小特集「メタモルフォーゼ」 | 1.対談 松尾恵×佐藤守弘 | 3 |
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郊外から世界へ
—— そうした「美術」から「アート」への変容と連動して、アーティストの顔というかパーソナリティが雑誌媒体でも前面に出てくるのだとすれば、85年以降の森村さんは、まさに自分の顔を作品にしていくわけですよね。さきほど、森村さんの微妙な位置という話がありましたが、遅れて来たアーティストのようなところがあったんでしょうか。
松尾:どうだったでしょうか。かつての印象はもう忘れちゃいましたけど、満を持して出てきたっていう感じは確かにありましたね。森村さんは作家として何かを持ってらして、それをかたちにするのにすごく時間をかけられたんだと思います。そして、出てきた瞬間がとってもタイムリーだった。さっき雑誌の話をしましたけど、それまで『美術手帖』って白黒だったでしょ。80年代初頭に初めてカラー化するんですよ。で、作品に色が着いてんのかと(笑)。それまでも巻頭カラーはあったんですけれど、もっとカラーページが増えていく。たぶん印刷のテクノロジーの進化もあっただろうし、バブリーだったというのもあると思う。それから、他の雑誌に追随するということもね。ファッション誌までがアートをカラーで載せていたので……。『美術手帖』がそうやって色味のある世界を作ってくれているっていうのも大きかったような気がします。それを読んでいるアーティストに何らかのかたちでフィードバックしていたのはまちがいないと思うんですよ。ただ、やっぱりそれで消えていったものもあるでしょ? その後、もっともっと顕著になっていくんですけど……。当時は新聞というのがまだ確固たる権威だったと思う。各新聞社に怖い美術記者っていたでしょ? いろんな画廊でお酒飲んだくれてる怖い人。京都新聞の記者の皆さんはそんな雰囲気じゃなかった。美術部があって、多いとき、三人記者がいらっしゃいました。京都新聞っていう旗か何かついた黒い自転車で順番に回ってきはるんですよ(笑)。でも、それが親しみ深かったですし……。それが80年代半ばまで。
佐藤:「芸術家」たちの時代ですよね。
松尾:美術って何百年単位で歴史を見ていかなあかんジャンルのはずやのに、けっこう世代ごとに切れてきたっていうのをこの30年間感じます。何かが終わると同時に何かが始まるっていう感じがすごくあって……。そのヴォリュームがすごかった。今みたいに五月雨式にいろんなものが出てくるんではなくて、ズバッ、ズバッって。
佐藤:「芸術家」の時代って確かにあって、そこから森村さん以降ガラっと変わる印象があります。
松尾:篠原さんが関西ニューウェーブの後押しをしただけでなくて、兵庫県立美術館が「アート・ナウ」っていうのをやってましたよね。ああいうところをベースに皆さん大きくなっていくんだけど、森村さんは最年長でそのなかにいらっしゃった感じですよ。
—— 自転車と言えば『美術手帖』(1997年7月号)に「京都チャリンコ・ネットワークの底力」っていう短い記事を松尾さんが書いていらっしゃるんですけど、実際のところ自転車で通える京都圏内の交流のなかでの森村さんっていうのが、後になってみるとあんまり見えてこない。
松尾:森村さんは大阪なんですよ。京都には住んでらっしゃらなかった。
佐藤:すごく大阪に愛着があって、いまでも変わらず生家の葉茶屋さんに住んでいらっしゃる。石原さんにしても、松井智恵さんにしてももそうですね。
松尾:ダムタイプが84年にできるんですけど、85年くらいに京都のちっちゃい変な場所で、インスタレーションを何回か繰り返すんです。ダムタイプっていうすごい子らが出てきた、って噂になるんだけど、それは石原さんや松井智恵さん、松井紫朗さんや中原浩大さんよりもちょっと後発なんですね。後々考えるんですけど、古橋さんは最初から海外を向いていたというのが他の人たちとは徹底的にちがった。一概には言えないけれども、彼がアートをやっていくなかで知りあうキーパーソンたちにはゲイの人も多かったと思うんです。世界レベルのゲイ・ネットワークのなかにすでにいた。第一期ニューウェーブの人たちは、海外へ出ることについて、待っていた感が強いんですよ。たぶん古橋さんは最初から虎視眈々と狙っていて、海外に出ていくことを前提でダムタイプを作っていた。彼の予言者的な部分だと思うんですけど、そういう人材を集めたんだと思うんです。
佐藤:「美術」が終わって「アート」が始まったっていうとき、今度はそれがまたひとつの塊に見えてきます。関西ニューウェーブ第一期っていうのは、自転車で記者さんが回ってくる世界の延長線上ですよね。
松尾:関西ニューウェーブたちは、以前の今熊野の校舎をちょっと経験されているんですよ。あれを出発点とするのとしないとでは相当ちがうと思う(笑)。私はそこしか知らないし、そこから抜けきらないままでアートを見ているところがある。