新刊紹介 単著 『坂口安吾の未来 危機の時代と文学』

宮澤隆義(著)
『坂口安吾の未来 危機の時代と文学』
新曜社、2015年2月

本書は、1930年代から50年前後、すなわち戦中・戦後の激動の時代における坂口安吾の言説を、歴史的・社会的パースペクティヴから捉え、「主体化」という問題に焦点を当てて論じた研究書である。本書が試みるのは、エッセイ「FARCEに就いて」(1932)から探偵小説「不連続殺人事件」(1947-48)に至るまで、多岐にわたる安吾の作品を時代順に追いながら、当時の世界情勢に向けられた彼のまなざし、およびその思考の軌跡を浮かび上がらせることである。

彼自身の生に寄り添うようにその言説を丁寧に分析していくプロセスの中で明らかにされるのは、従来の「無頼派」のイメージとは異なる安吾の姿だ。著者は、安吾の洒脱な語り口の背後に、人間存在のあるべき姿についての真摯な問いが一貫して存在していたことを示す。安吾は、人間を規定する様々な「カラクリ」──たとえば政治・経済制度──を、そして永続的な「主体」が前提とする自己同一性を徹底的に懐疑しつつ、他なる個体との関係性の中で紡がれる不断の変容の中に身をおくところに、人間の「主体化」の契機を見出していた。本書を通して、不安定な社会状況に応答しつつ続けられた、終わりなき「主体化」の運動そのものとしての、安吾文学の新たな側面が見えてくる。

「坂口安吾とは、既存の体制が動揺・崩壊した時期に繰り返してよみがえり、読みなおされてきた存在なのだ」と、著者は語る(本書10頁)。執筆活動を通して常に「これから」を志向していた安吾の言葉は、現代を生きる我々に何を伝えるだろう。時を超えて「諸君」と呼びかけてくる安吾の声に、我々が今一度耳を傾けるきっかけを、本書は与えてくれるように思われる。(菊間晴子)

宮澤隆義(著)『坂口安吾の未来 危機の時代と文学』新曜社、2015年2月