第4回大会報告 | 研究発表パネル |
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7月5日(日)京都造形芸術大学 瓜生山キャンパス 人間館4階NA403教室
研究発表6:Moving Picture——イメージのなかの身体
写真/彫刻的身体——19世紀末の身体表象に関する一考察
増田展大(神戸大学)
硬直する身体、揺れる映画——19世紀末〜20世紀初頭における映画と医学の関係性について一考察
松谷容作(神戸大学)
Archiving Football Images——ハルン・ファロッキの『Deep Play』(2007)について
鈴木恒平(神戸大学)
【司会・コメンテイター】佐藤守弘(京都精華大学)
冒頭に司会兼コメンテーター佐藤による発表者3名の紹介。全員が芸術学を専攻する大学院のバックグラウンドを持ち、増田は雑誌メディア、映画メディア・ジムナスト、松谷は初期映画。鈴木はドイツの現代写真が専門ながら、今日はテレビ、メディアアートに触れるとの説明があった。写真が専門であるとの、佐藤の自己紹介に続いて発表開始。
増田による発表は『写真/彫刻的身体 19世紀末の身体表象に関する一考察』。19世紀松から20世紀初頭に流行した<ジムナスト>らの「身体鍛錬」を写真メディアと関連づけたフランス人、ジョルジュ・デボネ博士の実践=デボネ式身体鍛錬を分析していく。さらにその雑誌「身体鍛錬」に投稿された、白塗りの裸体で既知の古典彫刻を模倣したポーズをとる写真を、彫刻写真=彫刻を撮影していくカタログ化の作業と対比し、さらにはポール・リシェが指揮し、アルベール・ロンドによる連続写真の技術による、理想的身体、彫刻的身体イメージの考察へと続く。
松谷は同時期の「映画と医学との関連性」についての考察を、振動と刺激というキータームを軸に行なう。当初ヴァイブレータを用いて行なわれた、「刺激によってオルガズムに至らせる女性のヒステリー治療」と前出シャルコーの貢献が、レニャール『サルペトリエール図像集』における連続写真=ヒステリー症身体のスペクタクルともいえるものに発展し、それが催眠療法による治療の公開という「原・映画的なもの」、さらにはヒステリー症状そのものを撮影し、それを見せて認識、反省するという、映画そのものの治療装置への発展を提示する。
鈴木の発表は、ジネディーヌ・ジダンのいわゆる『頭突き事件』が起きた2006年サッカーワールドカップ決勝戦(フランス×イタリア)と、その試合時間に同期させたマルチ映像による作品である、ハルン・ファロッキのインスタレーション『Deep Play』を意欲的に解題する試みであった。
増田 展大
松谷 容作
鈴木 恒平
佐藤 守弘
並木浩一(京都造形芸術大学博士課程)
発表概要
写真/彫刻的身体——19世紀末の身体表象に関する一考察
増田展大
19世紀から20世紀の初頭にかけて、ブルジョワ的な身体観の見直しが要請されたフランスでは、教育・軍事・スポーツなどの諸領域を横断するかたちで、ジムナスティークと呼ばれる「身体鍛錬」が流行していた。優生学や軍事教練を背景に、旧来の身体との決別を図るジムナストたちは、あるときは「正常な」身体として、あるときは「見世物的な」身体として、自らの身体をカメラの前に曝け出している。
そもそもこの時期は、露光時間の短縮により人々がカメラの前で自由にポーズをとるようになる、言わば、写真の技術史的な転換点とも符合している。さらに、サルペトリエール病院やパリ人類学協会において活躍した写真家のアルベール・ロンドは、マグネシウムによる人工照明の実験に取り組んでもいた。これら運動と静止、光と影の二項対立においてクロースアップされたのが、ジムナストたちの身体であったと考えることもできる。というのも彼らの身体は、巧みな演出によって二次元的な写真平面から立体的な彫刻像へと自らを変容させ、現実には存在しない「理想的な」身体をイメージ上に実体化しようとしていたからである。本発表では、この時期の身体表象の実践を軸として、19世紀以来の身体、写真、彫刻の関係について考察する。
硬直する身体、揺れる映画——19世紀末〜20世紀初頭における映画と医学の関係性について一考察
松谷容作
19世紀末における電力供給の開始以降、人びとの生活は電気を用いた様式にシフトチェンジした。だが、人びとは能動的に電気を使用するばかりではない。治療器具としての電動ヴァイブレーター――1880年代終わりにイギリスで発明された――によるヒステリー患者にたいする手技は、電気と人間との別の関係を明らかにする。患者たちは、微細に振動するこの器具を体内に取り込み、その振動に身体を委ねることで自らの疾患を緩和させた。つまり、患者たちは電気に飲み込まれ、その部分となるよう自らを変容したのである。興味深いことに、そのとき、身体はヒステリー発作を起こした患者のように硬直し、痙攣し、ぎこちなく断続的運動を繰り返す。
ところで、電動ヴァイブレーターの発案、一般化と時期を同じくして、シネマトグラフは大衆に発表された。ジョルジュ・アガンベンが指摘するように、黎明期の映画のなかで私たちは、ヒステリー症的な硬直し、痙攣し、ぎこちない身体に遭遇する。当時の最新のエンターテイメントとしての映画に写しだされたこうしたフィギュールは、従来、観客たちにショックや驚きを与えるものとして理解されてきた。しかしながら、それは同時に、医学と映画との偶然的、必然的重なり合いを例証する。
したがって、本発表は、19世紀末から20世紀初頭の医学と映画との関係性に注目し、黎明期の映画にかんする従来の見解とは異なる側面を明らかにすることを試みる。
Archiving Football Images——ハルン・ファロッキの『Deep Play』(2007)について
鈴木恒平
国際サッカー連盟が4年に一度開催するFIFAワールドカップは、そのテレビ中継の視聴者総数が300億人を越える、いわば世界最大のメディア・イヴェントである。ワールドカップのテレビ中継に限らず、サッカーは、新聞、雑誌、ラジオ、写真、映画、携帯電話、ヴィデオ、CD、DVD、広告、街頭スクリーン、そしてインターネットといった、今日のあらゆるメディアによって媒介され、世界中の人々に見られ、読まれ、聞かれるスポーツである。サッカーを記録し、転送し、加工し、再生=複製するメディアは、世界の至る所に遍在し、全体を見通すことのできない巨大な人類の記憶=アーカイヴの一部を形作っている。また、メディアの定義を拡大するならば、サッカーそれ自体を―極端な場合には死をも含む、様々な身体的・精神的な反応を喚起する―ひとつのメディアとして考えることもできるだろう。本発表では、こうした「サッカー」を巡るひとつの具体的な実践として、チェコ出身の映像作家ハルン・ファロッキ(1944-)の映像インスタレーション作品『Deep Play』(2007)を取り上げ、メディア・テクノロジーとイメージ・アーカイヴィングという問題について考察したいと思う。