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第3回表象文化論学会賞授賞式

2012年7月7日、東京大学駒場キャンパス「21 KOMCEE(理想の教育棟)」にて第3回表象文化論学会賞の授賞式が開催されました。各賞の受賞の言葉を、選考委員会(2010年3月5日開催)における選考過程、選考委員コメントとあわせて、以下に掲載します。

学会賞
大橋完太郎『ディドロの唯物論――群れと変容の哲学』(法政大学出版局、2011年2月)

受賞の言葉
このたび、拙著『ディドロの唯物論――群れと変容の哲学』が第三回表象文化論学会賞を受賞することになりました。創設以来、表象文化論学会での活動とともに思考を重ねてきた自分としましては、これほど嬉しいことはありません。審査委員の方々始め、関係各位のみなさまに、心よりの御礼を申し上げます。

フーコーが瞠目し、レヴィ=ストロースが敬愛し、あるいはデリダがそこに近代西洋的思考の雛形を見いだした十八世紀フランス思想の領域では、文芸と科学、芸術の徹底的な交錯から数多くの刺激的な知が産み出されてきました。それを「近代」と名付けることにはためらいを覚えつつ、とはいえ近代的なものの胎動と古典的なものの再生とが散りばめられて地層をなしているこの領域に、自分は現代の表象文化論的な知性の運動と近いものを感じています。そのなかでもディドロは、もっとも錯乱せる、もっとも多面的で、そうしてそれゆえもっとも正体がつかみ辛い存在です。今回の受賞作を通じて、魅力的であると同時に非常に厄介な彼の知の姿を垣間みることができているならば、表象文化論という場――これもまた、魅力的であると同時に、非常に厄介な知性の領域ではないでしょうか――に対しても、少しは貢献を果たすことができたのではないか、と今では思っています。わたしたちがわたしたちの身体を知らないでいることの不幸、その無知から由来する歴史的な不幸を引き受けながらも、「今ここ hic et nunc」で、いかに考え、いかに生きるかを笑いながら不断に問い続けるような、そんな「愉快な知」を生きる可能性を、これからも追求していきたく思っています。

最後になりましたが、この本に表わされた思考は、僕が「先生」と呼ぶ人たちや、「友人」と呼ぶ人たちとの、深い意味での共同作業から生まれたものです。教室や街中、食堂や居酒屋でみなさんと交わした言葉の数々が、別の仕方で生命を与えられて、この本の上に活字となって貼付いています。時間をともにしたすべての人に――とりわけ今回は、「表象文化論」という名のもとで僕に付き合ってくれたすべての方々に――、改めて御礼をお伝えしたく思います。そうして最後に、クレイジーで多形倒錯的な拙いディドロ論を一冊の本というフォーマットに落とし込むという困難な作業に、全身全霊を傾けて取り組んでいただいた、法政大学出版局の郷間雅俊さんに、ここで改めて御礼をお伝えします(授賞式で言うのを忘れていたのです!)。みなさま、本当にありがとうございました。




奨励賞
小澤京子『都市の解剖学──建築/身体の剥離・斬首・腐爛』(ありな書房、2011年10月)

受賞の言葉
この度は表象文化論学会奨励賞を頂き、たいへん嬉しく、名誉に思います。選考委員の先生方、また執筆・編集に際してお世話になりました、ありな書房の松村豊さん、修士課程の頃よりご指導ご鞭撻いただいてきた田中純先生、それから、研究を進めていく上で常に刺激を与えてくださる盟友の方々に、心から感謝申し上げます。

この本のきっかけとなったのは、今は紙媒体としては廃刊になってしまった『10+1』40号の記念特集「神経系都市論」に寄稿した、「都市の解剖学」と題した論文でした。この一つのテクストがきっかけとなり、ありな書房より単著のお話を頂くこととなりました。

この書では、建築やその図的表現そのものを実証的に調査・分析するのみならず、皮膚や被覆、身体とのメトニミカル、ないしメタフォリカルな関係を考察することを目指しました。扱った主題は、18世紀のカナレット、ピラネージ、ルドゥ、ユベール・ロベールをはじめとする廃墟画の系譜、それから19世紀のフランス文学ですが、とりわけ表象やその背後にある世界の認識が「危機」に瀕するような瞬間を選び取って論じたつもりです。自らの思考や言語の限界との闘いを経て、やっと生まれてきた書物だというのが、著者としての実感です。

私が表象文化論の院に入ったのが2002年、当時はファッションと身体の関係を研究するつもりでいました。それ以来、様々な刺激を受け、また周囲の方々にお世話になりながら、研究テーマや方法論も種々の曲折を経つつ、10年の時間が経ちました。10年目の年に、このような名誉に与れたことも、それまでに皆さまから受けた種々の学恩の積み重ねによるものです。改めまして、どうもありがとうございました。




奨励賞
鯖江秀樹『イタリア・ファシズムの芸術政治』(水声社、2011年6月)

受賞の言葉
このたびは、第3回表象文化論学会奨励賞をいただき、大変光栄に思っております。受賞の一報を受けたとき、正直なところ驚きというよりも、きょとんといたしました。自分は受賞式のような晴れやかな場所には縁がないだろう。イタリアの近代についてただコツコツと研究を進めることができればいい。そう思っていたからです。そもそも拙著がエントリーされていることすら、途中の段階まで知りませんでした。とはいえ、自分が初めて作った本が評価をいただいたことを、今はお世話になった方々とともに喜びたいと思います。

大橋さんや小澤さんとは違って、私の本は、オリジナルの原稿である博士論文にかなり筆を加えてできたものです。様々な制約があるなか、その作業を進めることができたのは、版元である水声社のチーフディレクター、下平尾直さんのおかげです。とくに下平尾さんにメールでいただいたお言葉にはとても励まされました。それは、「簡潔に、分かりやすく、具体的に書く」という指示であり、そして「最初の一冊に書き手のすべてがある」という言葉でした。このふたつの言葉は、ファシズムが支配したイタリアという、そのときのその場で、様々な力関係のなかで発された「声」に耳を傾けるという、場合によっては些細な現象に囚われてしまいがちなわたしの研究を、外に向かって開いていくうえで重要な指針となりました。そうして日の目をみたこの本がなければ、今後追求しなければならない新たな課題を見出すこともできなかったでしょう。

いずれにせよ、拙著のなかに響いているはずの、イタリア・ファシズム体制下を生きた表現者たちの「声」がすこしでも多くの人に届くのであれば、それにまさる喜びはありません。そのチャンスを与えてくださった皆様に深く感謝いたします。ありがとうございました。



特別賞
該当なし

(1)選考過程
2012年1月上旬から1月末まで、表象文化論学会ホームページおよび会員メーリングリストにて会員からの学会賞の推薦を募り、以下の作品が推薦された(著者名50音順)。

【学会賞】

  • 石谷治寛『幻視とレアリスム——クールベからピサロへ、近代フランス絵画の再考』
  • 江村公『ロシア・アヴァンギャルドの世紀——構成×事実×記録』
  • 大橋完太郎『ディドロの唯物論──群れと変容の哲学』
  • 小澤京子『都市の解剖学──建築/身体の剥離・斬首・腐爛』
  • 佐藤守弘『トポグラフィの日本近代 江戸泥絵・横浜写真・芸術写真』
  • 劉文兵『証言 日中映画人交流』

【奨励賞】

  • 石谷治寛『幻視とレアリスム——クールベからピサロへ、近代フランス絵画の再考』
  • 石谷治寛「理性の眠りは怪物を生み出すか?インカ・ショニバレの船と布地」(『表象』05号)
  • 大橋完太郎『ディドロの唯物論──群れと変容の哲学』
  • 小澤京子『都市の解剖学──建築/身体の剥離・斬首・腐爛』
  • 鯖江秀樹『イタリア・ファシズムの芸術政治』

【特別賞】

  • 金杭『帝国日本の閾──生と死のはざまに見る』
  • 長谷川祐子「ゼロ年代のベルリン展」および「建築、アートがつくりだすこれからの“感じ”展」キュレーション

このなかで、特別賞として推薦のあった金抗氏の著作は、発行日が2010年12月と記載されていたために、学会賞の規定に従い、選考対象から除外された。

選考作業は、各選考委員がそれぞれの候補作について意見を述べたうえで、全員の討議によって各賞を決定していくという手順で進行した。なお、海外研修中のために選考会議に出席できなかった委員(1名)については、所見をまとめたものを事前に提出してもらい、会議終了後に選考結果についてメールで同意を得るというかたちをとった。奨励賞については、最終的に候補に残った小澤京子氏、鯖江秀樹氏の著作が甲乙つけがたいという判断により、これら2篇を選出することになった。
特別賞については、長谷川裕子氏のキュレーションが候補として残ったものの、選考委員会の総意として、展覧会自体がすでに終了しており、選考委員が実際に観ることができない以上、受賞の可否を判断することができないという結論に至った。特別賞の規定や選考方法については、今後検討しなおすべきだろうとの意見が出された。

(2)選考委員コメント

香川檀
久しぶりに、日本語をたくさん読んだ。そして、日本の若手や中堅の研究者がこんなにも熱く、渾身の仕事をしていることに大いに刺激を受けた。イメージの分析が面白く、身体論あり、写真論あり、アヴァンギャルド論ありで、思うさま読書の快楽に耽った。それぞれの候補作が切り出してみせた問題系は多彩かつ奥深く、表象文化論という新領域に関わる研究の厚みをあらためて実感している。そんななかで、大橋氏のディドロ論は研究書としての完成度の点で群を抜いていた。思想を専門外とする読者にも、現代思想につながる表象論として読めるところが、著者の力量のなせる技なのだろう。また、今回惜しくも賞から洩れた著作のなかにも、イメージがもつ歴史・社会的意味を大きなスケールで論じる意欲作が見られ、今後の展開が大いに期待される。奨励賞のほうでは、鯖江氏のイタリア・ファシズム芸術研究が、言説分析のアプローチによる緻密な論述で際立っており、分析を掘り下げる思考の強度に敬服した。「局所的に行なわれる議論」という細部に目を凝らすことによって、前衛と政治という20世紀芸術の、ともすれば紋切り型に論じられがちな大きなテーマに新たな光を当てている。そして小澤氏の、いかにも表象文化論らしい「解剖学的想像力」――。表象研究において、「批評的エロティシズム」とでも呼びうるような感性がいかに魅力的かを、改めて想い起させてくれた。

桑野隆
今回も前回に劣らず力作揃いであったが、そうしたなかでも大橋完太郎氏の『ディドロの唯物論──群れと変容の哲学』は際立っていた。『ラモーの甥』や百科全書を中心としたディドロではなく、それらも含めた上での哲学的著作を丹念に読み解きながら、ディドロ独特の唯物論的世界制作(ポイエーシス)の手法を引き出していく展開に、格別の説得力があった。演劇論、美術論、化学論その他の面まで押さえた多重的アプローチもみごとに効力を発揮しており、また本書全体に表象文化論ならではの批評精神が漲っていた。

選考にとくに苦労したのは奨励賞のほうである。

最終的には二著に絞られたわけだが、ほかの著作もレベルが高く、研究の内容やアプローチも生新であり、競合さえしなければ十分に授賞可能なものであった。奨励賞に選ばれた二著のうち、小澤京子氏の『都市の解剖学──建築/身体の剥離・斬首・腐爛』は著書全体として見た場合にはややまとまりに欠けるものの、建築と身体のアナロジーがもたらした成果はまことに鮮やかであった。鯖江秀樹氏の『イタリア・ファシズムの芸術政治』は、イタリア・ファシズムの多様性や複雑さを綿密に分析しており、芸術と政治の関係一般の研究にも新たな一頁を加えたと言えよう。

委員としての私の務めは今回で終わるが、この2年間の動向から察するに次回以降も力作が相次いで登場しそうだ。楽しみではあるが、委員の仕事はますます大変なことになろう。

杉橋陽一
学会賞の大橋氏の『ディドロの唯物論──群れと変容の哲学』は、章構成からすると、ディドロ作『ラモーの甥』についてのヘーゲルの解釈から始まっているが、このテキストの前史にまず驚いた。ディドロはこの作品に1773-4年に取り組み、実際公になったのは1805年ゲーテによるドイツ語版であったからだ。ヘーゲルはゲーテ訳を読んで自分の『精神の現象学』(1807)の精神のヒエラルヒーのなかに「ラモーの甥」的精神を組み込んだが、大橋氏の大きな功績は、ここでヘーゲルがディドロの作品に対し振るった「弁証法の暴力」を明らかにし、「理性的なもの」へと統合された思考や身体のために、「群れの哲学」とも呼びうる野蛮さをディドロに回復させたことにあろう。

奨励賞の小澤京子氏『都市の解剖学──建築/身体の剥離・斬首・腐爛』も興味深い書物であった。たとえばフロイトが患者イルマの口腔を覗いたあと彼が見た夢を検証したラカン自身の、「口腔内から女性器にいたる肉の不気味さの発見」などが、ひいては分析作業と同時的に執筆している当の小澤氏の「自己を切り開く」という、もうひとつの解剖を促し、これはニーチェ的に言えば氏の「自己超克」を少なからず要求する。したがって氏の著書の興味深さは、大橋氏の仕事同様、まさに「身体」というキーワードで括られることにも起因しているのだ。

同じ奨励賞の鯖江秀樹氏の『イタリア・ファシズムの芸術政治』で言及されるヴェントゥーリ、グラムシの名前は知っているものの、あわれ浅学、カゾラーティ、ボッタイなど本書で詳述される大半の人々の名前を私ははじめて知ったが、鯖江氏のメリハリある筆力が大いに助けになった。

松浦寿夫
今回もまた多くの充実した著作が候補作品となり、審査委員のひとりとして、それぞれの候補作から多くのことを学びながら、同時に選考という作業にあたる困難に直面したことを告白しておかなければならない。この困難は審査員としての自らの力量を凌駕する候補作品を前にした居心地の悪さとも無縁ではない。とはいえ、割り与えられた任務を口実に、以下の講評を書いておくことにしたい。

大橋完太郎氏の『ディドロの唯物論―群れと変容の哲学』は、候補作品のなかでも、その緻密な分析と議論の巧みな展開とによって、圧倒的な存在感を示していることに、他の審査員の先生方と直ちに意見の一致をみることとなった。ディドロの思考の錯綜とした展開を複数の角度から検討し、この思考の形姿を記述する重厚な試みはきわめて優れた成果をあげていると思う。個人的にはとりわけ、第2部ならびに第3部から大きな刺激を受けたが、とある註で指摘されているように、ディドロの思考の美学的な文脈での体系化作業が脱落させかねない局面への注目が、本書の美徳のひとつとして、端的に思考の単純化への抵抗の形式を示している。

奨励賞候補作としては、石谷、江村、小澤、佐藤、鯖江の5氏の著作を検討したが、それぞれの対象とする領域は異なっているとはいえ、いずれも優れた業績であり、率直なところ、これらの著作に優劣をつけることはきわめて困難な作業であった。最終的に合議のうえで、小澤、鯖江の両氏が選出されたが、残念ながら選外となった著作も、その分析の設定、その力量においてきわめて優れた業績であった点は強調しておきたい。小澤氏の著作に関しては、建築と身体との類縁性のもとで、建築=身体への解剖学的作用の痕跡の繊細な分析という点で、また、鯖江氏の著作に関しては批評的な言説の精緻な読解をとおしたファシズムの文化プログラムの諸局面の明晰な提示という点で、それぞれ高く評価されるべき成果であったと思う。

ブックフェア「表象文化論のアトラス」

『ムネモシュネ・アトラス』刊行と表象文化論学会賞を記念したブックフェア「表象文化論のアトラス」が、6月23日(土)から8月5日(日)まで、MARUZEN &ジュンク堂書店渋谷店にて開催された。

このフェアは、『ムネモシュネ・アトラス』(伊藤博明・加藤哲弘・田中純著、ありな書房、2012年)刊行記念シンポジウム「アビ・ヴァールブルクの宇宙」(6月30日、東京大学駒場キャンパス)、および第7回表象文化論学会全国大会(7月7日-8日、同左)との連動企画として企画されたものである。『ムネモシュネ・アトラス』執筆者である田中純と2012年度表象文化論学会賞受賞者3名(大橋完太郎、鯖江秀樹、小澤京子)が選書者となり、自らの著作をより深く理解するための書籍をそれぞれ50冊前後セレクト。書架に並んだ書物間の有機的な連関を通じて、「人文知のアトラス」ともいうべき見取り図を提示することを企図したものである。フェア会場では、4名によるコメント付き選書パンフレットの無料頒布も行われた。(小澤京子)