新刊紹介 | 編著、翻訳など | 『啓蒙の運命』 |
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田中祐理子ほか(分担執筆)
富永茂樹(編)『啓蒙の運命』
名古屋大学出版会、2011年4月
本書は共同研究「啓蒙の運命―系譜学の試み」の報告書である。執筆者18人は十分に多いが、各々の論考の基底には、更に多くの参加者を得た4年にわたる議論がある。表題の通りこの研究が目指したのは18世紀ヨーロッパの哲学運動としての「啓蒙主義」の実相を跡づける作業ではなく、むしろその反響を、続く19世紀・20世紀を経て今日我々が生きる「学的活動」の只中にまで辿り、その網を素描する「系譜学の試み」であった。本書は主に18世紀・19世紀・20世紀を舞台とした3部に分れ、各部でフランス・ドイツ・ブリテンそして新大陸において、「啓蒙」という事件の効果が展開されていく姿を追った。
それ故「『啓蒙の世紀』の諸相」と題された第1部でも、描かれるのは「啓蒙主義」の生成の現場ではなく、既にその幾重もの「再現」としての「光の世紀」の諸相であり、それは第2部の核となる「革命」という契機と絶えず共振している。他方で第3部は、永遠の「現在性」を引き受けるのか「未完性」を引き受けるかという、フーコー/ハーバーマス的二極に直面する我々自身の「啓蒙主義」の可能性を問うたと言える。しかし共同研究を通じて聞かれた、ただ「啓蒙的」であることに「啓蒙」を回収して、逆にディドロやダランベールの賭けが明らかに持つ「現代性」を表象の水準で拡散させてはならないとの主張が、安易な絶望を掲げた上で可能態を書き連ねるような自由を論者に与えなかったと思う。「系統」よりは錯綜や断絶を媒介とした「系譜学」が出現する書物かもしれないが、そこに試みられた対話の痕跡こそが本書を支えた「啓蒙」という「主義」を表している。(田中祐理子)
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