新刊紹介 単著 『映画は絵画のように 静止・運動・時間』

岡田温司(著)
『映画は絵画のように 静止・運動・時間』
岩波書店、2015年6月

「美術史」の枠組みを超えた新しいイメージの学の可能性を鮮やかに提示してきた著者による初の映画論である。視覚芸術史の膨大な知見が縦横に活用されているのは言うまでもないが、かといって、「応用」の産物に留まるわけではいささかもない。アメリカとヨーロッパの、初期から現代映画にいたる、これもまた膨大な量の映画観賞経験をへて書かれたことは一目瞭然であり、筆者にとっては絵画と映画の間に乗り越えがたい垣根などはじめから存在しなかったことが理解される。

絵画と映画の比較考察を主題にした書物はこれまでけっして多く書かれてはこなかった。 しかし、著者がまさに本書で詳らかにしているとおり、偉大な映画作家のじつに多くが絵画芸術にふかい敬意を抱き、そこから無数の着想を汲んできた。理論と実践の間には深刻な不均衡が存在する。本書はこの不均衡を解消するための決定的な契機となるにちがいない。貴重な先駆的研究も網羅的に引用されており、ガイドブックとしても必携であろう。

本書は全7章で構成され、絵画論と映画論を比較する第Ⅰ章以下の各章において、それぞれ「影」、「鏡」、「肖像画」、「彫刻」、「活人画」、「抽象画」の主題のもとに各論が展開される。後半の三章では、ロッセリーニ、ゴダール、パゾリーニらの作品を議論の俎上にあげながら、本書の副題にもある「静止」と「運動」の緊張に充ちた関係が具体的に考究される。「肖像画」では、ヒッチコックの『めまい』についてこれまで映画専門家たちが指摘しえなかった鮮やかな論点が示された後で、映画において肖像画が果たしてきた様々な機能が分析される。最初の二章「影」と「鏡」は、映画作家たちが絵画におけるそれら題材をどのように継承しているかが示されるが、しかし、この二つは、芸術家たちが用いる単なる題材であるだけではない。先著『イメージの根源へ』で著者が述べるところによれば、「影」と「鏡」は、(「痕跡」とあわせて)絵画がそこから生起する「根源(アルケー)」であるのだから。つまり、本書で示されるのは、映画もまたそれと同じ「根源」から生起するという動かしがたい事実である。

「影」と「鏡」は、その神話においてなによりも「愛と死」と結びついていると著者は言う(「戦地に赴く恋人の影の輪郭をなぞったことから絵画が生まれたという神話」、ナルキッソスの神話)。「要するに、絵画の根源には人間の愛と死があって、これがなければ絵画など存在しないということだ」(『イメージの根源へ』、29頁)。究極の原点とも言えるこの認識から映画論を開始したのは、本書でも繰り返し引用される『映画とは何か』のアンドレ・バザンである。

こうして描き出される絵画から映画への継承関係は、表面的な引用の問題でもなければ教養主義の問題でも無論なく、「愛と死」をめぐる想像力のかたちが時間とメディウムを超えてなし遂げる転生こそを意味するだろう。(三浦哲哉)

岡田温司(著)『映画は絵画のように 静止・運動・時間』岩波書店、2015年6月