第3回研究発表集会報告 | 研究発表 |
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11月15日(土) 10:10-12:30 18号館4階コラボレーションルーム1
研究発表1:イメージの皮膜
半透明なるもの
岡田温司(京都大学)
分身からイメージへ——古典期ギリシアにおける「類似性」と力
佐藤真理恵(京都大学)
アール・ヌーヴォー「様式」の形成と自律芸術史観——装飾からデザインへ
米田尚輝(東京大学)
【司会】田中純(東京大学)
研究発表集会二日目パネル1「イメージの皮膜」には、午前10:00という時間帯にも拘わらず、大勢の聴衆が集まった。物体の表皮にぴたりと張り付き、それを包み込み、その物を観るものになにやらもやもやとした曖昧な感情や欲望を喚起する何ものか。時としてリアルな体温や肌理を持つがゆえに、単なる媒介や媒質という抽象的な呼び名を凌駕してしまうこのイメージの条件を巡って、三つの探究が報告された。
最初の発表者、岡田温司氏は、半透明ゴミ袋やMRIなどわれわれに身近な「(半)透明なるもの」に注意を喚起することから始めた。この(半)透明という概念は、言うまでもなく透明でもなく不透明でもなく、両者の中間状態を意味する。岡田氏によれば伝統的な表象理解は、基本的にシニフィアンとシニフィエの一致という伝統的な表象理解を前提としており、前者に透明性、後者に充満する不透明性を当てはめたルネサンスの美学や、これを逆転させているモダニズムの美学はその典型である。(半)透明は、このような単純な二項対立に尽きない、両者を媒介し、イメージを成立せしめる重要な審級であり、その思想史的起源は古くはアリストテレスのdiaphanesにまで遡る。アリストテレスにおいて、diaphanesは色にも光にも働きかける純然たる可能態・潜勢力dynamisであった。発表では、この(半)透明性diaphanes・媒体性の思想的系譜が、旧約聖書、アヴェロエスのアリストテレス注解、アルベルトゥス・マグヌスからダンテに至るまでダイナミックに辿られ、具体的なテキストを通じて新たなイメージ理解の可能性が提起された。発表の最後では、17・18世紀にカメラ・オブスクラモデルが登場した後、diaphanes概念が後退していった歴史的経緯が強調されていた。この点と関連し、質疑応答でも科学史との関連について質問が寄せられていたが、この概念が現在の経験科学に立脚する表象理解に対して、どのような破壊的批判性を持ち得るのか、今後明らかになることが大いに期待される。
続く佐藤真理恵氏の「分身からイメージへ:古典期ギリシアにおける「類似性」と力」では、エイドーロンeidolonという概念を中心に、古代ギリシアにおけるイメージにまつわる諸概念がホメロス、ルクレティウス、エウリピデスらの豊富なテキストによって示された。そこで明らかにされたのは、単なる夢・幻から、欲望が投影される肉体および魂の分身へ、さらには再生可能な幻影へと時代が下るにつれ一層実在性・触知可能な物質性を増すeidolonの変容である。こうしたeidolonが実在性を増すプロセスが、フリーズから彫像へと至る美術史の展開にも連動しているという指摘は興味深い。さらに、このeidolonの概念史には他の概念の変容もまた連動しているという。プロソーポンprosoponは、観察者の眼差しに曝される「表層」から徐々に真の顔とは区別される皮膜、「仮面」という位相へと化す過程でeidolonと意味的に重複すると言われる。これに対して、かつては影や面影を意味しeidolonと重なり合っていたpsycheは、時代が下るにつれ魂という身体とは明確に異なる原理へと展開していく。これらの概念は全て、実在する対象の周囲にまとわりつく夢・幻の位相と実在の位相を往還しながら、今日のわれわれがイメージと呼称する審級へと関わり続けていると言えるだろう。「不在と虚構を撹乱する」eidolon・prosoponの位相は、不在のものへの哀惜・欲望pothosのみを喚起するものであり、それゆえに死者の表象との関わりも深いと言う。しばしば乱暴に視覚優位の文化として整理されてしまうギリシア古典文化であるが、本発表は、当該文化のイメージ理解においては、むしろその艶めかしい触覚性こそが重要であることを教えてくれたように思う。
最後の米田尚輝氏の発表では、前半に19・20世紀の装飾芸術論における自然と機能の問題がアール・ヌーヴォー様式を中心に整理され、後半はル・コルビュジェの絵画作品に見出される文様的造形について検討がなされた。19世紀から20世紀初頭のアール・ヌーヴォーに至るまで、装飾への志向は、基本的に自然の根底にある秩序と幾何学的秩序との一致という理念に支えられていた。この時期に新たに問題となったのは機能主義であり、19世紀においては装飾と対置されていたこの機能主義をアール・ヌーヴォーは積極的に取り込み、いわば装飾の機能化を目指したと言われる。20世紀初頭に活動を始めたル・コルビュジェもまた、このような装飾的思考と無縁ではなかった。彼は、地元の装飾学校に学び、故郷スイスの自然観察に立脚した文様デザインからそのキャリアをスタートさせたことで知られる。『今日の装飾芸術』に掲載されたイラストでは万物の根底にある形式的ユニットが追及されており、そこには無限の拡張性を持つユニットにこそ万物が表現されるという、モリスやラスキンらによる19世紀の文様(オーナメント)理論の影響が見出されると言う。この反復可能なオーナメントには、機械的な再生産可能性も同時に見出され、その意味でコルビュジェの文様においては自然と機械、あるいは自然と機能の論理的融合が実現している。このような態度が、「純粋芸術」の時代にいかに革新的であったかに米田氏は注意を促す。発表では最後にピュリスム時代のコルビュジェのタブロー作品を分析することにより、その「フェノメナルな透明性」・正面性を保証する平面的な概念空間が示された。そして、経験として一般化不可能なこれらの自律的な余白は、おそらくはかつてコルビュジェが文様パターンを追及するなかで獲得した媒質的空間なのではないかという極めて興味深い指摘によって発表は締め括られた。
岡田 温司
佐藤 真理恵
米田 尚輝
田中 純
REPRE編集部
発表概要
半透明なるもの
岡田温司
「半透明」がもてはやされている。ゴミ袋から日常的なアイテム、そしてCG、さらにはライフスタイルに至るまで。透明とも不透明とも異なるファジーな領域。そこにポストモダンのひとつの徴候を読み取ることは可能だろう。これを表象の問題に置き換えるなら、たしかにそれは、アルベルティ的な「開かれた窓」の透明性にも、グリンバーグ的なマティエールの物質性(不透明性)にも還元しえないものである。だが、そもそも「半透明」とは何か。
この問いに答えるには、アリストテレスが『デ・アニマ』で提示する「ディアファネース」という概念にまでさかのぼる必要がある。この語は通常、「透明な(もの)」と訳されているが、むしろ「半透明」と訳すのが実体に即していると思われる。というのも、「媒体」ないし「中間に介在するもの」と規定され、具体的に「空気と水、その他多くの固体」が名指されているからである。媒介ないし中間項に「半透明」の真の意味があるとすれば、それまた天使の領域でもあるだろう。この点についてはたとえば、『創世記』の「ヤコブの夢」、『エゼキエル書』のヴィジョン、偽ディオニシウスの天使論やダンテ『饗宴』などからも跡づけることができる。つまり「半透明」とは、超越性と内在性、見えないものと見えるもの、フォルムとアンフォルム、欲望と禁止などの二項を媒介する第三項であり、その意味において、永遠の運動と無限の変化に開かれたものである。「半透明」を鍵概念として、西洋の絵画表象を再考すること。本発表はそのための第一歩となるだろう。
分身からイメージへ——古典期ギリシアにおける「類似性」と力
佐藤真理恵
古典ギリシア語で「顔」を指す用語のひとつに、プロソポンがある。ただしその「顔」は、局部的な意味のみならず、容姿や雰囲気ひいては仮面といった語義までも含めた「目に映ずる要素の総体」として外から感覚されるという広い射程をもった「顔」である。それゆえプロソポンは「内面性というウィルス」の感染を免れたかに見える。しかしそのじつたえず「主体」=ヒュポスタシスなるものが顕現する契機を孕んでいた。じじつ当のプロソポンから「仮面」という意味を抽出したプロソペイオンなる語が、4B.C末から3B.C初頭を皮切りにテクストに散見されるようになる。エピクテトスに至っては主体=役者プロソポンと仮面プロソペイオンとは徹頭徹尾分離して思考される。前4 世紀を分水嶺としてなされるこの分岐‐並存は、プロソポンとヒュポスタシスとの関係性の変化、なかんずく両者の乖離を露呈しているのではないか。
同じ問題の俎上に載せられるのは、プシュケー、エイドーロン、コロッソス――幻影や分身をめぐる何某の似姿という所有格のイメージであり、無数の襞をもつ――等のプロソポンに隣接する概念である。そして両者を引き寄せるのはまさに主体と表象の類似性という磁場である。そこにはいかなる力学が作用しているのか。本発表では、殊に古典期前後のギリシアにおけるプロソポンを表象の環のなかに引き戻して考察することで、「顔」のもつダイナミクスを描き出すことを試みる。
アール・ヌーヴォー「様式」の形成と自律芸術史観——装飾からデザインへ
米田尚輝
19世紀末から20世紀初頭にかけての西欧では、植物モチーフを特徴とするアール・ヌーヴォー「様式」は国際的に目覚ましく発展した一方で、絵画や彫刻などの諸芸術の総合が目指されていた。装飾家から装飾の芸術性が主張されたのは、応用芸術とも呼ばれた装飾芸術が、定義上では高級芸術の実用的応用でありながら、技術革新の成果を直接に反映する場でもあったからである。高級芸術と技術との区別は、とりわけジョン・ラスキンやウィリアム・モリスらによるアーツ・アンド・クラフツ運動にその典型が見出されるように、産業革命を通じてより複雑な様相を示していた。こうした西欧の文芸思潮を概括する近代主義的解釈には、とりわけ建築家アドルフ・ロースのエッセイ「装飾と罪悪」(1908年)とル・コルビュジェの『今日の装飾芸術』(1925年)等が、装飾批判のスローガンとして援用されることが多かった。材質や機能の制約が避けがたく要請される装飾芸術は、本質的に自然模倣の原則による拘束を免れてきた。それゆえ装飾芸術は「大芸術」に劣る下位の芸術として認識されるのだが、逆説的にもこの解放こそが表象概念の再検討を迫られた芸術理念の形成に重要な役割を担っていた。本発表では、装飾の排除と機能主義の理念が前景化してくる背景を、純粋視覚性をもとにする美術史学の言説との関係のうちで積極的に描き出したい。