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距離のパトス
表象文化論学会会長 松浦 寿輝
「いかにしてともに生きるか」を模索する思考の途上で、ロラン・バルトが繰り返し立ち戻ったニーチェの言葉がある──「人と人、階級と階級を隔てる深淵、種々のタイプの多様性、自分自身でありたい、卓越したものでありたいという意志、わたしが〈距離のパトス〉と呼ぶものは、あらゆる「強い」時代の特徴である」(『偶像の黄昏』)。
「新格差社会」などと呼ばれるものの、今日の日本は、その本質においては相も変わらず〈距離のパトス〉が衰弱した社会でありつづけていると思う。わたしたちは「弱い」時代を生きているのだ。
距離が消えて同質性の内部に眠りこむとき、「知」は自壊へと導かれるほかない。またたとえ距離を肯定するにしても、境界の冷たい確認が排除や自閉しか産み出さないとき、「知」はやはり自壊の途を辿るだろう。距離をパトスとして体験しなければならない。自分自身でありたい、卓越したものでありたいという欲望は、距離にいかなるパトスの強度を充電しうるかという問いをくぐり抜けることで初めて、現実化の緒につくはずだ。
「弱い」時代には「弱い」時代なりの戦略が必要なのだと思う。表象文化論学会というこの誕生したばかりの空間で、今わたしたちもまた、「いかにしてともに生きるか」を模索し、実験しつつある。同質性の狎れ合いを断ち、また単なる差異の確認に自足することも潔しとせず、〈距離のパトス〉を知的に、身体的に、また倫理的に生きること。それによってのみわたしたちは自分自身となり、また自分自身を際立たせることができるだろう。
2007年1月
松浦 寿輝
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