新刊紹介

マット・マドン
『コミック 文体練習』
大久保譲訳、国書刊行会、2006年09月

日常生活の中の、物語ともいえないような一情景を取り上げ、多彩な文体で変奏したのがレーモン・クノーの『文体練習』。これを愛読するアメリカのコミック作家マット・マドンが、漫画によって同じことを試みたのが本書だ。原題は99 Ways to Tell a Story: Exercises in Style。原典と同様に、出発点となるストーリーはごく単純なものである。机に向かっていたコミック作家(作者自身を思わせる)が、仕事を中断して冷蔵庫に何かを取りに行く途中、妻に時間を訊かれたために目的を忘れてしまう――というだけの8コマの漫画だ。この「ひな型」を、作者はさまざまな手法で描いていく。視点を変え(妻の、あるいは冷蔵庫の視点!)、叙述形式を変え(回想、枠構造、一コマ漫画)、ジャンルを変え(有名コミックのパロディ、西部劇、SF)、果ては地図やグラフまで動員して、99通りに語り直してみせる。方法論にも自覚的な作者は、序文の中で本書の目的を明示している。すなわち、物語における「内容」と「形式」の関係を再考すること。問題設定自体は目新しいものではないし、形式上の実験なら日本の漫画にいくつも先例を見出せる。『コミック 文体練習』の独特の魅力は、ウリポの精神にならい、ゲームの規則を厳密に守っていく不自由さを引き受けている点だ。実験的な漫画が、往々にして「自由な創造」のイメージに依拠している(つまりはロマン主義的な芸術家像を脱していない)のに対して、マドンは制約こそが創造の可能性なのだと慎ましく主張している。(大久保 譲)