トピックス 4

特別展「ジョルジョ・ヴァザーリのウフィツィ:建築とその表現」

京都大学総合博物館
2011年12月07日〜2012年02月05日

ジョルジョ・ヴァザーリ(1511-1574年)は、トスカーナ一帯を支配していたメディチ家の宮廷に仕えた芸術家で、『画家・彫刻家・建築家列伝』(以下『芸術家列伝』;初版1550年、第二版1568年)の著者としても知られている。この『芸術家列伝』は、レオナルドやミケランジェロなどイタリア・ルネサンスを代表する巨匠たちの生涯を記したもので、数々の逸話を現代にまで伝えている。

ヴァザーリの生誕500周年にあたる2011年、イタリア各地、とりわけ生地であるアレッツォやメディチ家の宮廷があったフィレンツェでは、さまざまな展覧会や記念行事が開催された。日本でも『芸術家列伝』の抄訳や研究書などが相次いで刊行され、このメモリアル・イヤーに華を添えていた。同年9月からは特別展「ジョルジョ・ヴァザーリのウフィツィ:建築とその表現」が東京、横浜、京都、大阪の4都市で巡回開催されている。この展覧会は、これまで日本ではあまり注目されてこなかったヴァザーリの建築家・都市計画家としての側面を紹介している点で、たいへん意義深い。本稿では、2011年12月7日から2012年2月5日にかけて京都大学付属博物館で開催された京都展について報告したい。

展示は解説パネルを中心に構成され、ヴァザーリの生涯やフィレンツェでの建築作品が詳細に解説されていた。主にとりあげられているのは、ヴェッキオ宮殿、ウフィツィ、そして「ヴァザーリの回廊」として知られる空中回廊である。フィレンツェを訪れたものなら誰もが眼にするこれらの建築には、実はヴァザーリが関わっていたのである。

はじめに、ヴァザーリとフィレンツェ、特にメディチ家の関係について解説されていた。1554年のヴェッキオ宮殿の改装を手始めに、ヴァザーリはトスカーナ公コジモ一世の指揮の下、都市改造に関わっていった。かつては共和国の政治の場であったヴェッキオ宮殿を、コジモ一世はみずからを礼賛する装飾で埋め尽くすことで、内外にフィレンツェの君主であることを示したのである。 そして、そのすぐ隣に行政機関の総合庁舎として建てられたのが、今や世界有数のコレクション数を誇る美術館として有名なウフィツィである。ウフィツィはイタリア語で「オフィス」を意味し、市内に散らばっていた行政・司法機関や同業者組合を一カ所に集め、業務を効率化しつつ、都市の諸機構をメディチ家の統制下に組み込むことを目的としていた。ヴァザーリは完成をみる前に世を去り、全ての作業が終了したのは着工からおよそ20年後だった。
メディチ家の公邸であるヴェッキオ宮、ウフィツィという行政機関、そしてアルノ川の対岸にある私邸ピッティ宮を結んでいるのが、「ヴァザーリの回廊」である。この全長800メートルに及ぶ空中回廊は、コジモ一世が息子の婚礼を機にヴァザーリに注文したもので、着工から五ヵ月という短い間で建設された。回廊には、外国からの要人にフィレンツェの威信を見せるという象徴的な機能と、刺客や雨風におびやかされることなく公邸と私邸の往来を可能にするという実用的な機能があった。それまで市内に分散していた公邸と私邸、行政の場を一つの複合体へと統合することは、メディチ家による中央集権的な君主制への移行を象徴していたのだった。

パネルでは続いて、歴史的建造物の耐震リスクを査定する方法を確立するために、ウフィツィをサンプルとした解析結果が提示された。建築的な構造にも踏み込んだ一連のパネルは、資料不足のために明らかになっていないウフィツィの増改築の変遷について、仮説モデルを提示している点でも興味深いものである。

展示の最後には、現在のウフィツィにまつわるパネルが展示されていた。建築家の磯崎新氏によるウフィツィ美術館の新出入り口案がそれである。現在の入口は常に大勢の観光客で混雑しているため、フィレンツェ市は新たに美術館裏のゲート部分を増築する計画を立ち上げた。こうして1999年に行われた国際コンペティションで最優秀案として選ばれたのが、磯崎氏の計画だった。それは、出入り口を放射状に覆う高さ30メートルほどの開閉可能なガラスのひさしの下に、四体の彫像を配置するというものであった。その後、間もなく着工したものの、フィレンツェの歴史地区には奇抜なデザインだとする市民からの反発と、建設予定地に発見された遺跡の調査のために現在は中断されてしまっている。色濃く残る伝統を次世代へと継承していく意識が高いフィレンツェという都市が、磯崎氏の作品とどのように向き合って、折り合いをつけていくのかという問題は、私たちとも無縁ではないだろう。

会場では、ここで述べたヴァザーリの建築作品は、模型としても展示された。これは関東学院大学準教授である黒田泰介氏が中心となって実物の1/200のスケールで制作したもので、先の磯崎案も完成した姿として眼にすることができる。模型に加えて建築作品を紹介するスライドも上映されており、これらはコジモの政治的な理念を体現した都市計画を視覚的に分かりやすく提示していた。

京都展独自の企画としては、京都学派がどのようにイタリア・ルネサンスを捉えていたのかを説明するパネルが付け加えられたことがあげられる。また、12月10日には同博物館にて「ヴァザーリとイタリア・ルネサンスの芸術」と題されたシンポジウムも行われ、同大学大学院教授である岡田温司氏をはじめ、黒田准教授や大阪大学の桑木野幸司准教授、e-campus大学のオリンピア・ニリオ准教授が講演を行った。このシンポジウムでは、ヴァザーリにおいて絵画と彫刻、建築の諸分野がどのように関連しているのかについて、歴史家・批評家・芸術家としての側面から考察が加えられた。

こうした試みは、美術史の父と語られることの多いヴァザーリの新たな研究の地平を切り開く機会となったといえる。フィレンツェというイタリア・ルネサンスの中心都市で活躍し、現代にも残る作品を数多く制作したヴァザーリという人物の全体像を捉え直すために、今後も多角的なアプローチが行われていくことを期待したい。(河田淳)