新刊紹介 単著 『映画と国民国家 1930年代松竹メロドラマ映画』

御園生涼子
『映画と国民国家 1930年代松竹メロドラマ映画』
東京大学出版会、2012年5月

近代とはいかなる経験だったのか、またそれはいかにして記述可能なのか。映画研究は、ともすれば手に余るこの問題に、「国民国家」と「メロドラマ」を足掛かりとして着手し、多彩な成果を挙げてきた。本書も間違いなくそのひとつに数えられるものだ。

国民国家・日本にとって、領土と国民の境界が更新されつづけた1930年代は、その基盤となる自己同一性が問われつづけた時代であった。いわば、国家そのものが動いていたのである。

では当時、そもそも脱領域的な動画メディアである映画、なかでも女性を「移動する主体/客体」として描いてきた女性メロドラマ映画はどのようなダイナミズムを見せたのか。本書はそう問いながら、1930年代の日本が経験した近代性が、融和や同化では記述しきれない、他者――アメリカ、そして他のアジア諸国――との「葛藤・折衝」を露呈させる「異種混淆性」を核にしていたことを明らかにしていく。

とはいえ、「異種混淆性」の根拠が、いわゆるポストコロニアル理論だけに求められていると誤解してはならない。なぜなら、この鍵概念はフィルムに刻まれた徴から出発しているからである。たとえば、小津安二郎『その夜の妻』(1930)において、つましい和装の妻がギャングのアイコンであるソフト帽をかぶるチグハグさと、観客がそこに感じる違和が、「異種混淆性」の証とされるとおりである。

微視的な分析を手放さず、小津や清水宏といったよく知られた作家の新たな側面をも示唆する本書は、ジャン=ミシェル・フロドンの La projection nationale : cinéma et nation ――ちょうど10年前に刊行された邦訳には本書と同じタイトルが与えられている――が提出した鳥瞰図とは異なる手触りと驚きに満ちている。 (石田美紀)