新刊紹介

住友文彦ほか
『キュレーターになる!——アートを世に出す表現者たち』
フィルムアート社、2009年02月

ここ数年、キュレーターの仕事が脚光を浴びている。2000年代前半に美術館や博物館の建設が再び相次ぎ、指定管理者制度の問題が落ち着きを見せる中で、外形的な制度設計に関する議論は一段落しつつあるが、他方で、ネットワークにおけるアーキテクチャ(情報環境)の議論が他の社会領域に広がるのと軌を一にして、アートにおけるアーキテクチャの設計者であるキュレーターに関心が集まりつつある。

キュレーター主導の時代と言われる今日、キュレーターは、新たに制作されるアートに評価を与えるだけでなく、それらが置かれる場をつくり上げる活動も行っている。本書が冒頭で、キュレーターの仕事とは「アートを通して公共圏をつくる」ことだと述べているのは、その意味においてである。キュレーターは、作品の評価や展覧会の企画を通して、アートを経験するコンテクストをつくりだしており、まさにアーキテクチャの設計を不断に更新している存在なのである。

今日の展覧会は、作品の選定だけでなく、テーマや展示方法、展示場所にも様々な工夫を凝らしており、キュレーションの重要性が増している。大学にアートマネージメントを教える学科や専攻が新設され、キュレーターになりたい人も増えている。キュレーターは、実際にはどんな作業をしているのか、どんな問題に直面するのか、どんなことを考えて、どんな展望を持っているのか。編者の二人を含めた複数のキュレーターが分担してその仕事の実務と理念の双方を論じた本書は、時宜を得たものと言えるだろう。

本書の中に表象文化論を論じている箇所がある。芸術作品を、価値が定まった作品として扱うよりも、文化的事象として生産・流通・受容の位相で捉える表象文化論は、アートを論じられないのではないかという指摘である。表象文化論は、19世紀近代が作り出した芸術概念の根拠を問い直す中で、芸術表象に重要な役割を与えていること、他方で、美術史の中にもパノフスキーやヴェルフリンなどのように芸術作品が生産される場へのまなざしがあることを想起しつつ、表象文化論がキュレーションの現場にどのように介入することができるのか、改めて考える必要があることを思い知った。(加治屋健司)