小特集「メタモルフォーゼ」 2.『fashionista』創刊記念インタビュー 1

『fashionista』創刊記念インタビュー
蘆田裕史・水野大二郎

聞き手・構成=小澤京子

Q4:『fashionista』でも、ヴァレリー・スティールへのインタヴューや海外の展覧会・書籍・研究機関紹介など、日本国外の事例を積極的にご紹介されています。
この雑誌を創刊するにあたって、お手本もしくは目標とした先行事例はあるのでしょうか?

蘆田:ヴァレリー・スティールが編集長を務めている『Fashion Theory』です。ただ、この雑誌はアカデミックな要素が強いので、たとえば『ユリイカ』のように、一般書として気軽に手に取れるような雑誌を目指そうと思いました。

水野:同じく『Fashion Theory』でしょうか。展覧会や書籍のレビューを通して今何が起きているのかを共有することには共感がもてます。
ところで、OMA(AMO)のような設計事務所に顕著なように、建築では様々なスタディ――政治的、社会的、構造力学的、歴史的なもの――を経て重層的に作品のプロセスを共有することが当然となっています。設計された建築は「ディテール集」という名称の元に発表され、その細部までもが開示され批評/研究/学習の対象となっています。ファッションデザインが模倣や引用、参照によって成立しているとするならばなおのことですが、願わくばファッションデザインの制作における様々な情報を共有する場が増えて欲しいです。この意味において、展覧会や書籍の紹介は、デザインの実践における思考を紐解き、新たな知見を生み出すという見地から建築における理論と実践をひとつのモデルとすることもできるかなと思っています。

Q5:昨年夏には「現代日本のファッション批評」を標榜する『ファッションは語りはじめた』(西谷真理子編、フィルムアート社、2011年8月)が刊行されました。現在、神戸ファッション美術館では「感じる服 考える服」展が開催されていますし(東京オペラシティアートギャラリー会場:2011年10月18日~12月25日)、次回の記号学会(2012年5月)の大会テーマは「着る、纏う、装う/脱ぐ」です。お二人も積極的に参画されている活動に、「ドリフのファッション研究室」(2010年2月、NPO法人ドリフターズインターナショナルによる立ち上げ)もあります。つまり、最近の日本で急速に「ファッションを知的に語る」ムーヴメントが到来しているように感じます。
そこで「なぜ今ファッション論なのか」と問うたとき、二つの動因があるのではないか、と思ったのです。
一つは世代的なものです。上記のムーヴメントを担っているのは、蘆田さん・水野さんがまさにそうですが、デザイナーにしても批評家・研究者にしても、1970年代半ばから1980年頃に生まれた方が多いですよね。
(カルチャー的な意味で)物心つく頃にコム・デ・ギャルソンなどに衝撃を受け、ファッションへの熱中と自己形成が重なる時期(つまり90年代後半から2000年代初頭)には、国内外でコンセプチュアルで前衛的なデザイナーたちが脚光を浴びていた。アントワープ6やセントマーチン3人衆が出てきて、日本でもシンイチロウ・アラカワとか20471120、Beauty:Beastのような前衛的なデザイナーが登場し、UNDERCOVERやA BATHING APEに代表される「裏原系」が人気を博す、そんな時代に思春期から青春期を過ごした世代だと思います。大学進学前後の時期に、鷲田氏らの「ファッション論」を享受した世代でもあります。
その世代が、自分の個人の名で発信できる立場を獲得し、あるいは先行世代を巻き込んで動かすだけのパワーを持ちつつある、そういう背景があるのではないかと。
この「世代的な機運」という側面について、お二人はどのように受け止めていらっしゃいますか? あるいは、「それは関係ない」という立場を採られているのでしょうか? お二人がファッションのみならず、それを「知的に語る」「言語を与える」試みにご興味を持ち、コミットされるようになったきっかけや動機も含めて、教えてください。

蘆田:「世代的な機運」はやはり否定できないと思います。私はまさに小澤さんの仰るような背景にあり、今名前の挙がったブランドがなくなっていく、あるいは小さくなっていくのを目の当たりにしました。ビジネスだけを考えるのであれば、名の消えたブランドには何の価値もありません。ですが、ファッションを文化として見るのであれば、そこには様々な価値が見出せますし、それを言語化して後世に残していくことは誰かがしないといけない。鷲田さん以降、ファッション研究を志す人は増えたはずなのですが、そこに取り組む人がなかなか出てこなかった。なので、自分たちでやってしまおうと思うに至りました。

水野:僕は1997年から2008年までイギリスにある大学・大学院に在籍していたので、小澤さんが考える文脈とは異なる位相にいる気が個人的にします。もちろん裏原系のSILASなどのイギリス発のブランドもロンドンで売られていたのですが、インターネットが普及する2000年くらいまでは、日本からの情報の速度は遅かったように感じています。実際、『relax』『STUDIO VOICE』『FRUiTS』などの雑誌が当時のロンドンでは重宝されていました。
「Addressing The Century」展、「Sensation」展に代表されるYoung British Artistsの台頭、もっといえば「Cool Britannica」が一つの重要な契機ではなかったか、と僕は考えています。クリエイティブ産業に舵をとった97年以降のブレア政権下のイギリス・ロンドンにおいては、景気の良さもあって様々な人種のデザイナー、建築家、アーティストがいました。創造性を寛容的に認めるインフラのもとに花開いた文化があり、イギリスのファッションデザイナーの多くがそのような状況下、「コンセプチュアルな」活動をしていたことが思い出されます。
それから、イギリスにはキャロライン・エヴァンスやアンジェラ・マクロビー、エリザベス・ウィルソン、クリストファー・ブユワードらファッション研究者がすでにいて、大学の授業では当然のように紹介されていました。僕がファッションを考えることに興味をもったのは、彼らのような研究者が先にいたためです。そこから僕は鷲田清一さんの著作を知ることになります。
いずれにしても、セントラル・セント・マーティンズ美術大学出身のデザイナーらも含め、今日の日本のファッションデザインの業界においては一定の同時代性を共有した人たちが台頭しつつあるのは間違いないな、と感じています。ただし、その出所は若干異なるものであることは明らかにすべきでしょう。

Q6:近年「ファッション論」が盛り上がりを見せているもう一つの要因としては、「危機」への自覚的な意識があるのではないかと感じています。特定の文化的ジャンルが批評の対象となるための、条件としての危機感です。
2000年代に現れたファッションにまつわる現象として見過ごせないのが、ファストファッションの登場と「グローバル」な規模での席巻です。お二人も、『fashionista』巻頭に収められたデザイナーへのインタヴューで、ファストファッションをどう考えるかを尋ねられていますね。
ファストファッションの商品と、『fashionista』などがもっぱら「批評」の対象とする「デザイナーズ物」を比較対照したとき、最大の違いはデザイン性やクオリティではなくて、むしろ前者(ファストファッション)が「服でしかない」ということ、その周辺に付随するもの(コンセプト、メタ・メッセージ、物語性……)が一切ない「ゼロ記号」であるところに存在するのではないかと思うのです。
その急速に失われつつあるものへの危機感・焦燥感も、ファッションを批評的・思索的に捉え、言語化しようという企図の原動力になっているのではないかと思いました。 この点について、お二人それぞれのご意見や立場をお聞かせ頂ければと思います。

水野:「危機」という意識は確かにもっています。ですが、利用者からすればその方が実用性も高く、廉価で、サイズも豊富にあり……とメリットは大変大きいと感じてもいます。とはいいながらも、ゼロの記号性と仰る、デザイナーの創造性がどのように表象されているかという面に関しては、文化としてのファッションを認めるという意味では大切だろうと思ってもいます。ですが「デザイナーズ物」と称されている服には、毛皮の利用であったりと特有の倫理的課題も多く残されているわけです……。
僕が面白いと感じるのは、服をとりまく現代の環境を包括的に捉えたときに立ち現れる多様な課題に対してデザイナーは何ができるかという点です。作品の美的創造性を批評対象と設定するだけでは、ファッションという媒体が持つ面白さを十全に伝えきれないのではないでしょうか。
多くのデザイナーが生産ラインや販売流通の仕組みなどを見直しているのも、このような視点を感じ取っているためではないかと思っています。

蘆田:危機感はかなり感じています。
絵画や映画などと比べると、一枚の服の持つ情報量は圧倒的に少ないです。それゆえ、小澤さんが仰る「ゼロ記号」になりやすいモノだと言えます。ですがそこには、機能性や実用性を考えるデザイナーの意図だけでなく、生地や縫製に携わる人の労働環境など様々な背景があります。そうした服の背後にあるものを言語化し、価値を与えていかなければ、「安い」という価値だけが強くなってしまいます。そこに抵抗したいという気持ちがひとつのモティヴェーションとしてあるのは間違いありません。

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