いては、ほぼ同じ内容が展示されている。同展は2003年にユネスコの世界の記憶に登録された。
最初の展示は、古い建築物の中で2フロアーに分かれた会場設計が鑑賞の流れを中断してしまうことや、湿度などの環境から写真の保存状態に影響を与えてしまうなどの問題が生じていた。そのため、新たに展示方法や建築設計などが技術的に検討し直された上で、2013年7月にリニューアルオープンしたのが現在のThe Family of Man 美術館である。この新しい展示会場のデザインは建築家ポール・ルドルフによるMoMAの展覧会により近づけた形となっている。すなわち、MoMAの展示に備わっていたような平面的な幾何学性 ※1 を意識することで、展覧会を奥まで見通せるようなパネルの配置となっている。また、スタイケンの展示方法で問題とされてきたような個々の写真の作家性は排除されている点についても改善がなされている。当時とは異なり、写真の著作権問題が複雑になってきている今日では、同展に選ばれたそれぞれの写真についての基本的な情報(写真家、撮影年代、所蔵など)や専門的な解説は、iPadを使用したオーディオガイドによって必要な時には確認できるが、鑑賞者はキャプションによって遮られずに、展覧会を映画や音楽といった表現と比較されうるような連続性のあるものとして見ることができる。
この復元を契機に1994年の開館時に出版された論文集 ※2 では、過去の展覧会を回顧し、修復や巡回展に関わった人々の証言が集められている。1950年代から1960年代にかけての巡回展の意義については、Eric Sandeenの『Picturing an Exhibition. The Family of Man and 1950s America』(1995年)が、現在でも重要な先行研究である。そして、2004年に行なわれたシンポジウムでは、展覧会のもつ政治的な側面について中心的に論じられてきた ※3。しかし、2度目の修復を経た10年後の今回は、過去の展覧会について考察するというよりは、同展の現代的な意義について再考がなされた。すなわち、現在も体験できる写真展として、この展覧会をどのような視点から考えることができるかについて、発表者たちから提案がなされた。例えば、カタログとは異なる鑑賞体験によって、鑑賞者と立体的な写真展示との間で生じるコミュニケーションのあり方の違いや、鑑賞者がどの写真の人物に自己を投影するかによって見えてくるメッセージの違いなどが指摘された。また、鑑賞者の属性によっても、展覧会を見る視点が異なってくる。しかしながら、そのような展覧会の効果が鑑賞者に自由な読解を許すことによって、全体主義のプロパガンダとは異なる方法で、彼らに対して西側陣営の冷戦のイデオロギーを浸透させるのに役立っていたともいえる。
その他に、ポロックやウォーホルといったアメリカの美術との繋がりで同展を論じたり、新しい資料が紹介されたことで、これまでの研究に新たな観点が加えられた。例えば、1958年10月、フランクフルトで展覧会が開幕した際の演説のために書かれたマックス・ホルクハイマーのテキスト「Eröffnung der Photo Ausstellung, The Family of Man – Wir alle (Opening of the Exhibition of Photographs, The Family of Man – All of Us)」が見つかったことは、今回のシンポジウムにおいても主要な話題となっていた ※4。それまで同展の批評として重要視されてきたロラン・バルトの「La grande famille des hommes」(Mythologies、初版1957年)は、1956年冬のパリ巡回展(現在のパリ市立近代美術館で開催)の後に書かれたものである。バルトは、この展覧会に表わされている表面的な人間の同一性について批判し、写真からは歴史の重みが取り去られ、詩的な表現に偏っていることを指摘していた。ホルクハイマーのドイツ語のテキストは現在日本語には翻訳されておらず、英訳も未発表であるため、ここでは詳しく触れない。彼は同展について、例えば、生活の様々な事象を扱った写真がそれ固有の表現によって、哲学とは別の方法で、人間についての普遍的な理念を視覚的に伝えている点や、鑑賞を通して経験されうるイメージとの一体感などを評価している。しかしながら、バルトの批判がなおも重要であることには変わりがないとはいえ、そのことをよりよく理解できるという点において、このテキストの発見には意味があったといえるだろう。
このシンポジウムについては後に論文集が出版される予定であるが、ここで触れておきたいのは、同展が常に現代の展覧会として、時代とともに存在し続けているということである。時代の変遷とともに解釈が改められるばかりではなく、展示方法もそれに合わせて変化していることによって、鑑賞者はこの写真展を常に現代の視点で見ることができる。その点では、スタイケンが目指していた普遍性というものが時代を越えて受け継がれているといえるが、それと同時に展覧会が再び神話化されてしまうおそれもある。なぜならば、同展は文化遺産化されることによって、現在世界中の人々が訪れることができ、ひとつの場所で見ることができるとはいえ、先に述べたとおり、同じ背景をもった人々が同じ見方をするわけではない。それにもかかわらず、研究の場において未だ議論が広く開かれているわけではないのが現状である。研究する立ち場の人間も、それぞれのもつ視点や背景からは完全に自由ではないがゆえに、個々人の観点で同展について語るには、展覧会を一度自分の目を通して見ることが不可欠ではないだろうか。
土山陽子(EHESS)
※1 ここでいう平面的な幾何学性については、MoMAのカタログに掲載されているエズラ・ストーラーの会場写真でも確認ができる。
※2The Family of Man, témoignages et documents, Luxembourg, Ed. Artevents, 1994.
※3The Family of Man 1955−2001, Humanism and Postmodernism: A Reappraisal of the Photo Exhibition by Edward Steichen, Marburg, Jonas Verlag, 2004.
※4 同展は1955年9月にベルリンで開幕し、ミュンヘン、パリなどのヨーロッパの主要都市を巡回した後、フランクフルトで開催された。