研究ノート 横山 由季子

音の彫刻 ジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラーのサウンド・インスタレーション
横山 由季子

2009年の春、画廊巡りの途中で立ち寄ったメゾンエルメスでの個展※1を今でもよく覚えている。ガラスブロックで覆われた銀座のビルディングの8階、エレベーターを降りた瞬間、空間に満ちた音に身体ごと取り囲まれる。展示室で待ち受けていたのは、40個の黒いスピーカーだった。予期していたような作品の姿は見当たらず、しばらく立ち尽くしてしまう。やがて静寂がおとずれ、咳払いやおしゃべりの雑音がスピーカーから漏れたかと思うと、ひとり、またひとりと歌いはじめる。しだいに歌声は重層的になり、一瞬の沈黙のあと、まるで天から振ってくるように40人の合唱が響き渡る。スピーカーという無機質な塊を通しているにもかかわらず、空気を振動させる声のヴォリュームは圧倒的で、コンサートホールで聴く音楽とは全く異なる音を経験した。荘厳な旋律は、16世紀イングランドの作曲家トマス・タリスの代表作「我、汝の他に望みなし」(1573)という多声楽曲。ジャネット・カーディフによって再構成された作品《40声のモテット》では、パート毎に録音された40人の歌い手の声が、それぞれのスピーカーから発せられる。レンゾ・ピアノが設計を手がけた天井の高いギャラリーで、部屋の周縁部に楕円形に配置されたスピーカーから流れる歌声はよく響いた。

同時期に催された第1回恵比寿映像祭※2にも、2人のカナダ人アーティスト、ジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラーの作品が4点出品され、日本で彼らの活動が本格的に知られる契機となった※3。同年の越後妻有トリエンナーレ、翌年の瀬戸内国際芸術祭では、それぞれ《ストーム・ルーム》、《ストーム・ハウス》というタイトルで、空家を舞台に音と光によって嵐の到来を体感させる新作を発表。また、2010年に天保山のサントリーミュージアムで開催された「レゾナンス 共鳴」展において、壁一面のガラス越しに広がる海を背景に再び登場した《40声のモテット》は壮観だった。 ジャネット・カーディフ(1957年オンタリオ州ブリュッセルズ生まれ)は録音した語りをヘッドフォンで観客に聞かせながら歩行を促すという、現実とフィクションを融合させた“Walks”(1991-)のシリーズで注目を集める。パートナーとなるジョージ・ビュレス・ミラー(1960年アルバータ州ベーグルビル生まれ)とは1983年に出会い、1990年代末から作品制作のうえでコラボレーションを開始した。現在はベルリンとカナダのブリティッシュコロンビア州グリンドロッドを中心に活動しており、映画と音楽、演劇の境界を横断するようなサウンド・インスタレーションで、観者の知覚を揺さぶる時空間を作り出している。

そんな彼らの代表作と新作を体験できる機会が2012年の夏にドイツで訪れた。ミュンヘンのハウス・デル・クンストを会場にした個展※4と今年で13回目を迎えるカッセルのドクメンタである。前者は、比較的初期の作品から近作までを振り返る回顧展で、それぞれ規模や素材の異なる8作品が、「観者を絶えず周囲の環境から切り離し、作品そのものに没頭させる※5」という作品の性質を損なわぬよう、防音など工夫を凝らして配置された。作品のタイプは大きく4つに分かれる。いわゆる一般的なヴィデオ・インスタレーションである《Hill Climbing》(1999)と《Night Canoeing》(2004)、電話の受話器を取ると音声が聞こえてくる《Kathmandu Dreams》(2007)、展示室全体に音が鳴り響く《Feedback》(2004)と《The Killing Machine》(2007)、そして劇場や映画館仕立ての箱のなかで映像や音が流れる《Playhouse》(1997)、《The Paradise Institute》(2001)、《Cabin Fever》(2004)である。特に最後の3点は、美術館という展示空間のなかで入れ子状にもうひとつの鑑賞空間を出現させてみせるという構造によって、展示論的な関心も喚起する。会場でとりわけ異彩を放っていたのは、カフカの短編小説『流刑地にて』とアメリカの死刑制度からインスピレーションを得たという《The Killing Machine》である。まず眼に入るのはピンクのファーに包まれた歯医者のベッド。周囲には機具やスピーカーが取り付けられている。処刑開始のボタンは観者自身が押さなければならない。青白い光のなかでミラーボールが回転し、禍々しい音楽とともに機械の腕が動き出す。2本の腕は、最初は不気味に空をさまよい、やがてベッドの上の見えざる囚人に針を突き刺しはじめる。しかし、わずか5分ほどの仕掛けのうちに、カフカが描いたような、拷問機械が囚人の身体に判決文を刻む繊細な動きは現れず、ただ音と動きのスペクタクルが繰り広げられるだけだ。こうして、「第一級の美的感覚としての自らの拷問というファンタジーに観者を没頭させる※6」甘美な装置が出現する。作品の前に立ちボタンを押す観者は、カフカの小説における旅人であり、刑を執行する将校であり、囚人でもある。

ドクメンタに出品された2点は、いずれも過去の作品の延長線上にあるものといってよい。ひとつめは、カールスアウエ公園の樹々に30を超えるスピーカーを設置した《for a thousand years》(2012)。作品の構造としては、《40声のモテット》の屋外版といえるだろう。観者は樹々のあいだの通路を進み、森の空き地に腰を下ろして、千年の時のなかで森が受けとめるであろう小鳥のさえずり、ピクニックの談笑、嵐や雷雨、伐採、戦車や歩兵隊の侵入、爆弾の投下などがもたらす音を次々と浴びることになる。巧みな音響効果によって、それは樹々のすぐ背後で起こっているかのような錯覚さえおぼえる。あらゆる出来事が通り過ぎて行ったあと、まるですべてを昇華するように神聖な歌声が森を包む。もうひとつの作品は、iPodとイヤホンを渡された観者が、ジャネットの声と映像に導かれてカッセルの駅のエントランスやホームを歩く《Alter Bahnhof Video Walk》(2012)で、これは“Walks”のシリーズに属するものである。小さな画面に映し出されるのは、過去に撮影された同じ駅の構内。映像のなかの世界と同じ場所に立ちつつも、映像の所々に挿入されるファンタジー ――音楽隊とバレリーナや突然舞いはじめる雪、そして激しく踊る男女のダンサー――と眼前の日常とのあいだに明らかなズレを感じながら、過去と現在、フィクションと現実がすべて知覚されるものとして混ざり合っていく。

ジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラーのサウンド・インスタレーションを特徴付けているのは、おそらくその現実への介入の仕方、鮮やかなまでの周囲の環境との融合にある。銀座のビルや町はずれの廃屋、ナチス建築のモニュメンタルな美術館、そして公園に茂る樹々や人々の行き交う駅で、建築物の構造はもちろん、その場所に溢れる光や空気の流れ、雑音までをも取り込んで、ひとつの作品世界を作り上げる。そこに完結した物語はなく、すべては日常に向かって開かれている。足を踏み入れた観者は、ほんの数分か数十分のあいだ、視覚や聴覚、ときには触覚を研ぎすませて、眼前で起こっていることを知覚しようと努める。それは非日常と呼ぶにはあまりにリアルで、感覚にはっきりと訴える強度をそなえたもうひとつの現実である。私たちは、時間と空間のなかに出現する「音の彫刻」の前で立ち止り、周囲を歩き回りながら、決して捉えることのできないその彫刻の輪郭を探る。空間的な広がりを持ち、過去やフィクションを現実に結び付ける音の構造、彼らはある一定の条件さえ揃えば、世界中どんな場所でもそれを実現してしまうだろう。

横山 由季子(東京大学、パリ第10大学)

[脚注]

※1 メゾンエルメス8階フォーラム「ジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミラー」展 (2009年2月24日-5月17日)。《40声のモテット》(2001)と《ナイト・カヌーイング》(2004)が展示された。

※2 「オルタナティヴ・ヴィジョンズ“映像体験の新次元”」と題して、東京都写真美術館で2009年2月20日から3月1日まで開催された。出品作は《ミュリエル湖事件》《ハウス・バーニング》《ベルリン・ファイルズ》《カトマンドゥ》の4点。

※3 それ以前にも、2003年に岡山で企画された「ラブ プラネット」展、2005年の横浜トリエンナーレでも作品が数点紹介されている。

※4 Janet Cardiff & George Bures Miller Works from the Goetz Collection(2012年4月13日-7月8日)。ミュンヘンのプライベート・コレクションから8点が出品された。

※5 Léon Krempel, “Curatorial Statement”, Janet Cardiff & George Bures Miller Works from the Goetz Collection, exh. cat., München, Haus der Kunst / Ostfildern, Hatje Cantz Verlag, 2012, p.5.

※6 Lutz Koepnick, “Disembodiment”, Ibid., p.73. 展覧会カタログでは「親密さ」「声」「魔法」「自然」「存在/不在」「無意識」「脱身体化」という切り口が提示され、作品における主題と手法それぞれに考察が加えられている。

Janet Cardiff, The Forty Part Motet, 2011 Photo: Atsushi Nakamichi / Nacása & Partners Inc. Courtesy of the Fondation d'entreprise Hermès, 2009

個展会場となったミュンヘンのハウス・デル・クンスト(撮影筆者)

Janet Cardiff & George Bures Miller, Tha Killing Machine, 2007 Photo: Seber Ugarte & Lorena Lopez

Janet Cardiff & George Bures Miller, Alter Bahnhof Video Walk, 2012ドクメンタの会場のひとつ、カッセルの駅構内にて (撮影筆者)