研究ノート | 松谷 容作 |
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リュミエール映画における平面性についての覚書
松谷 容作
いわゆるグランド・セオリーに基づいた(1970年代までの)映画理論を反省し、1980年代以降に隆盛する初期映画についての研究は、従来とは一線を画した理論的パースペクティヴを提示する。それは、歴史性と社会性を回復したパースペクティヴであり、それによって、初期映画についての研究は、従来、未成熟な映画としてみなされてきた初期映画を積極的に論じることを試みている。そのような試みのなかで、19世紀末から20世紀初頭にかけてフランスのリュミエール社が製作した映画は、しばしば、同時代の印象派絵画と比較され、両者の密接な関係性が指摘されている。
しかしながら、初期映画についての研究が活発化する以前の1960年代に両者の関係性について言及した人物がいる。ジャン=リュック・ゴダールである。ゴダールは『中国女』(1967)の台詞のなかに、リュミエール(映画)と印象派絵画の関係性についての自らの見解を忍ばせる。登場人物ギョーム(ジャン=ピエール・レオー)とヴェロニク(アンヌ・ヴィアゼムスキー)は、アンリ・ラングロワが製作したリュミエールに関する映画について話し合う際に、次のような言葉を発する。「リュミエールは当時の印象派の偉大な画家たちの最後の1人だったというわけね」。そしてゴダールは、単に作品内の台詞に留まらず、インタビュー、対談、講演などでリュミエールが話題になると、この「リュミエール=印象派の最後の画家」という図式を繰り返す。なぜリュミエール(映画)は、印象派の最後の画家となり得るのか。本研究ノートの目的は、この問いに対する一先ずの回答を提示することであり、またリュミエール(映画)と印象派絵画が結び付けられた際に生じるだろう、新たな問題を示すことである。
まずは先ほどの問いに対する回答を提示するために、フランスの映画研究者であるジャック・オーモンの議論を参照したい。というのも、オーモンは、映画と絵画の関係について論じた著書『果てしない眼』(Jacques Aumont, L’Œil interminable, Paris : Édition de la Différence, 1989, rééd. 2007)において、ゴダールの「リュミエール=印象派の最後の画家」という図式を起点とし、リュミエール(映画)と印象派絵画の関係性を明らかにしているからである。その議論において注目されるものは、リュミエール映画における現実効果〔les effets de réalité〕とフレーミング〔le cadrage〕である。
オーモンによれば、リュミエール映画における現実効果は、当時の批評家や観客たちを驚かせた重要な要因のひとつであり、量的効果、質的効果という2つの側面をもつ。なかでも、印象派絵画との関係を理解するために重要であるのは、質的効果の側面である。質的効果の側面とは、触知不可能なもの、表象不可能なもの、束の間のもの、つまり大気的な現象――煙、蒸気、結露、反射、波など――の運動それ自体の表象化であり、そうした表象の際限なき現出である。例えば、『軽食をとる小さな子供たち』(1897)において、3人の子供たちの背景となる木々や葉の揺らめき、『港を離れる小船』(1896)における、波のうねりなど、リュミエール映画では、質的効果の側面が頻繁に現れる。次に、フレーミングに関してオーモンが指摘することは、例えば『ラ・シオタ駅への列車の到着』(1896)でフレームを突き抜けていく列車のように、フレームそれ自体を意識させるリュミエール映画におけるフレーム内とフレーム外の透過性であり、また『リヨンの写真会議に参加』(1895)で下船する乗客がカメラマンに向かって行う挨拶のように、撮影者と撮影される対象が共存することである。そうした透過性や共存は、流動的な視野を、オーモンの言葉を借用するならば、安定しない可変的な眼を生じさせるのである。
オーモンによれば、リュミエール映画において実現された、こうした現実効果とフレーミングは、同時代の絵画実践、とりわけ印象派絵画が提起し、実践した問い――キャンパス内で大気的現象を描出すること、流動的な視野を額縁に収めること――であり、両者はイメージ実践に関して、視線の解放という共通の問題意識をもつのである。この意味で、オーモンそしてゴダールは、リュミエールを印象派の最後の画家とみなすのである。
さらに言うならば、当時のリュミエール映画と印象派絵画に対するそれぞれの批評の比較を通じて、リュミエール映画と印象派絵画の関係はより明確なかたちで浮かび上がってくるだろう。例えば、印象派画家のひとりであるクロード・モネが制作した、エトルタの海を主題とした諸々の作品についての批評(Albert Wolf, « Exposition internationale», Le Figaro, le 19 June, 1886)と、リュミエールの『港を離れる小船』についての批評(Henry Tyrrell, ‘‘Some Music-Hall Moralities’’, The Illustrated American, 11 July, 1896)は、共に、大気的現象(波など)という触知不可能なものの表象化、流動的なものの表象化を指摘し、それらの表象の現実性=リアルさ、さらにはそれらが喚起する空想力、想像力、感情が評価されている。つまり、リュミエール映画と印象派絵画は、同時代の人々から同じ視座で捉えられ、共通の観点で語られているのである。
以上のように、オーモンの議論、さらには当時の言説を通じて、私たちは、リュミエール映画と印象派絵画の非常に密接な関係性を捉えることができる。両者の結び付きは、単に近接する時代の、異なる表象活動の影響関係を明らかにするだけではなく、リュミエール映画において造形美術で語られてきた美学的な側面を考察する機会を私たちに与えてくれるであろうし、さらには現代の映画と絵画の関係を再考する契機にもなり得るであろう。しかしながら、印象派絵画と密接に結び付くことで、リュミエール映画は、印象派絵画の言説空間に入り込み、そのなかでのみ捉えることができないイメージ実践として私たちに立ち現れる可能性ももつ。例えば、ギュスターヴ・クールベは、印象派の先駆的な画家であるエドゥアール・マネの作品《笛吹き》(1866)をトランプ札と評し、その平板さ、平面性を指摘した。その後、印象派絵画は、絵画そのものの再定義のために、色彩片のスクリーン=キャンバスを積極的に構築し、平面性をより前景化することになる。従って、印象派絵画との関係性のなかで、リュミエール映画もまた、より平面性が強調されることになるのである。こうした、リュミエール映画以来、映画の根源的なものと理解されてきた、スクリーン、平面性が、リュミエール映画と印象派絵画の関係のなかでどのように立ち現れてきたのか、また平面性が強調されることで覆い隠された潜勢性とはどのようなものか、これらの問題については、別の機会で取り組むことにする。
松谷 容作(神戸大学人文学研究科学術推進研究員)