第6回大会報告 | 「Échec et mat ──白のゲームとして」 |
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「森村泰昌とペルソナの表象文化論」
第II部 森村泰昌×小林康夫
「Échec et mat ──白のゲームとして」
報告 : 日高優
2011年7月2日(土)
京都大学百周年時計台記念館大ホール
緞帳が上がり、三島由紀夫≒森村泰昌が客席に向かって決起を呼びかける姿がスクリーンに流れ始める。〈烈火の季節/なにものかへのレクイエム(MISHIMA)〉(2006年)だ。森村泰昌による作品上映と小林康夫との対談「Échec et mat――白のゲームとして」は、表象文化論学会第6回大会イベント「森村泰昌とペルソナの表象文化論」の第二部として、こうして幕開けした。絵画の中の登場人物やマリリン・モンローといった有名女優など、(特に女性の)対象に〈なる〉セルフ・ポートレイト写真で知られる森村泰昌が冒頭に選んだのは、直接声をもって訴える「演説作品」ともいうべき動画の映像作品であり、個別の人間というよりも20世紀の壮大な歴史をテーマに据え、「男の中の男」三島になるという、〈なにものかへのレクイエム〉シリーズでも特権的な作品だった。鬼気迫る三島≒森村の呼びかけが、会場となった京都大学百周年記念時計台ホールに響きわたり、聴衆を圧倒した。作品に見いり聴きいるわれわれのあいだに広がる静寂が、こちらに向かって檄を飛ばす三島≒森村の訴えの虚しさと衝迫のコントラストを強めてわれわれに突き立てる――、そのような仕方でわれわれは一気に森村ワールドに捕らえられ、引き込まれた。
単に作品を見せ感想を述べるような会にはならないだろうということは、催しのやや謎めいたタイトルからも十分予想されたことだ。三島≒森村の姿がスクリーンから消え去り、森村泰昌と小林康夫が登壇。白いチェスの駒が白い盤目に並ぶテーブルを挟んで、作品上映と対談という名のパフォーマンスが始まった。チェスの駒を交互に打つように、作品や言葉による応答で互いの手を繰り出していくというチェス・ゲームの仕立てが導きの糸となった。対談はまず、森村と小林との出会いを振り返りつつ開始された。最初にその焦点を成したのは、今回のタイトルにもかかわるスチル作品〈創造の劇場/マルセル・デュシャンとしての私[ジュリアン・ワッサー氏撮影のイメージに基づく]〉(2010年)だった。森村は同作品で、デュシャンの『大ガラス』のレプリカを背景にして、オノ・ヨーコ作ホワイト・チェスのセット(1966年)のレプリカでチェスに興じる裸の女と着衣のデュシャンの役を演じている。今回のパフォーマンスの結末は、果たして一方が他方にとどめを刺す「王手(échec et mat)」となるのか、あるいはゲームが進行するほどに敵・味方の峻別自体が無効化していく「白のゲーム」となるのか。聴衆はそのようにパフォーマンスとしても楽しみつつ、今回の催しの展開を追うこととなった。
森村と小林の対話は、森村の芸術世界に触れる手掛かりを引き出していく。例えば、〈デュシャンとしての私〉の制作に立ち会った小林もシャッターが切られる瞬間に感覚したという、レプリカにレプリカを積み重ねるように膨大な時間を集積させて作品を制作する森村の、それ自体、レプリカとしての身体――男性たる森村が人工的に女性に変身した身体――がホンモノになる〈瞬間〉を語った。偽物たちに費やされた膨大な時間が、ある瞬間にホンモノを孕む〈妊娠〉という出来事。対談は森村的世界の秘密をそのように掴み取った。
次いで小林が打った手は、「同世代の森村と小林は双子、けれども森村がある時代の潮流にのり、小林がそれについていけなかったような双子だったのではないか」という仮説だ。「Against Nature: Japanese Art in the Eighties」展(1989年)への森村の参加と自らのそれへの距離に言及しつつ、89年の文化変動――直接的にはジェンダーを越境する可能性――に「乗り切れなかった」と言う小林に対して、森村が語ったのは、トランス・ジェンダーということもあるが第一に何者かに〈なる〉セルフ・ポートレイト写真を制作することではじめて、表現の根幹にある自己の感覚に触れることができたという、折り返された自己の感覚だ。そしてそれを受けた小林が傷と共苦のモメントに森村の注意を促したように、何者かに〈なる〉とはまず、耳を切ったゴッホになるということでなければならなかったとこの美術家が応答したことは、後のレクイエムやカタストロフィのテーマと相まって印象深かった。
〈なにものかへのレクイエム(独裁者を笑え)〉(2007年)の上映を経て、やりとりは歴史へとシフトする。小林が指摘したように、森村は20世紀とは異なる21世紀という時代を意識するなかから演説作品を産み落としたようだ。森村は〈双子〉の間に違いを生じさせた要因を、言葉を有していた小林に対して自身は芸術の舞台に登場してきた85年頃の当時、叫びたくても叫ぶ言葉を持ち合わせていなかったという状況、そして自らの言葉への不信から探った。そして遡るべくして時代を遡り、話題の焦点は60年代末から70年代初頭の政治の季節へ。その時代への不信とそれによって増幅された自らの失語的感性でゴッホ作品を産み出しながら、しかし同時に、話す言葉を持たなかった自らを当時ではなく今の時代に芸術としてぶつけることを森村はどこかで求めており、それが演説作品を出来させたことを彼自身が語り始めたことは、間違いなくこの対談の大きな山場のひとつを成した。
これまで公開される機会の少なかった大野一雄に〈なった〉森村の映像作品も一部を見るだけでも圧巻であったし、3.11への森村の応答として岩手県立美術館で今秋に開催予定の展覧会(註1)、その糸口となる画家松本俊介についても語られた。しかし要約とは常にそうであるように、縮約することは何事かをそぎ落とす。特に今回の場合、零れ落ちるものがあまりに大きい。というのも、このパフォーマンス全体が、森村芸術を読み解く重要なモメントから彼の作品を経由しつつ戦後日本やカタストロフィについて考えるためのモメントまで、余りにも多くのものを潜勢させていると報告者には感じられたのだ。その意味で、2時間弱のひとときは、まさに森村と小林が開いた現場でのパフォーマンスの時間だったと言える。
最後に記せば、このパフォーマンスを通して、報告者は森村の世界に通底し映像作品で前景化された、人間における強烈な虚しさと痛切な衝迫ともいえるものの同居に改めて打たれた。かつて持ちえなかった声を映像作品という資格で〈回復〉した鬼気迫る森村が三島に〈なり〉、独裁者と善良なる者とのあいだで引き裂かれる者に〈なる〉その渾身、それが差し向けられるわれわれ聴衆がその訴えに応答しようとしても、それは流れ去る映像の出来事に過ぎない。が、それぞれの映像に掴み取られた、X≒森村の身体の迫真、圧倒的プレゼンス。Xに〈なる〉森村の身体が発散する、苛烈なまでの自己の意味を剥離させる徹底した空疎さと衝迫との結合が、われわれにフィクションとリアルのアマルガムたる芸術を到来させる――、報告者は確かにそう感じたのだ。
そして、3.11のカタストロフィへと向かう対話のさなか、迫りくる時間に押されるようにチェスの駒を森村と小林が共に払いのける場外乱闘という形でもたらされた今回の「白いゲーム」の奪い去られた幕引きは、もはや戦いは平和へ止揚されると夢見ることがはっきりと不可能となり他者が敵か味方かが自明でもないとしても、現在、同一の地平に立つプレイヤーたちが自ら、応答に応答を重ねる不断の対話への道を引き続けていく他ない時代であると思わせた。
日高 優(群馬県立女子大学)
(註1) なお、予定されていたこの展覧会は中止となった。
撮影:旦部辰徳