第7回大会報告 | パネル4 |
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2012年7月8日(日) 14:00-16:00
東京大学駒場キャンパス18号館コラボレーションルーム2
映画と写真――イメージと記号の問題系
映画と静止画のイメージ――D・W・グリフィス作品における映像表現の実践
難波阿丹(東京大学)
眼でみる日本地理――岩波写真と岩波映画の接点
松山秀明(東京大学)
ロバート・フランクにおける写真と映画――『ジ・アメリカンズ』と『プル・マイ・デイジー』の「子ども」たち
上西雄太(東京大学)
【コメンテーター】御園生涼子(早稲田大学)
【司会】滝浪佑紀(東京大学)
映画と写真はいかなる関係にあるのか。この問題は様々な歴史的経緯によって、非常に思考しづらいものとなっている。両媒体を考えるにあたってしばしば援用されるのが、フォトグラムの連続回転を通じて動画を生成するという映画の再現メカニズムである。2つの媒体は、このメカニズムのなかで、あたかも二項対立的な関係にあるかのように位置づけられる。写真の進化形態としての映画、あるいは原動画的なものとしての写真など、この二項対立は写真研究が飛躍的な展開を見せた近年にあっても、相変わらず強力な磁場を形成している。
本パネルでは、そのような写真と映画のいまだ曖昧な関係について、より自由な立場から様々に検討を行うものであった。まず難波阿丹氏の発表では、グリフィス作品における静止画的な画面の機能が論じられた。写真的映像における生理的・触覚的単位は、物語的構造における余剰として捉えられてきた。しかし難波氏は、グリフィス作品において触覚的単位は、物語から逸脱しつつも然るべき物語的な機能をも担っていると指摘する。難波氏が写真的単位とみなすのは、グリフィス作品にしばしば現れるタブロー的な画面である。これは元々メロドラマ演劇のドラマ構造に由来する場面だが、グリフィスはこの場面を演出するにあたって画面の写真的触覚性に依拠しており、それによって演劇とは異なる効果を生み出すことに成功していると難波氏は指摘する。グリフィス的タブローにおける写真的要素は、観客への生理的・触覚的な回路を切り開きながら、しかし同時に登場人物の心的表出にも奉仕するという二重の役割を担っているのである。
次に松山秀明氏は、岩波写真文庫と岩波映画がしばしば同じ作品を扱っている点に着目し、両者の比較を通じて、媒体の差異が全体の構成にもたらす影響を考察した。例えば岩波写真文庫の『新風土記』(1955-58)では、地理上の関係や統一的な主題にあまり拘束されない緩やかな網羅性が重視されるのに対し、岩波映画の『新日本発見』(1961-62)において構成の鍵となっているのは、統一的なテーマや物語的な継起性である。また網羅性を旨とする前者は必然的に遠景構図中心のものとなるのに対して、物語性が重視される後者では近景構図中心の画面構成となる。このように松山氏は詳細な調査を通じて、媒体の性質の生み出す構成上の差異を明らかにしていった。また松山は最後に、私たちの注意を、両者にまたがって活躍した名取洋之助という人物に差し向けた。松山氏によれば、岩波写真には写真の曖昧さを重視した名取のコンセプトが強く反映している。しかし、岩波映画においては名取に対する反発があり、そのこともまた構成上の差異に影を落としているであろう、と松山氏は指摘した。
最後に上西雄太氏は、2つの媒体を往復したことで知られるロバート・フランクを取り上げ、フランクの媒体間の移行を、彼自身の主題上の展開として位置づけた。フランクは、彼の名を世に知らしめた『ジ・アメリカンズ』(1958/1959)を出版した後、映画『プル・マイ・デイジー』(1959)を制作する。上西氏は、両作品にジャック・ケルアックが関わっていたこと、そして両作品において子どもの形象が重要な役割を果たしていることに着目する。ケルアックは『ジ・アメリカンズ』では序文を執筆し、そこでこの写真集を読み解く鍵として「子供」を取り上げている。この写真集において「子供」たちは、フランクが併置する過ぎ去りゆくアメリカと現在のアメリカという中間的な風景の内に位置づけられている。またケルアックは『プル・マイ・デイジー』ではナレーションを担当しているが、ここでも私たちは「子供」の形象に出会う。このフィルムには、ケルアックによるナレーションが不意に断ち切られ、子どもの歌声が挿入される場面がある。それまでケルアックのナレーションは画面内で起こる出来事を淡々と語っていたが、そこではそうした語りは断ち切られ、子どもの声は、現在という時間を喚起する。上西氏はここに、「かつてあったもの=写真」としての子供から「いまそこにいる=映画」としての子供への関心の移行を見て取る。フランクが行った媒体間の移行は、過去の表象から現前性の発露としての即興や自発性へというフランクの関心の変化と、密接に関わり合っているのである。
三者とも媒体の独自性の発見といった点にはとらわれずに、物語論や歴史的資料、作家の主題など多様な観点から2つの媒体を論じていた。しかし、冒頭で述べたように写真と映画の関係性は歴史的に規定されている部分も多い。しかし、こうした歴史的事情をもって成立した理論的枠組が自明なものとして出発点にすえられた結果、論述対象と齟齬をきたしている部分もあったように思われた。
会場からの質問もその点をめぐるものが多かった。まず全体に議論が物語/反物語という構図(及び後者の卓越化)に依拠し過ぎなのではないかという質問があった。また岩波映画においてはテーマに即してモンタージュされることで逆に一ショットの固有性が開放されているのではないか、という指摘が、上西氏の写真=過去、映画=現在という区分に対しては、『プル・マイ・デイジー』において音声と映像は常にずれ続けており、過去と現在という対立というよりむしろそうした両者のズレこそが組織されているのではないか、との意見が出た。
しかし、まず強調されなければならないのは、本パネルの発表はそれぞれ、まさにそうした自明化された構図からの脱却を模索していたものだったという点であるだろう。本パネルで発表者たちが浮上させようとしていたのは、両媒体の本質的な差異というより、ある媒体に関わる「実践」の位相だったのではないだろうか。グリフィスやロバート・フランクは言うに及ばず、一見作家性というアプローチを禁欲したように見える松山氏の発表においても、調査を通じて名取洋之助という固有名に出会ったのである。ここで見出された固有名は、テクスト論的な読解を保証する審級としての作者とはもはや言えないだろう。媒体の差異は、媒体の固有性を突き止めるためでも反物語性を顕揚するためでも、さらには作者という存在を再焦点化するためでもなく、その考察を通じてある媒体に関わる「実践」という位相を浮き彫りにするためにこそ要求されたものであるように思われた。つまり比較を通じて初めて浮上するような、「実践」の位相こそが問われていたのではないだろうか。こうした意味で、パネル全体で既存の枠組みとの格闘を強いられてはいたものの、新しいアプローチのためのヒントや素材は、十分に提出されていたように思う。
畠山宗明(聖学院大学)
【パネル概要】
20世紀初頭において映画は、連続して投影される画像が動きの錯覚を引き起こす表象として注目されていた。T. ガニング等の1970年代から80年代にかけての初期映画史の書き直しは、必ずしも物語映画へと収斂されない、映画の注意喚起的な側面への注視を促すものであったが、そのようなアトラクションとしての映画の諸要素の中でも、映画の進行をときに妨げ、硬直化させる静止画/写真の挿入が、映画が物語る行為に果たしていた役割については、再検討する必要がある。
静止画/写真が断続的に投影されることで、運動のイメージを与えるという映画の本質的な特性は、C.メッツが「二重分節」と提起した映画におけるイメージと記号の問題系へと接続している。本パネルの目標とは、映画と写真イメージの往還する、複雑な表象のプロセスについて描き出すことである。この試みによって、ふたつの異なるメディアにおける物語/言語活動に新しく焦点を当てることを目指したい。
本パネルでは、映画と写真を論ずる理論的枠組みを、古典的ハリウッド映画文法が作られた1910年代アメリカ初期映画、特にD. W. グリフィス監督作品にさかのぼって検討した後、1950年代の日本とアメリカで行われた「岩波写真と岩波映画」および「ロバート・フランクとジャック・ケルアック」における、写真と映画のメディア横断的実践が、個々の作品制作に重要な契機であったことを論じる。(パネル構成:難波阿丹)
【発表概要】
映画と静止画のイメージ――D.W.グリフィス作品における映像表現の実践
難波阿丹(東京大学)
本発表では、アメリカ初期映画、特にD.W.グリフィスの映画作品を題材に、映画的言説(filmic discourse)と静止画/写真の関連について、理論的な整理を試みる。1910年代は、古典的ハリウッド映画の文法が洗練された時期であり、D.W.グリフィスの作品群は物語映画(narrative film)の嚆矢として論じられてきた。T. ガニングは、G.ジュネットおよびC.メッツの理論を基盤に、文学言説分析に用いられる物語言説(narrative discourse)の概念を、物語映画の生成過程の解釈に適用している。D.W.グリフィス監督作『国民の創生』は、このような物語映画の到達点とみなされているが、いっぽうで、その物語(語り)の進行に一見ぎこちない印象を与える、フォトグラム単位での映像表現が散見される。これらの映像表現は、登場人物の身体的表徴を明らかに示し、メロドラマ的効果に貢献するとともに、微細な情報があたえる生理的あるいは神経的刺激によって、観客の情動喚起に資していたのではないかと考えられる。
本発表では、断続的な静止画/写真の投射が、動きのイメージを与えるという映画の原理的な問題をふまえ、D.W.グリフィスの作品を手がかりとしながら、フォトグラム単位での映像表現が1910年代における古典的ハリウッド映画文法の生成に果たしていた役割を新たに提示していきたい。
眼でみる日本地理――岩波写真と岩波映画の接点
松山秀明(東京大学)
「岩波写真文庫」は、1950年から58年まで岩波映画製作所が中心となって編集を行い、岩波書店が刊行した文庫版のシリーズである。B6判64頁という体裁で、価格は1冊100円、「木綿」「昆虫」「アメリカ」「東京――大都会の顔――」「赤ちゃん」など多彩なテーマについて豊富な写真を使って解説し、刊行総数も286冊に達した。
この岩波写真文庫は、岩波映画製作所の財政的基盤となることを目的として企画されたこともあり、映画制作との関わりも深い。なかでも、日本地理を取り上げたものはその「接点」が見いだしやすく、岩波写真文庫が特集を組んだ『新風土記』(1954-58)は、後に岩波映画製作所によって『日本発見』(1961-62)として映像化されるに至った経緯がある。吉原順平(元岩波写真文庫・編集)によれば、『日本発見』のシノプシスは、各都道府県を紹介した『新風土記』の写真と取材資料をもとにして構成されたという。このことは、1950年代・60年代の日本の都道府県が、同じ企画のもと写真と映画という異なるメディアで記述されていたという意味でとても興味深い。
本発表では、こうした高度成長期の日本地理の記述において、写真の配列が映画の配列へどのように変換されたのか、そのプロセスに着目する。現存する『新風土記』と『日本発見』の全アーカイブを使って、それぞれで描かれる「場所」や「解説・ナレーション」、「配置の仕方」を詳細に検証し、写真と映画という二つの表象の特性を考察することにしたい。
「ロバート・フランクにおける写真と映画――『ジ・アメリカンズ』と『プル・マイ・デイジー』の「子ども」たち」
上西雄太(東京大学)
1950年代後半、写真集『ジ・アメリカンズ』(1958/1959)を発表したロバート・フランクは、映画『プル・マイ・デイジー』(1959)の制作を行う。この写真から映画への移行が、フランクにとってどのような重要性を持っていたのかは十分に研究されているとは言いがたい。この問題を考えるためには、『ジ・アメリカンズ』の「序文」、『プル・マイ・デイジー』の「ナレーション」といった、この移行期の作品において重要な役割を果たした同時代の作家ジャック・ケルアックの存在とフランクとの関係を無視することはできない。
本発表では、まずケルアックの「序文」から『ジ・アメリカンズ』を読みといていくことで、「子ども」の表象が、その写真集の重要なテーマとなっていることに着目する。その上で、『プル・マイ・デイジー』においては、「子ども」に声が与えられ、唯一ケルアックの「ナレーション」以外に発話を許されているといった特徴を見出す。このケルアックの関係から浮かび上がる「子ども」の問題系は、写真から映画の転換において、フランクの諸作品に跡づけることができる重要なテーマであると考えられる。
以上の方法から、フランクとケルアックの間に登場する「子ども」の問題が、写真集『ジ・アメリカンズ』から映画『プル・マイ・デイジー』への移行というフランクの実践において、重要な掛金になっていることを考察したい。