トピックス 4

トマス・ラマール講演会「エクスプローデッド・プロジェクション――技術的パラダイムと日本アニメ」

2012年7月5日京都大学にて、表象文化論学会第7回大会でも招聘したトマス・ラマール教授(マギル大学)による講演会「エクスプローデッド・プロジェクション――技術的パラダイムと日本アニメ」が開催された。ラマール氏は、2009年に刊行され、アニメーション研究、日本文化研究のみならず、他分野にわたって衝撃を与えたThe Anime Machine: A Media Theory of Animationの著者である。当日、会場には、溢れんばかりの聴衆者が訪れ、その著作のインパクトの大きさが窺える。

ラマール氏は、聴衆者に、押井守『アヴァロン』(2002)のイメージと、押井の発言(「すべての映画はアニメになる」)に注意を促すことから講演をスタートさせる。そして氏は、The Anime Machine: A Media Theory of Animationのなかで言及した、アニメーションにおける運動についてのふたつの概念、《シネマティズム〔cinematism〕》と《アニメティズム〔animatism〕》を軸としつつ、先の著作の続編と言うべき議論を展開するのである。

ラマール氏の議論を正確に捉えるため、氏の著作も参照しつつ、2つの概念を解きほぐしてみたい。まず、ポール・ヴィリリオの概念を借用し、表明される《シネマティズム〔cinematism〕》とは、一点透視図法の強化されたもの、あるいは一般に遠近法主義という支配的な視の体制の変種であり、奥行方向への速度と運動を強調するものである(cf. Thomas Lamarre, The Anime Machine: A Media Theory of Animation, Minneapolis: University of Minnesota Press, 2009, pp. 26-27)。対して、《アニメティズム〔animetism〕》とは、奥行に向けた運動ではなく、表面上また表面間の左右方向への運動である。換言すれば、それは、アニメーションの構造原理である諸レイヤーのコンポジティングから、あるいは諸レイヤーの間隙で発生する運動である(cf. ibid., pp. 6-7)。先の『アヴァロン』は、こうした《アニメティズム》が支配的となる典型的作品であり、また日本のアニメーション作品の多くは、《アニメティズム》を主要な特徴としてもつ、と氏は主張する。

ラマール氏の議論において重要なことは、こうしたアニメーションにおける《アニメティズム》が、デジタル・テクノロジーの到来以降、従来とは異なる新たな運動を持つイメージ空間を展開し、また新たな技術的パラダイムを我々に提出する可能性をもつことである。また同様に、《アニメティズム》的思考が、例えばロボットアニメにおけるロボットの合体やプラモデルなどの分解組立図(exploded projection)のように、日本の大衆文化において、歴史をもって培われてきたことである。つまり、氏の講演は、アニメーションにおける運動の性質についての議論を起点として、現代的なイメージ、テクノロジー、メディア、歴史、文化、社会へと問題の射程を拡大していくものなのである。

講演後、ラマール氏と氏の主張に触発された多くの聴衆者とのディスカッションが行われた。特にディスカッションにおいて繰り返し意見が交わされたのは、《シネマティズム〔cinematism〕》と《アニメティズム〔animatism〕》というふたつの概念についてであった。両概念の更なる展開と、両概念を用いた議論の更なる活性化を予感させる非常に活発なディスカッションのなか、講演会は閉会した。(松谷容作)

阿部マーク・ノーネス講演会「Translating Calligraphy」

2012年6月27日、関西大学映像文化学会主催のもと、阿部マーク・ノーネス教授(ミシガン大学)の講演会「Translating Calligraphy」が関西大学で開催された。ノーネス氏は、小川紳介を始めとする日本のドキュメンタリー映画の研究で知られる映画研究者であるが、今回は、近年研究を進めている映画字幕およびスクリーンに現れる書道の問題について講演していただいた。映画と書道は一見まったくかけ離れた表現メディアであるが、ノーネス氏は、ネルソン・グッドマン『芸術の言語』における「自書体(autographic)」と「異書体(allographic)」の概念を手がかりに両者の近接性を指摘する。東アジア圏の映画に登場する書道を執拗にサンプリングした膨大な資料を提示しながら進められる講演は、この研究の確かな成果を期待させるものであった。(門林岳史)