トピックス 1

第2回表象文化論学会賞授賞式

学会賞
平倉圭 『ゴダール的方法』(インスクリプト、2010年12月)に対して

受賞の言葉
「このたびは第二回表象文化論学会賞をいただき、たいへん光栄に思います。
この本は、フランス/スイスの映画監督、ジャン=リュック・ゴダールの映画作品を分析したものです。ゴダールは、映画は「思考する形式」であるといいます。その思考は、概念よりは目と耳の感覚、信念よりは手の技に深く関連をもちます。
ゴダールがその技を駆使しておこなおうとするのは、「死んでしまった者たちの応答をこの世にもたらすこと」です。応答をもたらすのは、編集するゴダールの具体的な手技であり、たんなる信念ではありません。
本書は、この具体的な手技のレベルに定位し、それを剽窃的に展開する点で、一種のパフォーマンスとして組み立てられています。そのようなパフォーマティヴな仕事に、表象文化論学会という、理論的研究と実践的制作の両方に開かれた場で評価をいただくことができたことを、たいへん励みに思っています。これを糧に、今後も自分の仕事に精進していきたいと思います。ありがとうございました。」



奨励賞
橋本一径 『指紋論――心霊主義から生体認証まで』(青土社、2010年10月)に対して

受賞の言葉
「このような賞を受賞し、何よりもうれしく思うのは、佐藤良明先生をはじめとする超一流の読み手に、拙著を読んでいただく機会を持てたということです。とりわけ佐藤先生が、ご自身のブログの中で書いてくださった、この本が表象文化論に「正統」の息吹をもたらしたのだという言葉には、大いに勇気づけられました。映画や音楽や演劇、美術や哲学を研究するのが、何となく当たり前のようになっていた表象文化論という場にあって、被害妄想かもしれませんが、どこかいかがわしいことをやっている、得体のしれない奴という目で見られてきた私は、内心では、アイデンティティの表象、すなわち「自分は何者なのか」を表象する手段の現代における変容を、歴史学的・考古学的に明らかにするという、まさに表象文化論の王道を歩んでいるのだという自負を、ひそかに抱き続けていたからです。そうはいっても、本当に「指紋」で博士論文が、一冊の本が書けるのだろうかという迷いが、生じなかったわけではもちろんありません。しかしそんな迷いの中にあったときに、最終的な拠り所となったのは、今にして思えば、小林康夫先生の言葉でした。その言葉というのは、「好きなものの研究などしても意味がない」、というようなものだったと記憶しています。この言葉は私に直接向けられたのではなく、何かの飲み会の折に、好きな作家だったか映画監督だったかの研究をしたいと、無邪気に打ち明けていた学生に対して言い放たれ、結果としてその学生を号泣させることになった言葉なのですが、そのやり取りを盗み聞いていた私は、自分の研究にお墨付きをもらえたような気がしたものでした。「指紋が好きで好きでたまらない」とか、「指紋のことを考えると夜も眠れない」とかいう事態に陥ることは、間違ってもあり得ないと、確信できたからです。とはいえ、この研究を長らく続けていると、指紋というものに、ある種の愛着を抱き始めてしまっている自分に気づいて、愕然としているのも事実です。この愛が断ち切りがたいものとなってしまう前に、何とかして次の研究対象を見つけ出さなければならないと、模索を続けている今日この頃です。最後になりましたが、この受賞の喜びを、これまで励ましを与え続けてくれた家族や友人たちと分かち合うことで、彼らへのお礼に代えたいと思います。どうもありがとうございました。」

特別賞
該当なし

なお、今回の学会賞と関連してジュンク堂書店京都BAL店にて、受賞者の平倉圭氏、橋本一径氏および学会誌『表象05』の編集を担当した加治屋健司氏選によるブックフェア「ゴダールと指紋」が開催されました(2011年6月5日〜7月16日)。また、『読売新聞』(2011年6月30日朝刊文化面)に平倉圭氏の取材記事「ゴダールに迫る「手」」が掲載されました。

選考過程および選考委員コメントについては下記をご覧ください。

(1)選考過程
2011年1月上旬から1月末まで、表象文化論学会ホームページおよび会員メーリングリストにて会員からの学会賞の推薦を募り、以下の作品が推薦された(著者名50音順)。

  • 石橋正孝『大西巨人――闘争する秘密』
  • 今村純子『シモーヌ・ヴェイユの詩学』
  • 江村公『ロシア・アヴァンギャルドの世紀――構成×事実×記録』
  • 中村秀之『瓦礫の天使たち――ベンヤミンから〈映画〉の見果てぬ夢へ』
  • 橋本一径『指紋論――心霊主義から生体認証まで』
  • 原克『美女と機械――健康と美の大衆文化史』(『気分はサイボーグ』、
    『身体補完計画 すべてはサイボーグになる』と合わせて)
  • 平倉圭『ゴダール的方法』
  • 増田展大「写真的身体鍛錬術 世紀転換期の身体表象について」
    (『SITE ZERO/ZERO SITE』第3号)

これらの候補作のうち、江村公氏の著作は、発行日が2011年1月と記載されていた。したがって、学会賞の規定に基づき、この著作は今回の選考対象から除外することを選考委員のあいだで確認した。
具体的な選考作業は、各選考委員がそれぞれの候補作について意見を述べたのち、全員の討議によって各賞を決定していくという手順を取った。

(2)選考委員コメント

桑野隆
候補作はいずれ劣らぬ力作ぞろいであり、それだけに読解に相当の労力を要するものもあったが、それでも全体としては心地よい刺激を受けながら楽しく読み進めることができた。ふだんなら手に取る余裕もなかったであろうような著作と出会い、思いもかけぬ読書の快楽を味わえたことは、役得といえるのかもしれない。選考委員であることを忘れて読みふけってしまったものも一つならずあった。
だが厄介なのはその次である。選考委員としては順位づけにとりかからねばならない。今度はそうした意識でもって、改めて読み返してみることになる。これはもう苦役に近い。そうした経過を経て私としては、4本前後が何らかの賞にふさわしかろうという結論にひとまず達した。なかでも、平倉圭氏の『ゴダール的方法』は独創性や完成度の面できわだっていた。まさに微に入り細を穿つアプローチであったが、そうした繊細さが読者にとって決して苦痛にならないどころか、むしろ鮮やかな発見の喜びを共有させてくれる稀有な書であった。
次回も今回のようなハイレベルの著作にいくつも出会えることを期待したい。

佐藤良明
数々の力作が並んで、きつい読書となった。そんななかで、衝撃、説得力、および良い意味でのエンターテインメント性において秀でた二冊が、賞に到達したということだろう。
平倉流のハイ=デフィニション・アナリシスは、今後の映像音楽分析の潮流になっていくかもしれないが、フレームの背後に映画を、映画の背後に人間を、人間の背後に文化を見ることは容易でない。『ゴダール的方法』は、視覚データから不可視だった「意図」をくっきりと取り出す苦心が読み取れる。同様のことは『指紋論』についても言える。研究の発端となった思いつきの素晴らしさよりも、足を動かして資料を集めたところが古風な共感を与えた。一つの橋本ワールドの完成がまだまだ先だと思わせるところを含めて、奨励賞にふさわしかった。
中村秀之氏の『瓦礫の天使たち』は、意義深く精度の高い論文集であって、近い将来圧倒的な著作へと繋がっていきそうな予感を秘めている。石橋正孝氏の『大西巨人――闘争する秘密』も爽快なフットワークと文章力の光る注目作で、発行者の小柳学氏とともに(これだけ意義のある本を1000円で出版したのも快挙)、なんらかの顕彰にふさわしいと思われた。以上「キレ者」ばかりに目がいってしまったが、鈍重な足取りの研究への共感もまた、表象文化論学会にみなぎるようであるといい。

松浦寿夫
多くの充実した候補作品のなかでも、とりわけ平倉圭氏の『ゴダール的方法』から圧倒的な衝撃を受けたとことを率直に表明しておきたい。この衝撃を克明に詳述する紙面の余裕はないが、編集台での操作を具体的な操作を自ら遂行するかのようにして展開される分析は、制作の審級での思考の展開をきわめて明晰に描き出している。その点で、対極的だが、鑑賞者の映画経験の側から初期映画の仕組みに切り込んでいった中村秀之氏の著作もきわめて興味深いものであったことも付け加えておきたい。
橋本一径氏の『指紋論』は、指紋をめぐる数多くの言説の収集と分析に立脚して、「自己」の表象をめぐる、歴史的かつ理論的な研究として充実した成果であり、奨励賞に相応しいと判断した。また、石橋正孝氏の著作もきわめて刺激的なものであったことを付け加えておきたい。
また、今回、刊行期日の点で選考対象から外れた江村公氏の著作は、芸術的理念と政治的理念との対立、葛藤という面からたびたび議論されながら、その芸術的な理念の制作の次元での克明な分析が欠如していたロシア・アヴァンギャルド研究に対して、「ファクトゥーラ」とい概念の理論的形成を分析することによって重要な貢献となりえている。