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シンポジウム「災害と文学」
2012年7月29日に、東京大学駒場キャンパスで、言語態シンポジウム「災害と文学」が催され、猛暑にもかかわらず多くの聴衆が集まった。発表者、そのタイトル(発表順)は以下の通りである。司会者は田尻芳樹(東京大学)であった。
- 武田将明(東京大学)「災害と文学:ダニエル・デフォーと現代日本の小説」
- 辛島デイヴィッド(翻訳家、作家)「多様な声、それぞれの距離感:「震災アンソロジー」を編んで」
- 田口卓臣(宇都宮大学)「偏差、怪物、厄災:18世紀思想と災害・公害の文学を架橋する」
- 佐藤嘉幸(筑波大学)「フクシマの後にどのような哲学が可能か」
最初の発表者である武田将明は、ダニエル・デフォーにおける災害と文学の問題から考察を始め、それを現代日本の文学へと接続した。デフォーの『ペストの記憶』は、18世紀のイングランドを襲ったペスト流行を描いている。この作品は、植民地との取引やオランダとの経済戦争を背景としたペスト流行という、グローバル化された世界における災害を描くのだが、その描写において際立つのは、死者の身体の物質性(つまり、人間が死ねば死体は単なる廃棄物でしかない、という認識)である。さらに武田は、『ペストの記憶』、『ロビンソン・クルーソー』から、災害時に喧伝される「絆」といったスローガンの表面性と、本質的には孤独な存在でしかない人間存在がどのように一種の「賭け」として連帯を構築するかという問題を(とりわけ『ロビンソン・クルーソー』におけるロビンソンとフライデーの関係性の分析を通じて)析出する。そして、彼はそのような孤独な人間同士の「賭け」としての連帯を、綿矢りさ『かわいそうだね?』(この作品は、東日本大震災の直前に連載が開始され、阪神大震災の記憶が想起されている)や、中村文則『迷宮』のような現代文学に見出すのである。
次の発表者である辛島デイヴィッドは、3.11を描いた文学をアンソロジーとして集めた『それでも三月は、また』とその英語版March was made of yarnを編者として編んだ経験を通じて、災害と文学の関係について語った。『それでも三月は、また』とMarch was made of yarnは、2012年3月に日英米で同時刊行されたが、収録された作品の半分は英語に翻訳されることを前提として書かれた書き下ろしであり、あとの半分は震災後に文芸誌やインターネットで公開された作品を収録したものである。アンソロジーの中には、被災地在住の作家(佐伯一麦)、被災地にボランティアとして赴いた作家(池澤夏樹)、ドイツ在住の作家(多和田葉子)、外国人の作家(J. D. マクラッチ、バリー・ユアグロー、デイヴィッド・ピース)の作品まで、災害に対する(物理的、時間的な)様々な距離感が見出される。その中で辛島は、災害の現場から最も遠くに住む作家の一人である多和田葉子の作品が原発に最も批判的である、という逆説的事実に着目し、多和田の採用したSFの形式が、近未来から現在を批判的にアレゴリー化するものであると指摘した。また辛島は、本書のすべての作品が、未来のために現在を記録するという役目を引き受けていると指摘して発表を閉じた。
第三の発表者である田口卓臣は、ディドロから析出した「偏差」という概念を論じながら、ディドロの思想と現代の災害文学を架橋するという試みを行った。ディドロの科学的思想はしばしば「合理主義から経験主義へ」という要約で語られがちだが、実際にはそうした要約はディドロの可能性の中心を取り逃がしている。むしろ、体系の中に生起するほんの少しのゆがみ、100%のうちの0.1%としての「偏差」が重要であって、そのようなほんの少しのゆがみ、「偏差」こそが、悟性に基づく観念の体系を解体してしまうことがある、という考え方こそがディドロの思想の可能性の中心なのである(法則性の思想ではなく、むしろ特異性の思想)。そこから導かれるのは、厄災の可能性について考察する際に、0.1%のリスクの側から体系全体とその崩壊可能性を考えるという思考である。福島第一原発事故において明らかになったのは、そのような思考こそが現代の科学技術的思考に決定的に欠けている、という事実なのである。最後に田口は、チェルノブイリ原発事故後にその被害者たち自身が語る「個人の真実」を明らかにしようとした、「災害の文学」の究極の形であるアレクシエービッチ『チェルノブイリの祈り』を印象的に引用して、その発表を閉じた。
最後の発表者である佐藤嘉幸は、原子力発電という科学技術に関する原理的な考察を通じて、「フクシマの後にどのような哲学が可能か」についてその可能性の一つを示した。それに際して彼は、ミシェル・フーコーの「権力=知」という概念を拠り所にして、国家権力と科学技術的知の結合について明らかにしようとした。脱原発を模索した科学者である高木仁三郎は『プルトニウムの恐怖』の中で、原子力発電という技術の本質を、その起源であるマンハッタン計画(アメリカの原爆開発プロジェクト)から考察しているが、そこから明らかになるのは、原子力発電が核兵器製造技術の民生転用に他ならない、という事実である。原子力発電という技術が(平常運転時、事故時、そして運転停止後も)本質的に持たざるを得ない多大な危険は、大量破壊兵器の製造技術を民生転用して発電に利用するというこの技術の起源にある。そして、マンハッタン計画に見られるような「国家的技術システム」はまさしく国家権力と科学技術的知の結合の典型例であり、現在の「原子力ムラ」もその性格を引き継いでいる。佐藤は最後に、福島第一原発事故を私たちの存在に深刻な影響を与えた「出来事」として捉え、原発と核兵器の双方を廃棄する必要性を主張した。
これら4人の発表に対して、発表者相互に、そしてフロアとの間で活発な議論が展開された。その論点は多岐にわたるため、行われた議論の詳細をここで再現することはできないが、今回のシンポジウムは、東日本大震災と福島第一原発事故という「災害」と、「文学」そして「思想」の関係性を再考し、とりわけ原発事故のような人災が繰り返されないために「文学」や「思想」に何ができるのかを議論する、貴重な機会になったのではないだろうか。(佐藤嘉幸)
シンポジウム「壁と歌――ミクロ・メディアの政治学」
2012年7月21日、東京外国語大学のプロメテウス・ホールにて、シンポジウム「壁と歌――ミクロ・メディアの政治学」が開催された。登壇者は、松浦寿夫氏、山本薫氏、南後由和、大山エンリコイサム氏(登壇順)の4名。冒頭、松浦氏の「導入――同時遍在性の魔」では、「アラブの春」など、TwitterやFacebookなどの情報メディアによる伝達回路の作用が注目される現在において/だからこそ、そのようなグローバルな情報メディアへの一元的な依存に回収されることのない、自らの手と声による壁と歌への表記という形式を、われわれの複数の「いま」と「ここ」を直接的に構築可能なローカルなメディアとして再考する機会にしたいとの本シンポジウムの趣旨が述べられた。
山本氏の発表「革命のカウンター・カルチャー――若者文化から見た“アラブの春”」 では、若者が人口の約6割を占めるアラブ諸国における若者文化の位置づけの日本との違い、単なるアメリカ文化の模倣ではないヴァナキュラーなストリート文化の根付き方、地方青年のラップ音楽による政治的メッセージの声の拡散について、エジプトやシリアなど具体的な現場の事例をもとにした報告がなされた。
南後の発表「グラフィティ――壁というメディアの転用」では、1968年の五月革命に見られた落書きと80年代以降のグラフィティの差異、時間差を孕みながら分散的かつ集合的に書き換えられていく壁の状態、情報技術を組み込んだグラフィティによる壁というフレームの変換と拡張などについて報告したうえで、AとB、あちら側とこちら側を明確に隔てる壁が不可視化した現在において、時間・動き・予兆を孕んだ「際」という概念に着目する重要性を指摘した。
大山氏の発表「ウォールズ・イン・モーション――HOBOからグラフィティ、SNSまで」では、19世紀末から20世紀のアメリカの季節労働者HOBOによる、鉄道網という近代型インフラストラクチャーが提供する鉄道車両=ネットワーク状に移動する壁を介した情報の交換から、壁の分散・更新・重層としてのSNSに至るまで、不動産的、単一的、実体的、物質的なイメージとは異なる様態としての「ウォールズ・イン・モーション」をいかにして描くかについて厚みある発表がなされた。
全体討議では、互いの発表に対する質疑応答を交えながら、同時遍在性という時間の組織化の技術体系を構築しようとする情報メディアに対して、遅れや摩擦による「いま」と「ここ」の複数化、かつてそこにいた/いまここにある、という時間経験の錯綜をともなう壁というメディアの特性について闊達な議論が展開された。(南後由和)