新刊紹介 単著 『アガンベン読解』

岡田温司
『アガンベン読解』
平凡社、2011年12月

一つの思想に接近するために一つの道しかない訳ではない。ましてや、一つの思想と見えたものが実は既に複数であったとしたら――。

生政治や剥き出しの生といった概念を操る「イタリア現代思想の旗手」、といった紹介用の謳い文句ももはや不要となった感のある思想家ジョルジョ・アガンベンではあるが、しかし間断なく世に問われる一群の著書を前にして、その全貌をいかに捉えたらよいのか。そのための手引きの一つとして、いわば彼の思想を貫く屋台骨である「ホモ・サケル・プロジェクト」の精髄を簡略な見取り図へと再構成してみせることが考えられよう。この道を採ったのが、先に日本語訳が上梓されたエファ・ゴイレンによる『アガンベン入門』である。そこではアガンベンの方法論および初期論考の分析を経て、「ホモ・サケル」をめぐる議論の概念整理と文脈化が順を追って論じられ、「政治哲学者」アガンベンの横顔が鮮明に描き出されていた。

これに対して本書『アガンベン読解』は、時に詩や文学を論じながらも、いつの間にか政治を論じているというように、二つ(ないしは複数)の領域の「閾」に身を置くアガンベン、いわば「二人のアガンベン」の相貌を、「潜勢力」や「瀆聖」等その思想に特徴的な九つの視点から浮かび上がらせようとしている。古代から現代に至る多様なテクスト群に注釈を施しながら時に読者を幻惑するアガンベンの身振りに寄り添うかのごとき本書の筆致は、「重厚かつ荘重」なアガンベンよりはむしろ「軽妙かつ流麗」なアガンベンの魅力を伝えるものとなっている。

扱う題材がいかに多岐に渡ろうとも、アガンベンの論じる対象そのものが同時にアガンベンの身振りでもあることは本書の各章で明らかにされていくが、中でも挑発的なのはおそらく「メシア」の章であろう。『残りの時』等で見出されていく黙示録の枠組みにも終末論のそれにも収まらぬ「残余」であるメシアの姿に、まさしくアガンベンという「思考のメシア」の形象を見出していく読解は、この思想家の「これまで」のみならず、目的論無き「これから」に読者を誘ってやまない。(柿並良佑)