新刊紹介

田中純
『政治の美学——権力と表象』
東京大学出版会、2008年12月

独学者の共同体へ

政治権力は多様体である。美的表象もまた多様体であることは言うまでもない。従って、この両者が取り結びうる現実的=観念的関係の諸相をめぐる思考の集積として一書をなし、今われわれの眼前に重量感のある煉瓦のような外見の物質として存在している田中純『政治の美学──権力と表象』(東京大学出版会)を読むという体験は、「還元」とも「綜合」とも無縁の複数的にして離散的な運動に巻き込まれることの眩暈以外のものではない。巨大にして緻密、果敢にして周到なこの書物で、田中氏が試みているのは、変幻してやまない多様体×多様体の葛藤を、有限個の観念的テーゼへ還元することを回避し、壮大さを誇示する教科書的体系へ綜合することからも身を遠ざけ、そのめくるめくように散乱的な外貌をそのままに保持させつつ、分析という名の戦争機械へと作り変えることだ。前著『都市の詩学──場所の記憶と徴候』をも超える速度と重量感で、この重戦車のような思考機械はどんどん進んでゆく。ジーバーベルクからボウイへ、ヴィンケルマンから橋川文三へ、ヘフラーからデュメジルへ、ル・コルビュジエから堀口捨己へ……。

書き終えてなお行軍の途次にある田中氏の唇に、橋川から手渡された「野戦攻城」という美しい言葉がふとのぼる。帰還して心身を安らわせることのできる城はもはやないということ。この生の感覚にわたしは深く共感する。破滅の陶酔とあらゆる制度の無根拠性とを思考の根拠そのものとしてきた橋川ら「戦中派」の体験も、みずからを「戦争を知らない子供たち」などと自嘲することで明視とアイロニーを確保しようとした後続世代の体験も、もはや歴史の中に遠ざかりつつある。だが、それはそれとして、今、わたしたちはまさしく戦時にあると言うべきではないか。戦いながら前へ前へとどんどん進み、次の城を、また次の城を攻略しつづけるしかないのだ。そして、戻るべき故郷はすでにない。そうした戦士の肖像に、田中氏は、これもまた橋川から借りて、一つの名誉ある名前を与えている。「独学者」がそれである。泥濘の中を果てしなく続くこの行軍の孤独、痛苦、そして快楽を知る者だけが、「独学者の共同体」という不可能な夢でひとときみずからを慰安する権利を持つだろう。(松浦寿輝)