トピックス 2

シンポジウム「アビ・ヴァールブルクの宇宙MVNDVS WARBVRGIANVS──『ムネモシュネ・アトラス』をめぐって」

日時:2012年6月30日(土)14:00〜18:00
場所:東京大学駒場キャンパス学際交流ホール
パネリスト
・伊藤博明(埼玉大学)「ペルセウスの行方――スキファノイア宮からアトラスへ」
・加藤哲弘(関西学院大学)「動的生のなかの古代――パネル34をめぐって」
・田中純(東京大学)「『ムネモシュネ・アトラス』の通時態と共時態」
コメンテーター
・足達薫(弘前大学)、上村清雄(千葉大学)、木村三郎(日本大学)、三中信宏(農業環境技術研究所)

イコノロジーの創始者として知られる美術史家アビ・ヴァールブルクが晩年に取り組んだ未完の図像集『ムネモシュネ・アトラス』の日本語版(ありな書房、2012年)刊行記念として、去る6月30日、東京大学にて、シンポジウム「アビ・ヴァールブルクの宇宙MVNDVS WARBVRGIANVS」が開催された。『ムネモシュネ・アトラス』は、西洋の古代から現代にいたるおよそ1000枚の図像を複数の(現存する最終版の記録写真では63枚の)黒地パネル上に縦横に配置し、「西洋の分裂症状態」の診断という意図のもとに西洋文化の歴史を眺めるものだ。日本語版は、ドイツ語の全集版とダイダロス版を参照しながらも、ロンドンのヴァールブルク研究所アーカイヴ所蔵の資料にもとづいて図版と情報が更新されており、加えて全63パネルのそれぞれに伊藤博明氏(埼玉大学)、加藤哲弘氏(関西学院大学)、田中純氏(東京大学)による詳細な解説が付され、世界的に見ても現時点でもっとも充実した版になっている。本シンポジウムは、その解説を担当した3氏による発表に、4名のコメンテーターが応答し、思想史・美術史・科学史の多角的な視点からヴァールブルクのアクチュアリティを浮き彫りにするものだった。

会場にはまた、『ムネモシュネ・アトラス』の復元パネル数点(原寸よりやや小ぶりのB0サイズ)、カラー版パネル1点(100号カンヴァスサイズ)、全パネルの縮小版2種類(A4サイズ、およびトランプカードサイズ)が展示され、発表でも使用された。一昨年から昨年にかけて開催され話題になったジョルジュ・ディディ=ユベルマン監修の『アトラス──いかにして世界を背負うか』展(マドリードのソフィア王妃芸術センター、カールスルーエの芸術メディアテクノロジー・センター(ZKM)、ハンブルクのファルケンベルク・コレクションを巡回)でも、ほぼ原寸大に引き延ばされたパネル記録写真が展示されていたというが、本シンポジウムの復元パネルを実見してみて強く思い起こされたのが、そのディディ=ユベルマンによる指摘──「アトラス」は「エンサイクロペディア」とも「アーカイヴ」とも異なるという指摘だった。地図による視覚的な認識と理解は、百科全書のような体系性も、アーカイヴのような網羅性も目指してはおらず、むしろ思いがけない発見へと開かれているのである。

1990年以降のヴァールブルク研究の進展は目覚ましい。ことに近年のドイツでは、ヴァールブルクが新世代の人文科学研究の旗印とさえなっている感がある。生命科学と認知科学の隆盛をまえにした人文科学側の対抗戦略という、ドイツ国内のアカデミック・ポリティクスの問題も多分にあるとしても、イタリアでもマウリツィオ・ゲラルディやクラウディア・チェリ・ヴィアらを中心に独自の遺稿校訂翻訳や論文集の出版が精力的におこなわれ、またフランスでもディディ=ユベルマンやフィリップ=アラン・ミショーらによる理論的な再評価が登場している。そうしたなかで開催された本シンポジウムは、思想史・美術史・科学史の多角的な視点と、復元パネルによるヴァールブルクの方法の追体験とによって、ヴァールブルク晩年の壮大な試みに迫るまたとない機会だったように思う。(岡本源太)

トークセッション「映画と国民国家 映画を政治の言葉で語るのは野蛮か?」

・日時:6月2日(土) 13:00-16:55
・場所:オーディトリウム渋谷
・登壇者:松浦寿輝(作家・詩人)、吉本光宏(早稲田大学)、 御園生涼子(『映画と国民国家』著者、早稲田大学)

御園生涼子による『映画と国民国家──1930年代の松竹メロドラマ』(東京大学出版会)の刊行に際し、著者と松浦寿輝、吉本光宏の三者によるトークセッションがオーディトリウム渋谷で開催された。併映作品は小津安二郎『その夜の妻』、清水宏『港の日本娘』。

御園生の基調講演では、自著をもとに、1930年代の「植民地主義的地政学」、「アメリカ資本主義経済の台頭」、「国民国家」等々のコンテクストに軸足を置くことで紡がれる「政治の言葉」による映像分析の可能性が示された。それを受けて松浦は、まず一般に「映画を政治の言葉で語る」ことは、映像作品の個別的な感性的経験を「還元する」ことであるがゆえに「野蛮である」としつつも、「野蛮」を引き受けることで論述対象を他の領域に向けて開くための思わぬ逃走線を引くことがありえ、ひいては硬直化した学術研究を活気づける可能性があることもまた肯定する。吉本は、御園生の著作のテーマである「メロドラマ」が1950年代以降のアメリカにおける過度な形式主義を打ち破る鍵概念としてどのように機能してきたかを確認し、その延長線上に御園生の著作を位置づけた。

論題「映画を政治の言葉で語るのは野蛮か?」に先だってあったのは、形式主義に陥ってそれに自足してしまいがちな映画研究の風潮に対する閉塞感であったと御園生は述べる。また、映像作品の中には、「政治の言葉」で応答せざるをえない「呼びかけ」があるのだとも。分析は分析者個々のある種の実存に根差したやむにやまれぬ「応答」から出発し、そのかぎりで政治的である。「形式主義」と「政治的分析」という大きな二項対立を前提とする論戦的な問いから始まった当トークセッションは、「野蛮さ」を引き受けることの意味と、そこで開始される実践の在り方を歴史的コンテクストに即して示した点で貴重だった。(三浦哲哉)

上記の他にも会員の著書刊行イベントが以下の通り催されました。

『ヴィータ・テクニカ』(青土社)、『ジョルダーノ・ブルーノの哲学』(月曜社)刊行記念
トークセッション「ヴィータ・ノーヴァ:新しい生命哲学と人間の新生」

・日時:2012年5月27日(日)17:00〜
・場所:ジュンク堂書店難波店

檜垣立哉(大阪大学大学院教授)× 岡本源太(関西大学講師)


著書『ブルーノ・シュルツ 目から手へ』(水声社)をめぐって

・日時:2012年7月9日(月) 17:00~18:30
・場所:東京大学文学部

講師:加藤有子氏(東京大学文学部現代文芸論研究室助教)
コメンテーター:久山宏一氏(ポーランド文学研究者)
司会:沼野充義


長谷正人著『敗者たちの想像力─脚本家山田太一』(岩波書店)刊行記念イベント
敗者たちの想像力──いま山田太一ドラマを再発見する

・日時:2012年7月28日(土)14:00~18:00
・場所:早稲田大学戸山キャンパス

総合司会 岡室美奈子(早稲田大学)
第Ⅰ部 名作ドラマはいかに生み出されたか
1.DVD上映 『早春スケッチブック』(83年、フジテレビ)
2.トークセッション山田太一✕河村雄太郎(元フジテレビ)× 長谷正人(早稲田大学)
第Ⅱ部 『敗者たちの想像力─脚本家山田太一』を書評する
丹羽美之(東京大学)× 伊藤守(早稲田大学)× 長谷正人
第Ⅲ部 インタビュー:テレビドラマを書くということ
山田太一✕岡室美奈子✕長谷正人