第7回大会報告 企画パネル

第7回大会報告|企画パネル:皮膚/表象としての建築/ファシズム――小澤京子『都市の解剖学』、鯖江秀樹『イタリア・ファシズムの芸術政治』を読む|報告:鯖江秀樹・小澤京子

2012年7月8日(日) 14:00-16:00
東京大学駒場キャンパス18号館コラボレーションルーム1

田中純(東京大学)×鯖江秀樹(立命館大学)
多賀茂(京都大学)×小澤京子(埼玉大学)
【司会】岡田温司(京都大学)

緊張のあまりいつの間にか終わってしまった学会賞受賞式の翌日、同じく奨励賞を受賞した小澤京子氏とともに、企画パネル「皮膚/表象としての建築/ファシズム」に参加した。その後の研究発表における司会進行も含めて、かつて経験したことがないほどあわただしい二日間であったが、貴重な時間を過ごすことができた。こうした得難い機会を設けてくださった学会企画委員の方々、とくに橋本一径氏(早稲田大学)に改めて御礼を申し上げる。多少穿った言い方になってしまうが、学会賞受賞者を対象とする今回のような書評セッションは、若い研究者にとって刺激的で意義深い経験となるはずである。ぜひとも継続して開催していただきたい。

評者を務めていただいた田中純氏は、独自の視点から拙著『イタリア・ファシズムの芸術政治』の可能性と限界を鮮やかに示してくれた。当日は時間の制約があったため、突っ込んだ議論が展開されたとは言い難い。それを補うべく、読み上げ原稿をブログで公開してくださった田中氏に感謝したい。

まずは、当日の議論を振り返っておこう。田中氏が提起した複数の問題点のうち、とりわけボッタイに関する次のような疑問に応答した。ムッソリーニの側近でありながら、プロパガンダや公式芸術に批判的態度を取るという屈折を孕んだボッタイ。このファシストの「両極的な」戦略は、いかなる立場から打ち出されていたのか。あるいはその立場を規定する権力闘争があったのか。

最初に、自著のライトモチーフになっている「両極性」の理念を、クレモナ絵画賞とベルガモ絵画賞の対立関係を通して概略したあと、ボッタイを取り巻く党内部の権力闘争について解説した。そこでのボッタイの立ち位置を示してくれるのが「正常化論争」である。政権奪取後の党方針をめぐるこの議論において、ボッタイ(およびマッシモ・ロッカ)は、急進派(ロベルト・ファリナッチ)やサンディカリスト(エドモンド・ロッソーニ)、保守派(アルフレード・ロッコ)との対立姿勢を示し、ファシズムは非合法活動を脱して、「国家建設」へと移行せねばならないと説いた。しかも、1930年代に入ると、彼らのような「サブ・リーダー」が勢力を伸ばすことをムッソリーニが危惧していたとも言われている。

こうした党内部における言語化されない駆け引きこそが、ボッタイを「柔軟な戦略家」に見せてしまうのではないかという、田中氏の指摘はそれこそ的を射たものであろう。ただし、新たなテクノクラートの育成や党機関紙「クリティカ・ファシスタ」の編集活動、さらには若い知識人や芸術家に広く読まれた彼の芸術論は、党内部のリアルな政治的駆け引き以上のものを含んでいるように思われる。自著はそこに賭けた成果であるが、賭けに出ることができたのは、アントニオ・グラムシあってことである。

政治的にも、境遇においても対極にあるボッタイとグラムシには、新たなる国家像において見逃しがたい共通点が存在する。例えば、「テクノクラート」と「有機的知識人」、「国家協同体」と「規制された社会」といった語に象徴されるように、地域のしがらみや癒着を是とする因習的社会のあり方を解体し、新たな組織=国家へと「吸収=体内化(incorporazione)」しようとする発想を両者に看取できる。狭量な党派的態度に縛られていない点でも両者は一貫していると言える。とはいえ、自著において両者の一致を強調したのはやや勇み足だったかもしれない。本書に登場する他の論客にも言えることだが、彼らの批評言説が同時代においてどう読まれていたのか、すなわち、ある特定の言説を切り札ではなく、相対化しながら読み解く徹底ぶりが今後の研究に求められるだろう。それは、芸術作品や言説に託されているはずの「ファシズモ」のイメージ(ないしは虚像)をひとつひとつ拾い上げていくような地道なものになるにちがいない。

次に、当日取り上げられなかった疑問点に関して、ささやかながら応答を試みたい。ドイツ・ナチズムとの比較に由来する「かたち=様式の不在」、そしてその裏返しとしての「精神主義」という問題であるが、たしかにイタリア・ファシズムの場合、甲冑のような強靭かつ明確なゲシュタルトとして「かたち=様式」が志向されていなかったと考えられる。ファシズムを代表した「かたち=様式」は、モティーフとして絵画や建築で幾度となく描かれたムッソリーニ、あるいはアンジョロ・マッツォーニの《郵便局》のファザードにも刻まれているアール・デコ調の字体だけだったと言えるかもしれない。返答にはなりえないかもしれないが、こうした状況の背景には、未来派のマニフェストという遺産――つまりかたちの不在を作品の契機とする戦略――がどこかで作用していると考えている。また、世代論と関連づけるなら、ジョリッティ政権の政治腐敗やトリエステの領有問題など、第一次大戦前後の不安的な政治・社会状況を直接経験した世代(例えばオッポやオイエッティ)は、「ファシズム芸術」に強い執着を示していたと言えよう。ただし、翻って考えてみると、イタリアの近代は、フランス革命のような急激な社会変動を経験していない。リソルジメントやファシズムすらも「革命」とは言えないのではないか(このことを「受動革命」と呼んで問題化したのがほかでもなくグラムシであった)。いずれにせよ、イタリアには「かたち=様式」をめぐる不透明さがつきまとう。それを規定する歴史的・思想的条件については今後の研究課題としておきたい。

今回は、田中氏というこれ以上ない読み手に批評してもらうこととなった。提示していただいたトピックはいずれも、自著の本質を鋭く突くものであった。わたしなりの理解で表現するなら、浮かび上がってきた課題は、「通時性」と「(ヨーロッパ的な規模での)より広い共時性」に集約されるであろう。生き残る、残存するファシズム芸術、あるいは体制崩壊後にあらたに組み替えられる芸術史観に対してどのように応えられるのか。あるいは他国の比較とのなかで、「イタリア・ファシズムの芸術政治」をいかに位置づけていくべきか。今回の企画パネルで深く考えさせられることとなった。

とはいえ、自戒の念をこめて記しておくと、「通時性」と「広い共時性」が課題となるとはいえ、それらを自著に組み込めばそれで済むわけではない。むしろ、もう少し批評言説に沈潜してもいいのではないか。ドイツやロシアのモダニズム批評は、我が国でもある程度紹介され、研究の蓄積もあるが、そもそもイタリア関連のテクストの翻訳紹介は進んでいない。現在編纂中であるイタリア・ファシズム時代の芸術批評集が、西洋モダニズム芸術をまた違った角度から問い直すきっかけとなることを願っている。

末筆になるが、当日蒸し返すような暑さの会場に詰めかけていただいた来場者の方々にも感謝したい。ありがとうございました。

鯖江秀樹(立命館大学)


この企画パネルによって、『イデアと制度』をはじめ18世紀の美術・美学・思想に渡って洞察のある多賀茂氏に、拙著を批評いただくという好機を得ることができた。鯖江氏による報告と重複するが、改めて本パネルを企画してくださった学会企画委員の方々、また評者や司会を快くお引き受け頂いた3名の先生方に、感謝申し上げたい。

多賀氏は拙著を読むに当たって、まず三つの「柱」を提示してくださった。「混在郷」、「言語と表象」、そして「建築とエロス」である。

「混在郷(heterotopie)」とは、フーコーが二度にわたって提示した概念である。一度目は著書『言葉と物』(1966年)において、二度目はチュニジアで行った講演「他者の場所——混在郷について」(1967年)においてであり、前者と後者ではその含意はだいぶ異なっている。拙著では、カナレットによる「畸想の」ヴェネツィアや、ピラネージによる古代ローマの再現にみられる性質を、『言葉と物』に登場する意味での「混在郷」と規定した。ここでは、異質なものどうし(異なる土地に建てられた建築物、年代を異にする古代のモニュメント)が、平滑な共有平面を欠き、互いに葛藤し合いつつも、かろうじてひとつのイメージの中に収まっているという事態が出来している。他方、多賀氏が提起するのは、むしろチュニジア講演で展開された「混在郷」概念である。この講演で「混在郷」の例として挙げられているのは、祝祭の場やラブホテル、また植民地支配の下展開した管理主義的なユートピアである。多賀氏はここに、ルドゥ(ユートピア都市、エロス的建築)との接続可能性を見出す。炯眼な指摘である。これは、もっぱら『言葉と物』における意味での「混在郷」概念を援用し、ピラネージの古代観を説明する地点で停止していた私の思考を、さらなる展開へと開いてくれるものであった。

第2の「言語と表象」というテーマについて。テクストとイメージとの相互浸透関係を捉える、という拙著の特徴の一つでもあるが、多賀氏はさらに18世紀の思想を特徴づける概念である「模倣」との関連を示唆する。 例えば拙著では、カナレットによる絵画描写を、文章を「語る」行為に喩えた。これは単なる修辞法上の比喩ではなく、都市のイメージと特定のセンテンスを結びつけて記憶する「場所記憶術」との通底性を示唆するためである。ここで多賀氏は、むしろ「言語と表象」の別様の連関性を指摘する。つまり、文学(詩作)と絵画の間にある伝統的なテーマ——「詩は絵画のごとく」という言に象徴されるエクフラシス概念、またこれを反転させた「絵画は詩のごとく」というテーゼ—―を背景とした、「絵画について語ったテクスト」と絵画作品との関係性を探る必要がある、ということである。カナレットやピラネージの作品に関しては、同時代、また後代に、多様な言説(日記などに記された感想から、芸術批評と言いうるもの、また特にピラネージにおいては、作品に触発された文学作品まで)が紡ぎ出されている。「同時代・隣接する時代の言説」は、当然ながら作品を解釈する上での重要な参照項であるが、本著では深く追究できなかった部分でもある。この点に関しては、より学術的・実証的なアプローチを採用した博士論文(近日提出予定)にて、詳細を展開したいと思う。

第3の「エロスと建築」というテーマは、「都市・建築の皮膚を開く」というモティーフで各章が緩やかに繋がれている拙著全体にも通ずるが、とりわけ序章と第3章で取り上げたルドゥとルクーという二人の(紙上)建築家に当てはまる。ルドゥは彼の理想都市計画において、青少年の性的エネルギーを一時的に解放させることで結婚の美徳へと導くために、「オイケマ」という邸館を構想した。このオイケマは、奇想天外な建築構想が多く「幻視の建築家」と呼ばれるルドゥにおいても、とりわけ人目を引くもので、その平面図は男性器の形態を模している。しかし、立面図では一般的な二階建ての建物であり、その意味では「慎み深い」。多賀氏の指摘は、あからさまに男性器の形態をしたオベリスクを構想するルクーの方がより革新的であり、さらなる分析に値するのではないか、というものである。これに対する私の立場は、同じ「語る建築(建築物の外観がその用途や性質を視覚的に体現する)」と称されるものであっても、形態のストレートで直截的な模倣を専らとしたルクーよりも、幾何学的形態(真円と正方形・長方形)の組合せによって、ある意味「抽象的」に性的にシンボリックな形態を再現しようとしたルドゥの方が、より複雑で重層的な意味をもつ操作を行なっているというものである。しかし、ルクーにおいても「エロス」が分析の重要なテーマとなることは事実だ。彼は建築構想の他、人体の解剖的デッサンも数多く残しており、その中には男女の外性器を描写したものも数多く含まれる。これらの人体表象とルクーの建築計画が、「開口部」や「内部への窃視欲動の惹起」、「一繋がりの管」といった点で通底することも事実である。拙著ではエピソード的な扱いしかできなかったルクーであるが、今後はさらに掘り下げて論じたいところである。

会場へと開かれた質疑応答の際には、やはり18世紀のフランス思想(とりわけディドロ)の専門家である大橋完太郎氏から、ルドゥやその同時代人サドが表現しようとするエロスにおいては、「順列組合せ」という契機が重要なのではないか、という指摘を頂いた。順列組合せは、ルドゥの建築理念である、純粋な幾何学形態の組合せによって建築物を構成する、という発想とも繋がり、さらにはこの時代の思想的背景である「普遍言語構想」とも関連するものである。文学作品に体現されたサドの思想とルドゥとの共通性については、目下研究中であり、この指摘は大きな示唆となった。

短い時間での応酬であり、多賀氏の指摘や質問に対して、なかなか当意即妙に返答することはできなかったが、このパネルを通して、さらに思考を深めるべき論点や拙著が抱える方法論上・テーマ上の弱点を明確に意識することができた。今後発表する学術成果をもって、その「応答」としたいと思う。

小澤京子(埼玉大学)

【パネル概要】

多賀茂、田中純の両氏を迎え、表象文化論学会・第三回学会賞の奨励賞をそろって受賞した小澤京子『都市の解剖学』および鯖江秀樹『イタリア・ファシズムの芸術政治』をめぐって、両著者とともに議論を繰り広げる。都市の「皮膚」としての建築をめぐり、美術や医学、文学を軽やかに縦断した小澤京子氏の著作については、18世紀フランス思想を専門とし、精神医学史や都市論にも造詣の深い多賀茂氏に評していただく。またファシズムと芸術の関係という問題を、未来派との影響関係のようなこれまでの限定的な理解から解き放ち、表象としてのファシズムの問題に切り込んだ鯖江秀樹氏の著作については、『政治と美学』の著者でもある田中純氏により、イタリア美術や文学の枠に留まらない観点から評していただく。司会は表象文化論学会会長の岡田温司氏。