新刊紹介 | 単著 | 『謎とき『失われた時を求めて』』 |
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芳川泰久
『謎とき『失われた時を求めて』』
新潮社、2015年5月
本書の発端となったのは、著者が角田光代氏と共訳した縮約版『失われた時を求めて 全一冊』(新潮モダン・クラシックス、新潮社、2015年)であるそうだ。主人公(語り手)の恋愛に焦点をあてることであの長大な物語を千枚にまとめ、親しみやすいものにした。編訳を通して作品中に見出された数々のからくり、その「謎」をといてゆくのが本書なのである。
第一章で取りあげられるのは、作品冒頭の一句だ。その一句がこれまで日本でどのように翻訳されてきたのかを振り返りながら、20世紀小説の草分けとなった『失われた時を求めて』の語りの特徴を明らかにする。このはじめの謎ときの方針、すなわち、細部を糸口としながら作品全体へ視線を投げかけ、現在までのさまざまな研究の積み重ねを土台に据えるスタイルは、ほぼ一貫している。それゆえ本書は、『失われた時を求めて』という作品だけでなく、国内外のプルースト研究へも読者を誘ってくれるのである。記憶のはたらきや窓枠という装置、隠喩と錯視の関係あるいは同義語の連繋、反知性主義、小説を書くということ、そして、石や「母」の果たす役割――これらの謎を見つけだし、その相互の連関を示しながら説き明かす著者の手つきは鮮やかで、われわれは安心して謎ときツアーを愉しむことができる。
謎ときも終盤、第十一章に差しかかったとき、みずからをテクスト論者と心得、その手法への禁欲的な姿勢を見せる著者の足取りは言わば乱れる。プルーストが眼にしたと考えられるあるモザイク画を求めて、ヴェネツィアへ旅立つのである。果たしてその旅がどのような結末を迎えることになるのかは、ぜひ本書を手に取っていただきたい。ひとつだけ付け加えておきたいのは、プルーストの感覚したものを追体験しようとする姿勢は、なにも第十一章のみに認められるものではないということだ。ある語とそれに隣接する語のネットワークや石というモチーフの質感にたいする鋭い感覚が、本書の議論を支えているように思われる。本書は、縮約版と対になる副読本あるいは解説批評本と位置づけられているが、実のところ、縮約版に劣らず作品の呼吸を感じさせるものに仕上がっているのではないだろうか。(井岡詩子)