新刊紹介 | 翻訳 | 『24/7 眠らない社会』 |
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岡田温司(監訳)、石谷治寛(訳)
ジョナサン・クレーリー(著)『24/7 眠らない社会』
NTT出版、2015年3月
24/7(トゥエンティー・フォ・セブン)とは年中無休を表す慣用句で、とりわけいつでもアクセスできるウェブサービスで目にするようになった呼び文句である。この社会では、不眠が顕著になり、休止のもつ意味が疎んじられるようになる。とりわけ北米では、睡眠や光のコントロールという技法が、軍事予算を増大させる科学技術やテクノロジーや拷問の技術と手を携えて発展していることが本書冒頭で警告される。本書はアカデミックな論考というよりはマニフェストを思わせる。
著者クレーリーが指摘するのは、テクノロジーの変化によって個人の睡眠時間が減ったことだけでない。現在、睡眠時間を6-8時間程度とることが、企業活動や仕事の生産性につながることが提唱されているが、そうした自己管理が推奨される背景には、1980年代以降、顕著になる自己責任論や自由競争の論理があるだろう。本書を敷衍すれば、たしかに現在、快眠枕やスマートフォンのアプリを使って、健康管理が行われ、ぐっすり眠るためのストレス・マネージメントの情報や講座が溢れかえりはじめている。また、人工照明を使ったグリーンハウスによって自然の制約や気候条件を乗り越えようとする(眠らない?)食物の栽培が行われている(クレーリーは現在の遺伝子組み換え産業をテーマにした画家アレクシス・ロックマンのカタログにも文章を寄せている)。しかし、それらもいっそう微細な管理がともなう消費と労働のサイクルのなかに取り込まれ、私たちの生が衰えさせられているだけではないだろうか(日本の労働者の睡眠時間が世界標準を下まわっていることは顕著な問題である)。
かわりに、寝たり休んだりできる権利を皆でもっと訴えよう、というのが著者の宣言であろう。そこには休日にメールのやりとりや買い物をしないでも済む生活サイクルの展望や、浪費を促す照明のない暗闇への想像力を育むことも含まれているかもしれない。そうした想像力は、眠らない状態に置かれている貧民や難民やスウェット産業の犠牲者らと、ともに眠ることのできる新たな社会をいかに構想できるか、という問いに開かれている。(石谷治寛)